晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

別所探訪(60) 西浜別所-7 6/15

2014-06-15 | 別所探訪

2014.6.15(日)曇り

 小分け地名の別所が小字別所の中のどこに位置するかは重要な問題であった。奥野さんの田んぼがベッソというところだというのは貴重な証言である。ベッソと言うところは現地を確認したわけではないが、奥野さんの便りで、小字岩ノ下にある。小字岩ノ下にはベッソ、別所の小分け地名は無いが、東隣の小字福本に別所前という小分け地名がある。となるとベッソという地名はセブンイレブンから藤波園に行く道の東部分にあり、その東の小字福本に別所前という小分け地名が存在するとすればつじつまが合ってくる。ベッソと別所は同一のものだと思うので地続きに考えると、小字別所の中の別所(ベッソと思われる)は小字別所の東部分に存在すると考えられる。
 小字別所の中の小分け地名山崎は小字岩ノ下、小字山崎にも存在する。ということはそれら三つの小字に共通する部分に山崎という古い地名が存在していたと考えられる。山崎山(307m)の山名由来はこの山崎かも知れない。
P1030160
 

 
修正を加えて、小分け地名予想図が出来上がった、奥野さんに確認してもらって、再度マキノを訪れたい。

 同様に小分け地名岩ノ下は小字別所と小字岩ノ下に共通するので、藤波園の辺りから左の尾根に向かった辺りかと予想しているのだが、小字岩ノ下には夫婦岩という地名があり、この岩の下方が小分け地名岩ノ下と考えるのが妥当である。
 小字別所の中で谷地形は一ヶ所だけなので藤波園の奥の谷を柳谷と考えるのも妥当だと思う。また、御墓は現実に石塔のある穴虫との境にある尾根上の一部だろう。
 そうすると本来の別所は小字岩ノ下の東端から小字別所の東側だろうと想像できる。しかしこの景色を見ても別所とはなんぞやという答えは出てこない。特別な遺跡があるようでもないし、単なる山としか思えないだろう。
 
【今日のじょん】敷地内に侵入する鹿のことを書いてきたが、連日現れており、昼間は追われるので夜に侵入するようになった。センサライトが点灯して目撃されることもあるが、最近では巧妙になってセンサの届かないところでウロウロしている。音も立てないし、じょんも鹿には鈍感だし、その形跡すらつかめないのだが、先日から三日かかって、剪定したネムノキの葉を食べ尽くしてしまった。ユスラウメとタニウツギの新芽を食べられたぐらいで特段被害はないのだが、やがてなんでも食われだすとやばいので要対策となっている。P1030148 P1030152
P1030157  



13日、14日、15日の様子。

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別所探訪(59) 西浜別所ー6 6/14

2014-06-15 | 別所探訪

2014.6.14(土)曇り

 角川日本地名事典滋賀県の小字一覧は小字とその中の小分け地名が記されており、大変便利なのだか調査の際には苦労することが多い。
 例えば最近の例では草津市馬場町を訪ねた時のことである。馬場町穴虫には小分け地名、穴虫、植カケ田、馬場とあり、穴虫、植カケ田の位置はすぐに聞き取りで判明するのだが(植カケ田は仕掛田とみなす)馬場は「全体が馬場町なの」ということになり、確定できない。つまり町名馬場町は小字穴虫の小分け地名の馬場から来ていると思われるのだが、地元の人の意識としては馬場といえば町名となって、本来の意味をなす馬場は意識の中から消えてしまうようだ。
 小字名と小分け地名が複雑に入り組んでいる西浜では話は余計複雑となる。同じ小分け地名が、小字を越えて付定されているということは理解できないこととなるからだ。だから、「穴虫の福本はどこですか?」と聞いても、「福本というのは小字の福本のことで穴虫とは別」などという答えになってくるのだ。
 しかし複数の小字に存在する小分け地名が小字が出来る前の一定の地域だと気付くと、今ではどこの地域か解らなくなっている小分け地名の位置が解ってくる。
 小字の地図をコピーして、小分け地名を書き込んでいく。小字穴虫の凹の字を逆さにしたような奇妙な形も耕地の有り様からそうなったことが理解できる。小分け地名は耕地や居住地以前の利用状態から付けられた地名なのだろう。きれいに書き上げて奥野さんに確認してもらおう。
P1030159
 

小分け地名を理屈に合うように並べると、字配置図とは違った地名の配置が見えてくる。
その前に位置がはっきりしている地名があるので、書いておきたい。
一つは御墓(みはか)である。御墓は小字別所の小分け地名だが、R161号線を西浜に入ると藤波園の入口にセブンイレブンが出来ている。更に東に進んで北の田んぼの中を農道が走っている。農道が山裾にあたる辺りから、尾根に向かって山道があり尾根にあがるあたりに石塔があるそうだ。航空写真を見ると尾根上にはげた部分があり、その辺りらしい。奥野さんの言によると、三つの墓があるので三墓だと思っていたということである。なお、この石塔は近世のものと言うことだ。御墓は訪問可能なので次回登ってみたい。
 御墓はミハカ、つまり埋墓かという予想をしたが、この状況を考えると単純に墓があるから御墓と考えてよいのではないだろうか。そう考えるとこの地名は新しいものと思われる。
P1020890
 

