日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています
魚山大原寺勝林院
声明の中心地である
円仁が創建したと伝わる
伝えたのは声明
今風に言えば
歌詞を経典とした歌
そう言えばわかり易い
独特のリズムで
経典を謡う
今日でも受け継がれている
大原寺勝林院の塔頭寺院
阿弥陀入来を本尊とする
創建は嘉禎年間
宗快法印が
初代と伝えられる
額縁庭園
雪の日に訪れられるは幸いである
厳冬の折
訪れた
白拍子の祇王
白拍子とは
今日でいう芸人のこと
苔に覆われた境内
祇王はこの寺で
念仏三昧の余生を送ったと
今日伝えられているが
さて
ことの真実は
如何様で遭ったのか
今日の我らに
知る由もなし
顕本法華宗の総本山
元は天王寺屋通妙の外護
創建は日什
創建されたのは六条坊門室町
応仁の乱で伽藍は戦火に見舞われ
綾小路東洞院へ移転
その後
堺、寺町二条を経て
昭和43年に現在の地へと移転している
妙満寺を創建した日什は
もと天台宗の学頭で
名を玄妙と云ったそうだ
遅咲きの僧
上洛は68歳の時だという
六条坊門室町に建立された
法華堂がこの寺の前身
ここは冬の寺
庭園は冬の庭と呼ばれている
あえて
夏のある日に訪れてみた
京の奥座敷
とはいっても
近隣には観光名所、金閣寺があり
それほど奥ではない
ただ、原谷は高台
結構な標高差の坂道を登った先にある
その原谷に
農園が存在する
4,000坪の敷地には
頭上まで覆わんばかりの桜が咲き誇る
桃源郷が存在すると
今では人々に知れ渡り
桜の時期、多くの見物客が訪れるようになった
原谷の桜
晴天で拝めるのが何よりだった
いまさらながら
京都の桜の風景
京都観光は
桜と紅葉が主
ここ数年
観光地は閑散としていた
2022年
観光客の姿が戻り始めた京都
あちこち巡ってみた
山号を等覚山
本尊を厄除千手観音とする寺院
千二百羅漢の寺としても知られる
創建当時は
東山松原通の地
六波羅蜜寺の近くであったとされるが
程なく荒廃し
鴨川の氾濫で廃寺となる
時代は大きく下り
昭和30年
当地にて復興を遂げる
羅漢は昭和の羅漢彫りに依る
京都府立植物園の歴史は古い
開園は大正13年
面積224haの広大な敷地に
テーマ別に約12,000種類
約12万本の植物が植えられている
緊急事態宣言解除をうけ
訪れたのがここだった
日本で最初の公立植物園
観覧温室のほか
正門花壇
はす池
ばら園など
20ほどのエリアから構成されている
この地は
上賀茂神社の境外末社
半木神社とその鎮守の森のあった場所
府民の憩いの場所である
高台寺の塔頭寺院
高台院の終焉の地とも云われている
伏見城の北政所化粧御殿を移築して
この寺院は造営された
北庭は小堀遠州の作であると知られている
庭園の名は
旧円徳院庭園
山縣有朋の別邸
元帥陸軍大将で
位階勲等功級爵位は従一位大勲位功一級公爵
内閣総理大臣をも務め
長州防衛線
戊辰戦争
西南戦争
日清戦争
第一次世界大戦
等々を戦いぬいた武人でもある
七代目植治により造作された日本庭園
琵琶湖疏水の水を引き入れ
池泉回遊式に設けられた庭園は
見事の一言に尽きる
緑豊かな
初夏の頃
訪れてみた
国常立尊を
八千矛神と
息長帯日売尊に合わせ
祀って創建した神社
城南離宮を白川上皇が造営したのちは
離宮の一部ともなった
ここは京都御所の裏鬼門
それが故
方除けや厄除けの神
として信仰を集める
梅雨の季節
神苑は濃緑に包まれる
高野山真言宗の寺院
関西花の寺二十五霊場第1番札所
開山は
養老4年というから
元正天皇の治世
本尊十一面千手観音菩薩を刻み
草堂に安置したのが始まりとされる
鎌倉時代には
25余坊の寺坊が軒を並べる大伽藍となる
戦火に遭ったのは天正4年
明智光秀が信長の命を受け
この地を攻め
やがて福知山を治める
この寺の成り立ちとは
また別の話だった