南禅寺塔頭のひとつ
金地院を訪れました
当初は鷹ヶ峯に創建された寺院
創建は室町幕府4代将軍足利義持の頃とされています
現在の地へと移ったのは
徳川政権時代
「黒衣の宰相」との異名を持つ以心崇伝によって
移転したもの
一色家の次男として生まれ
若くして仏門に入る
南禅寺の玄圃霊三に師事
才覚があったのか
36歳の時には、南禅寺270世住職となっている
僧としてだけでなく
政治向きの事にも才能があったらしく
徳川家康に呼ばれて、駿府へと移り
外交往復文書の書記を務めるが
やがて、頭角を顕し
次第に重職へ就く様になる
キリスト教禁止令
武家諸法度
禁中並公家諸法度
諸宗寺院法度
など多くの法令制定に関与
そして
彼の名を世に知らしめたのは
方広寺鐘銘事件
「国家安康」
「君臣豊楽」
家康の名を切り
豊臣を君として子孫の殷昌を楽しむ
言いがかり
この事件にも
以心崇伝は関与したと云われている
金地院を巡ると
歴史の裏が見えた気分になれます
金地院の一番の見所は
鶴亀の庭
小堀遠州作庭の庭園
縁側に座し
じっくりと眺める鶴亀の庭
京都の美
堪能しました
金地院を訪れました
当初は鷹ヶ峯に創建された寺院
創建は室町幕府4代将軍足利義持の頃とされています
現在の地へと移ったのは
徳川政権時代
「黒衣の宰相」との異名を持つ以心崇伝によって
移転したもの
一色家の次男として生まれ
若くして仏門に入る
南禅寺の玄圃霊三に師事
才覚があったのか
36歳の時には、南禅寺270世住職となっている
僧としてだけでなく
政治向きの事にも才能があったらしく
徳川家康に呼ばれて、駿府へと移り
外交往復文書の書記を務めるが
やがて、頭角を顕し
次第に重職へ就く様になる
キリスト教禁止令
武家諸法度
禁中並公家諸法度
諸宗寺院法度
など多くの法令制定に関与
そして
彼の名を世に知らしめたのは
方広寺鐘銘事件
「国家安康」
「君臣豊楽」
家康の名を切り
豊臣を君として子孫の殷昌を楽しむ
言いがかり
この事件にも
以心崇伝は関与したと云われている
金地院を巡ると
歴史の裏が見えた気分になれます
金地院の一番の見所は
鶴亀の庭
小堀遠州作庭の庭園
縁側に座し
じっくりと眺める鶴亀の庭
京都の美
堪能しました
少しいたずらしています
撮影後ではなく、撮影中、Kの値を少しいじっての撮影です
淡い感じが出したくて少しアレンジしてみました
金地院もそうですが
南禅寺の塔頭はどこも静か
水路閣前や南禅寺方丈庭園は喧騒に包まれていますが
塔頭はどこも静かですね
何故に?というかありがたいですけどね
広い庭園で、小堀遠州らしさをあまり感じない庭園ですが
やはり名庭園です
雪だるま的には庭園よりも散策路の方の景色の方が好きで
遠州庭園は掲載の写真を撮ったのみでした
広い庭園の中で一際目を引き、思わず撮影していました
金地院は大雑把な庭園で、捉え所が難しく
暫く訪れていなかった寺院なんです
久しぶりに訪れ、面でなく点で撮影してみたら
意外といい感じに撮れたと
marumiさんのコメントで感じました
前半の回遊式の庭園、
初夏の瑞々しい緑の雰囲気をとても素敵に撮られていますね。
南禅寺山門、水路閣の辺りと違って
訪れる人が意外に少なく静かな雰囲気が気に入っています。
見応えありますね。
静かな、でも、たくさん語りかけてくるような美しいお庭の写真の数々に「ほ~っ」となりました