 
藤波園の最奥からつづく地形は、小字別所唯一の谷地形で、柳谷というのがこれにあたると思うのだが、柳が生えるような地形でなく、一体何を示すのだろうか。
 今一つは奥野さんの耕作地であるベッソである。セブンイレブンから少し北に入った田んぼの部分で、小字福本になるのではないだろうか。もちろんベッソとは別所のことだが、小字福本には別所前という小分け地名がある。
 このベッソこそ本来の別所につづくもので、藤波園から東に見える尾根の一帯が別所と考えられる。つづく


【今日のじょん】忠の井堰が完成したので、じょんと見に行く。
一年前の景色がよみがえってきたが、願わくばオオサンショウウオが帰ってこないかと思うばかりである。

P1030154 P1030155 P1030156
 

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別所探訪(58) 西浜別所-5 6/13

2014-06-13 | 別所探訪

2014.6.13(金)曇り、雨

 では、正確な別所の位置を確認しておきたい。というのは私自身も別所の地を踏んでいないからだ。よくよく考えればどこの別所であれ、一回の訪問でその地を踏むことは出来ていない。
  別所地名事典の記事を見る限り、柴田氏が何度も別所を訪れている節は見当たらない。全国600ヶ所以上の別所をめぐるには何度も再訪することは出来ないのかも知れないが、読者としてその調査の結果に満足できないのはそのせいかもしれない。
 西浜小字別所(べっしょ)は、山崎山から南方に派生する最も西の尾根筋から真ん中の尾根の尾根筋までで、藤美寮を取り囲む山域である。その中に小分け地名として、山崎、岩ノ下、柳谷、別所、御墓がある。
 別所の南、藤美寮や藤波園、その南の別荘地などがあって、東西に走る印内川までが小字岩ノ下で、笠取、岩ノ下、山崎、夫婦岩の小分け地名がある。
 別所の東は小字穴虫で穴虫、福本、長谷の小分け地名がある。そして穴虫の南が小字福本で福本、穴虫、別所前の小分け地名がある。
 地域を複雑にしているのは、小分け地名が輻輳していることだ。例えば岩ノ下、山崎は小字別所と小字岩ノ下にあり、山崎などは小字岩ノ下の南に小字としても存在するのだ。同様に穴虫、福本は小字穴虫と小字福本の中にある。
 当初同じ小分け地名が数カ所にあるという風に考えていたが、連日奥野さんにいただいた地籍図を眺めていて、遂にひらめいた。
P1030142
 

連日、奥野さんにいただいた地籍図を眺める。
 それは小字の境が尾根や川、道路といった地理的に明確な要素で線引きされていることだ。今まであまり気にしていなかったがそれはどこの地域でも当然のことと思える。それは小字の成立が何時の時代か解らないのだが、行政上の必要に応じて境界線が引かれたためだろう。
 ところがそれ以前に人びとの生活のために必要な区域が存在していて、誰にでも解る地名を付けていたとしたらどうだろう。それこそが小分け地名になっている部分で、地名の意味のある区域なのだ。同じ小分け地名が隣接した小字に存在するということは、元々の小分け地名の区域の中を小字の境界線が走ったということだろう。P1020893
 


山の部分は小字別所である。しかし本来の別所はこの中の一部である。
 コロンブスの卵のようなことであるが、このことは一般的に地名の意味を考える時非常に重要なこととなる。別所にしても穴虫にしてもその元となる、本来の別所、穴虫を探して調査しないと何も得られないということだろう。つづく

【今日のじょん】久々にうみんピアにスイムに行く。もちろんじょんは車で待ってるのだが、その前の先端芝生広場の散歩が楽しみ。とにかく芝生がすっかり緑になってきれいなこと。よく見ると葉が細くて固い、少なくとも高麗芝ではない。冬は枯れていたので、バミューダーグラス系のティフトン芝かも知れない。じょんのびドッグランどにも少し植えたのでお楽しみに、、、。(1㎡のみだけど、、、
P1030150P1030151 

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別所探訪(57) 西浜別所-4 6/12

2014-06-12 | 別所探訪

2014.6.12(木) 雨、曇り

 柴田氏は全国の別所を探す際に角川日本地名大辞典(以下角川地名辞典と記す)の小字一覧を参考にしたと前書きのところに書いておられる。例えば但馬国の別所については、小字一覧が掲載されていないので、菊池があげる大蔵村別所一ヶ所しか発見できていない、という風に書かれている。これほどの金属地帯であれば、角川地名辞典に小字の掲載が無くても他の資料で探して欲しいと思うところだが、とにかくこの小字一覧が別所探しの基本となっているようだ。
 そう考えると、別所地名事典に掲載されている、西浜”別所”(べっそ)というのは違和感をおぼえる。角川地名辞典小字一覧には別所(べっしょ)となっているのだ。(べっしょ)も(べっそ)もあるいは別荘、別曽、別惣なども意味は同じなのだが読みは違うわけで、柴田氏も区別されているし、地名の研究としては当然のことである。
 氏が記事にされている別所(べっそ)は小字別所(べっしょ)とは違うものと考えられ、そうなると地図や写真の位置が違っても当然ということになる。
ところが別所地名事典には以下のようにある。
 
青谷氏によると、別所は山崎山の南麓で、藤美寮のある裏山あたりでちょっと人家があった所とは思えない所だという。そこに人間が五~六人は入れる「眼八(がんぱち)」という洞穴があるということであった。
 青谷氏というのはマキノ町史へんさん室におられた方で、柴田氏は別所、印内、海津天神社に案内してもらったとある。ここに書かれている別所は本来の小字別所で、柴田氏も案内してもらったとしたら、あの地図や写真は一体何なのだろうか。
 ちなみに文中にある「眼八」という洞穴のことであるが、いつか奥野さんに確認したいと思っているが、別所の北に間ヶ谷という小字があり、かん八というところがある。そしてその北に眼八という小字があるのだがそれはもう下開田(しもかいで)の地域になり、そこが眼八洞穴であるとしたら別所とは無縁のところとなる。
P1020894
 

所の尾根を蛭口方面からみたところ。尾根のこちら側は蛭口向山で、左のこんもりした部分の奥がかん八、眼八は写真よりずっと左である。
 このように地名を扱う事典としてはその内容に信頼性を欠くものといわざるを得ない。つづく

【今日のじょん】おべんとじょん
これは昨日の写真である、昼も夜もおねだりしてご飯をもらってるじょんなんだが、慌てて食べたようでおべんとじょんになっていた。笑えること。P1030135
P1030136 
 
 

 

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別所探訪(56) 西浜別所-3 6/11

2014-06-11 | 別所探訪

2014.6.11(水)曇り、雨

 「重箱の隅を突く」という諺がある。わたしの「全国別所地名事典」(柴田武弘著)に対する批判は将にこの状態である。全国の600を越える別所を調査し、事典として上下巻の巨大な書物にまとめられ、その他多くの出版物を出しておられる柴田氏の説や著書に対してわたしの述べることなど、重箱の隅どころでない些細な抵抗でしかなく、ごまめの歯ぎしりと言ったところだろうか。
 地名辞典のバイブル「地名の語源」にもベッショは蝦夷の捕虜を移住開墾させた所とある。菊池山哉、柴田弘武両氏の研究のたまものであろう。
 しかし柴田氏の著書を読んで、なぜ別所が蝦夷俘囚の移配地だと言えるのか少しも理解できないのである。また、別所事典の記事を見る時、その調査方法について疑問を持たざるを得ない部分がある。「別所探訪 菟原中」のところで述べてきたのだが、それは600以上ある別所の一つについての調査方法に関してであるが、疑問は疑問なので敢えて「重箱の隅」を突きたいと思うのである。

 菟原中の別所について最も不満なことは、柴田氏が別所の地を踏んでいないことである。確かに養鶏場の奥の山中であり、足を踏み入れるのも躊躇される場所だけれど、探求者としては現地に立ってみるというのが基本だろうと思う。
 「全国別所地名事典」西浜別所の疑問点
 ここでも柴田氏は別所の地を踏んでいない。そう勘ぐるのは、別所事典に掲載されている地図と写真は同一のところを表しているが、それは小字別所ではないということだ。当初はそのことが解らないので、その地図で見当をつけて市役所に向かったが、別の箇所に別所を見つけて驚いたのである。
P1030137P1030138
 

(別所事典に掲載されている地図と写真、コピーされたものなので見にくいと思うが。)

 既に書いたところだが、小字別所は山崎山から西浜に派生する三つの尾根の左の尾根筋から真ん中の尾根までの地域であり、写真で写されているのは海津天神社のある尾根であるし、地図で示されているのは三つの尾根の最も東、穴虫と海ノ谷の境の尾根辺りと目されるのである。地図の場合は簡略されたもので、はっきりした位置を示すものではないが、別所事典の別所は明らかにJRマキノ駅の東にあり、本来の別所はマキノ駅の西にあるのである。つづく

 【今日のじょん】昨晩は蒸し暑くて、じょんのび谷に初めて蛍の明かりを見つけた。そして今朝はかみさんがポストの台木からタマムシが這い出してくるのを見つけた。タマムシは3年間幼虫として木の中で過ごして出てくるそうだが、昨夏初めて見つけた時は随分感激したものだ。玉虫は榎を食樹とするのでこの季節乱舞することとなる。是非見に来てちょうだい。
P1030134

P1030132_2P1030131 

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別所探訪(55) 西浜別所-2 6/10

2014-06-10 | 別所探訪

2014.6.10(火)曇り、雨

 別所探訪の際にお会いした奥野さんから西浜周辺の詳しい地籍図を送っていただいた。市役所でわたしが確認したものと同じものなのか解らないが、別所と穴虫の位置について、わたしの認識と違っていた。というのは市役所の字配置図はどこの役所でも複写は出来ず、手持ちの地図に写し取る低度で、その地が未知の土地であればかなり正確性を欠くものであることは否めない。
 最後に送られてきた地籍図が最も正しい字の位置を示していると思う。
 改めて西浜別所と穴虫の位置についてはっきりさせておきたい。それは別所事典の記事に対する疑問と大きな関係があるからだ。
 山崎山(307m)から西浜に三つの尾根が派生している。一番左(西)の尾根の尾根筋から左(西)は蛭口の向山で尾根筋の右(東)から真ん中の尾根の尾根筋までが小字別所であり、角川地名辞典によるとよみは”べっしょ”である。真ん中の尾根の尾根筋から右(東)から一番東の尾根の尾根筋までが小字穴虫である。そしてそれより東が海ノ谷となる。
 そしてマキノ駅の東に小字印内前があり、その中に印内があり、印内川は山裾と国道の間を西から東に流れている。
P1020892
 

山の部分は別所、建物のある所は岩ノ下である。
 複雑なのは小分け地名で、小字別所の中に別所、御墓があり、小字福本の中に別所前がある。
 奥野さんの耕作地は”べっそ”と言うそうで、福本にあるようだ。また、”みはか”と呼ばれるところは穴虫か別所にあるようだ。
 このように地名が錯綜して、理解しがたいところがあるが、別所事典の示す別所(べっそ)はもっと理解しがたいものである。つづく

【作業日誌 6/10】
草刈り隣地

 【今日のじょん】上林川の井堰工事は昨晩も嵐の中を深夜まで行われていた。豪雨のニュースが各地から寄せられるので急いでいるのだろうか、納期の都合があるのだろうか、丁度工事の方が出勤してこられたので聞いてみた。「今日中にかたづけるよう府の命令で困ってるんですよ」どうやら鮎の解禁の都合で早急に工事を終わらせないといけないらしい。府の肝いりとなると、漁協関係者が府にクレームを入れたと勘ぐらざるを得ない。河川工事だと水が濁るのは当然だし、工事の日程だって当初から決まっていたものだろうし、いまさら文句もないだろうと工事の方に同情する。慌てて事故など無いように祈るばかりである。P1030125

P1030126



井堰は完成してるのだが、土嚢や土砂の処理と付近の原状回復が大変みたい。

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別所探訪(54) 西浜別所-1 6/9

2014-06-10 | 別所探訪

2014.6.9(月)曇り

 マキノ町に別所を訪ねて旅したのは5月13日のことである。別所というより研究中の穴虫を訪ねたというのが正しい。穴虫地名のある所に別所が存在する例は多い。綾部市上杉町穴虫も山一つ向こうに舞鶴市の別所がある、与謝野町男山にも穴虫と別惣がある。いずれ一覧にして解りやすいようにしたいと思っているが、穴虫と別所が隣り合わせにあるのはいまのところこの西浜しか確認出来ていない。
 柴田弘武氏は全国別所地名事典(以下別所事典)の西浜別所のところで、「
最後に小字名でその跡を確認しておこう。西浜に、ソブ田、福本(二ヶ所)、穴虫、犬豆、樋ノ口があり、海津町に金堀、金くそ松ノ木、吹谷、寺西金屋、中山がある。」その跡とは何を示しているかといえば、産鉄そして蝦夷俘囚の移配地ということである。
 穴虫も金属に関連する地名ととらえられているようだが、それは穴が坑道を意味するように考えておられるようだ。
P1020890



穴虫考(62・2014.5.15)では藤波園の奥のこの写真部分は穴虫と伝えていたが、最新の情報で別所であることが解った。
 穴虫地名を調べていると確かに金属関連地が多い。地名研究者が、「穴虫ー穴道ー坑道」という説を提唱されたら結構受け入れられるのではないかとさえ思う。しかし穴虫地名を探求しているわたしとしては、少なくとも今現在は、穴虫は金属の製精錬の技術を持つような渡来人の使う地名で、葬制、墓制に関わるもの、という風に考えている。つまり穴=坑道というのは短絡的な見方ではないかと思う。
 湖北バイパス(R161)をマキノ町に向かって走っていると、沢の辺りだろうか別所事典に掲載されている西浜別所の写真によく似た景色が見える。あの別所はどんなところだろうかとわくわくする。
 西浜別所の位置は別所事典にも簡単な地図が載っており、事前に航空写真や地理院地形図で予測してきた。ところが事前に市役所の字配置図で確認した位置とやや違うのだ。これはどうしたことだろう。つづく

【今日のじょん】堤防が草だらけだったので散歩コースから外してたんだけど、昨日の草刈り行事が済んだので久々に歩いてみる。草の刈られた道は気持ちいいけど、棘がはびこり、完全に刈れていないのでこのままでは散歩に辛そう。P1030120    
 向こう岸もきれいになったのだ。

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土喰庵6月のレシピ(3) 6/8

2014-06-08 | 食・レシピ

2014.6.8(日)晴、曇り、雨

 らっきょう酢
 山椒、梅、らっきょうなどは昔の田舎の常備菜なんだが、子供にとってはあまり好まれるものではない。ところがわたしが子供の頃に食べたらっきょう漬けは忘れられない味であった。酢の調合はおそらく荒くたいもので酢だけだったのかも知れない。らっきょうは小さくて歯触りがいい、ポリポリといくらでも食べてしまうのだ。ところが畑でらっきょうを作っている気配はない。母に何かと聞いたら、畑の土手に生えている野生のらっきょうだという。野生のらっきょうなんてものがあるのかと思い、土手に行くと確かにある。ただ青いネギのような長い葉はなくて、短い草のようなものだった。根、本来は茎の部分はまさにらっきょうで、ノビルのような丸いものではない。
 とにかく子供時分の記憶なのではっきりしないのだが、こんな思い出がある。
 今年のらっきょうは出来が悪い、粒が小さいのだ、収穫が早いのだろうか。あまり大きくない方が美味しいのでこんなもんでいいかとばかりに処理をするが、とにかく面倒だ。根のヒゲの部分と首の部分を切っていくのだが、あまり深く切ると実が緩んで歯ごたえが無くなるという。しかしこれはあまり真実ではなさそうだ。むしろ根の付け根の固い部分が残っている方が食感がよろしくない。
 出来上がったらっきょう酢で一番気になることは、固い繊維質が残っていることだ。これは大きい粒ほど顕著である。例年の収穫が遅すぎるのだろうか。
P1030097


湯通ししたら余計色白になった
 そういう意味では今年はいいかもしれない。
 漬ける前に熱湯をかけていたが、今回は15秒ほど湯通しした。例の繊維質が少しでも柔らかくならないかという試みである。
 酢はどうしてもうまくできないので市販のらっきょう酢を使っている。おたふくの専用酢は今のところ一番だ。
 700g漬け込む。

【作業日誌 6/8】
上林川草刈り

 【今日のじょん】でかいカタツムリに驚いているところ。クンクン嗅いでいたのが急に動き出してびっくり仰天。P1030103
P1030102 


何じゃこりゃ? ワオッ!
P1030112


昨日ゲンタが来じょん、おかーはおしゃべりに夢中

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土喰庵6月のレシピ(2) 6/7

2014-06-08 | 食・レシピ

2014.6.7(土)曇り

 山椒醤油煮
 実山椒 160g
 酒   大さじ5杯
 みりん 大さじ2.5杯 
 醤油  220cc

 山椒はサッと湯がいてから小枝をとる。生のものよりとりやすい。なにしろ小枝とりが最大の仕事だから。
 小枝がとれたら水洗いして、沸騰した水に塩をひとつまみ入れ、10分ほど湯がく。塩を入れるのは多分色鮮やかにするためと思うが定かでない。湯がくのは皮を柔らかくするためだろう。
 水を切って冷水につけ、30分ほどおく。これはあくを取るためらしい。
 これでいいのだけど、今回やや収穫が遅れたのでもう一度繰り返す。
 毎年のことだが、収穫時期は実に難しい。花が咲いて実が着いて、小さいなと思っていたらすぐに大きくなって、皮が固くなってしまう。毎日採ってみて、中がゼリー状の時が一番。
 あとは上記の調味料を鍋に入れてとろ火で炊くだけ。量が多ければコンロに炭火をおこして炊きあげるのがよろしい。水気が無くなってきたらできあがり。すぐにでも食べられるが、置けば置くほど味がしゅんでいい。

 山椒塩漬け
 今年はちりめん山椒は作らない。ちりめんを買いに行ってる間に山椒の収穫が遅れ、思うようなものができないからだ。というより塩漬けさえ作っておけば好きな時期にちりめん山椒も出来るからだ。
 醤油煮で余った山椒が150gある。これを瓶に入れ、粗塩大さじ2杯をよくまぶす。冷蔵庫に入れておしまい。
 煮魚なんかの料理に風味付けに使うといいらしい。落ち着いたらこれでちりめん山椒もつくってみるか。
 あとは木に着いたまま残った山椒から粉山椒を作ることと、よく育った山椒の木からすりこぎを作りたいと思っている。乞うご期待。

【作業日誌 6/7】
店の玄関周り蔦の剪定
P1030113 P1030114



玄関の階段や、南側の段も蔦が蔓延していたのだ。

【今日のじょん】
蛇忌避剤は効かない。忌避剤を撒いて11日目、遂に現れた。しかも忌避剤を撒いたその上で悠々と日向ぼっこをしているのだ。
P1030106 P1030107
 


おや~、ありゃあ
 わたしは忌避剤の効果について懐疑的であったのでこの日が来ることを逆に期待していた。しかしこの数日間の効果を認めないわけにはいかない。この間この地方はさしたる雨も無く、粒剤は流されることなく残っている。
 結果は一応効果は認められるが、効能書きにある期間(一ヶ月)は効かないということだろう。
 我が家には他にプロ用という蛇忌避剤がある。どういうプロなのか解らないが、次はこれで試したい。



    

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土喰庵6月のレシピ(1) 6/6

2014-06-07 | 食・レシピ

2014.6.6(金)曇り

 近畿地方の梅雨入り宣言はなされたけれど、まだ北部では降雨も少ない。
この時期の収穫御三家は、山椒、ラッキョウ、梅である。いずれも一気に収穫して処理をしなければならないものばかりで精神的プレッシャーがきつい。
 その上、下ごしらえにやたら手間のかかるものばかりなのである。幸いなことに今年は梅の出来が悪い年で、梅肉エキス、梅干しを作ることが無さそうなので喜んでいる???

 山椒の醤油煮
 山椒というのは世界中でどれだけの国で食べられているのだろう。ひょっとしたら日本だけではないかと勘ぐっているのだけど、それはあまりに日本的な味だからだ。山椒が最も山椒らしいのは醤油煮である。
 亀岡の加舎の里カントリーは安くてトリッキーなコースでよく通ったが、どういう訳かここのフロントで山椒の醤油煮の瓶詰めを販売していた。家の者は誰も食べないので、一瓶買えば半年ぐらいもったのだけど、とにかく切らさずに食卓にあった。夏の暑い朝などこの山椒醤油煮のお茶漬けだけで済ましたものだ。
 水上勉「土を喰ふ日々」のなかに母方の祖母のこととして山椒煮のことが載っている。
P1010964
 


 
孫の私が昼めしどきに家へゆくと、箱前に茶碗一つおき、白めしをよそおうだけでおカズは何もない。不思議に思って見ていたら、善のわきにある信楽壺の口に紐をまいてフタがしてあった厚紙をとりのけて、二本の箸を壺へつっこみ、枝もまじった山椒の実を少しはさんでめしの上においた。
 壺はつまり、祖母の常備菜であって、真夏のすすまない昼めしの一菜だった。

 という風な文がつづく。貧しい祖母は一日とて実山椒の煮つけを欠かしたことはなかったそうな。
「おばば、さんしょうまいかのう」
「うん、これがありゃ、うらはなーんもいらん」
 山椒の煮つけというのはおそらくこの醤油煮のことかと思うのだけど、たとえおばばが世界中のグルメ食を経験したとしても、これが一番美味いものだというのだろう。P1030098
つづく


半分は醤油煮、半分は塩漬けとした。

【作業日誌 6/6】
らっきょう漬け込み、次回植えつけ準備
芝刈り3回目

【今日のじょん】
 らっきょうのそうじをしている時だ、ドッグランど横の獣道に例の鹿が現れた。番茶も出花の年頃の娘さんのようで、なかなかかわいらしい。今のところ害が出てないので気楽なことを言ってるが、とりあえず追っておこう。じょんは家の中で知らん顔している。これが猿だと大騒ぎするのだが、、。P1030095 P1030094  

  

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穴虫考(78) 馬場町ー7 6/5

2014-06-06 | 地名・山名考

2014.6.5(木)雨、曇り  考察-4

 穴虫パターンはあるのか?
 穴虫パターンというのはわたしの造語で、民俗学辞典や日本史辞典を紐解いても現れないので悪しからず。
 穴虫地名ー穴地形の川、谷、街道ー葬地といった配地でのことである。穴地形とはこれもわたしの造語なのだが、山と山に挟まれた狭い渓谷、通路などを示し、元は瀬戸内海の島と島に挟まれた海峡をいう。
 葬地については確認のしようがないので、地名による確認をしている。青地名について長々と述べてきたのもそのためである。
 現在のところ、綾部市上杉町の穴虫を除いておぼろげなものもあるがすべて穴虫パターンが成立している。これが単なる偶然なのか、必然なのかは今後の調査によるものだが、少なくとも穴虫の位置が不明の場合、このパターンを地形図に当てはめて捜索しているのが実情である。
 今回の場合、馬場町の墓地ー青地、願信寺付近ー菖蒲谷川(山寺町)を穴虫パターンとして捜索したのだが、穴虫は予想される位置ではなかった。
P1030065
 

馬場町の巨大な墓地は穴虫とは無縁なのだろうか?

 それでは現実の穴虫から穴虫パターンを探すと、草津川の流路が現在の位置とは限らないが、それを1,500m程南に遡った時二つの小ピークに挟まれた流路となり、この部分は時代による流路の変遷は考えられない。この部分を穴地形部分とすると、葬地が桐生(大津市)に存在することになる。
 桐生はかつては栗太郡上田上村(かみたなかみむら)であり、小字一覧を見ると南ムシ、北ムシ(ムシ)が存在する。現地を見てみたいのだが、このムシが無所を意味するなら一応穴虫パターンは存在するように思えるのだが、如何だろう。P1030063



草津川、遠くに見える山の間が穴地形となっており、その向こうが桐生である。

【作業日誌 6/5】
ラッキョウ、ニンニク収穫、えらい小さい、ちょっと早かったかな。
P1030090

 

【今日のじょん】近畿地方も梅雨入り宣言され、いきなり各地で豪雨のニュースが入っている。上林川の堰堤工事もまだ途中で、土嚢が積まれた状態である。昨年のような豪雨が来たらひとたまりも無いので、ビフォア写真を撮っておいた。幸いたいした雨も降らなかったのでよかったよかった。
P1030089

 

 

 

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穴虫考(77) 馬場町-6 6/4

2014-06-06 | 地名・山名考

2014.6.4(水)曇り 考察-3

 穴虫遺跡について
 馬場町に古代遺跡が見つからないのは不思議である。周囲の山寺町、青地町、岡本町に古墳を主とした古代遺跡が数多く存在しているのにこの地は皆無なのだ。詳しく遺跡を調べてみると、馬場町に穴虫遺跡というのが見つかった。ただし、中世以降の土師器、須恵器、中世陶器の散布地というものである。小網谷遺跡というのも同様で、あとは奥村城遺跡に関するもののみである。

 馬場町になぜ古代遺跡が無いのか、やはり馬場町の平坦部分は草津川の氾濫原であって、居住に適していなかったのだろうかと素人ながら考えてしまうのだが、それならば東側の丘陵部にあってもおかしくはないはずで、混迷してしまう。
 しかし視野を広げて見ると、大規模な古墳群や木瓜原遺跡や野路小野山遺跡などの製鉄コンビナート遺跡が目白押しで、古代の重要な地域であることには違いない。
 馬場町の穴虫とミクロ的に考えないで、周囲の町も含んだ志津荘の穴虫と考えなければ穴虫の本質を見失うのではないだろうか。つづく
P1030062


これは馬場町穴虫から草津川をへだてて岡本町を見たものである。古代に草津川がここを流れていたとは限らないし、岡本町、馬場町という区別もない。

 【作業日誌 6/4】
 キュウリネット

 【今日のじょん】最近高齢化が進んで草刈りが出来ないで除草剤に頼るところが増えてきた。ところが堤防などのきれいな芝までも除草剤で枯らしているケースが増えている。写真は昨年除草剤を撒かれたところで、芝はほぼ全滅、新たな雑草は元気で、苔、石クラゲがのさばっている。
 じょんの散歩道も除草剤の撒かれてないところは無く、やりきれない気持ちである。P1030088

 

 

 

 

 

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穴虫考(76) 馬場町-5 6/3

2014-06-04 | 地名・山名考

2014.6.3(火)曇り 考察-2

 穴虫は実際どこなのかという問題がある。地名辞典の小字一覧には、穴虫(穴虫、植カケ田、馬場)とある。植カケ田が現在の仕掛田だとすると、小字穴虫は草津川から願信寺方面に至る大きな地域となる。
 岡本工業団地口の橋から東に走る農道から北が小字穴虫の地域で、橋のたもとで軽トラのおじさんに聞いた穴虫がそれにあたるのだろう。それに対して、奥村さんに教えてもらった橋の北の堤防の地域が小分け地名の穴虫と考える。P1030055

 

農道から北(左手)の広い地域が小字穴虫で極手前の森辺りが本来の穴虫のようである。
 穴虫の意味を考える時、やはりピンポイントである小分け地名の穴虫を見ないといけない。しかし、志津村の大字である馬場(ばんば)、つまり草津市馬場町の馬場の地名が、小字穴虫の小分け地名の馬場から来ているとしたら、なぜ小字地名が馬場でなく穴虫なのか疑問に感じる。穴虫という地名がこの地域において重要かつ普遍的であったのだろう。
 葬地、墓地と関係がある地名だと仮定すると、馬場町の穴虫は河原のドウガラステバ、いわゆる遺体処理場がふさわしい。地先の島、岬、河原、中州などがそういった場所に選ばれたと言われているが、奥武、青の島などには戦前あたりまでそういった風習が残っていたところもある。それらの風習が海人のもたらしたものであるとすれば、彼らが日本海沿岸から河川に沿って内陸部に進出した場合、地先の島、岬の葬地が河川の対岸、中州に取って代わる可能性は充分考えられる。
 そういう葬地が草津川右岸の穴虫であるとしたら、そこを葬地とした人たちは左岸に居住していると考えられる。そうすると古墳や遺跡の状況から古代人が居住していたと考えられるので、つじつまは合ってくる。
 しかしこの仮説には重大な欠陥がある。草津川はこの地域特有の天井川であり、その生成の過程には築堤が存在している。つまり古代にはこの堤防は存在しないだろうし、流路も現在とは違うかも知れない。
 地形図を見ると鶏冠山(490m)から北に派生した三つの尾根が岡本町、馬場町、山寺町(栗東市)を作っている。草津川は築堤のためか割合直線的に走っているが、その一本西の若草と岡本町の間の川などは随分蛇行して青地町に流れている。また馬場町の真ん中を流れている流路も見られる。
 堤防の無い時代には、草津川は蛇行を繰り返しながら、馬場町の平地の間を流路を変えて流れていただろうと想像される。
 従って現在の穴虫の位置、特に築かれた堤防の景色を見て穴虫を論ずることはあまり意味がないのではないか。つづく
P1030063


草津川右岸、向こう側の岸が穴虫なのだけれど、この景色は本来の穴虫の景色ではないと思う。

【作業日誌 6/3】
溝さらえ、歩道清掃
P1030086



6年目にして初めて出来た溝さらえである。

【今日のじょん】蛇情報に変化があったわけではないのだが、いつもの連中はどこで日向ぼっこしているのだろうかと付近を探してみる。姿は見当たらないが、抜け殻が見つかった。しかし忌避剤散布後のものか以前のものか解らない。P1030084 P1030085

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穴虫考(75) 馬場町-4 6/2

2014-06-03 | 地名・山名考

2014.6.2(月)晴 
 考察
 たった1回の訪問で、しかも数時間穴虫という小字を探し回っただけで考察が出来るとは思わない。考察というよりは考察するために次に何をすべきか、何を調べるべきかを考える作業である。ただ問題は次に訪問できるか否かだ。その前に未訪の穴虫をまず訪ねてみたい気持ちがあるからだ。いずれにしても今回の訪問の結果を総括しておこう。
 
 地名は消える
 いみじくも史子が、「あのおじさんが亡くなったら誰にも解らなくなって、地名って消えてしまうんやね」と言った。郷土史や役所に眠っている古い地図に小字名が残っているかも知れないが、少なくとも公にされている地図や文書には旧字名はない。穴虫は馬場町57?番地なのだ。地元に住む人だって、若い人は誰も知らない。田んぼや畑を耕作している人たちは字名や小分け字名をを使っているかも知れないが、その人達が亡くなったらその地名も忘れられてしまう。そして何の意味も無い番地が残るだけなのだ。
 高島市が合併した時に、決まっていた市名は西近江市だったそうだ。高島郡の町々が合併して西近江市になったら地名の意味は無くなってしまう。高島には、吉田金彦氏が「川の上流に栄えた高貴な特別区」と解されている。(京都・滋賀 古代地名を歩く)高島の住民が西近江市を破棄して高島市と命名されたことは素晴らしい選択だったと思う。
 今ここで志津村馬場字穴虫の位置を活字に残しておくことに大きな意義を感じている。

 穴虫はどんなところか
 草津市の遺跡目録を見ると穴虫遺跡は中世の遺跡で土師器、須恵器、中世陶器の散布地とある。馬場町の他の遺跡もすべて中世の遺跡で、古墳や古代の出土物は無いようである。周囲には古墳や製鉄遺跡など古代の重要な遺跡が存在するのに、この一角だけが空白となっているのは意外だ。P1030067

 

小槻神社(青地町)の石垣には古墳の石材が使われている。部田古墳群のものらしいが、すぐ近くには古代の遺跡が多い。
 なぜそうなのかは解らないのだが、今まで調査してきた穴虫が、古代の重要な地域、またはその近隣に存在していたので穴虫は古代の地名という風に思っていた。もし仮に馬場町の文化が中世から始まっていたとしたら、穴虫は中世以降に作られた地名となるし、古代からあった穴虫という地名がその意味を伝えたまま中世に使われたかということになる。地名には年代を示す物的証拠がないものだから、永遠に謎なのだが、わたしは後者の使われ方を支持したい。ただ、それが意味するものは年代がたつにしたがって変化することも考えたい。
 もう一つの考え方は、例え古代の遺跡がなくても古代人が居住していた可能性が無いわけではない。ただ、著名な氏族とか文化人ではなく、歴史の表舞台に出てこない庶民層と思われる。穴虫が庶民にとっての意味のあるものであったら、穴虫は古代からの地名と考えてもよいだろう。つづく
【今日のじょん】
蛇忌避剤5日目。今日も絶好のひなたぼっこ日和だが姿が見えない。そろそのその効果を認めざるを得ない時期に来たが、一応1ヶ月有効と書かれている。1ヶ月も似たような写真を見せられても退屈だろうから、変化があった時に紹介P1030082 することにしたい。 
 

 

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穴虫考(74) 馬場町-3 6/1

2014-06-03 | 地名・山名考

2014.6.1(日)快晴 33度の高温

 願信寺では、ご住職は不在だったようだが奥様が親切に対応してくださった。穴虫については解らなくて、ご住職のお母さんにも尋ねてもらったが解らなかった。ただ町内の年配の方でご存じかもということで奥村さんを紹介していただいた。そしてこのお寺のある所が仕掛田ということも確認出来た。
 田舎の道案内というのは難しいものだ、とにかく目標物がない。人が居たら聞けばいいかと道を南進するが、昼時とて人影も見当たらない。茨谷は人家の多いところと聞いていたので、そちらの方に行く。実は田んぼに人影が見えたからだ。田植えの済んだ田んぼを見回っての帰りの風だ、あぜ道を歩いてくるおじさんと一緒になった。「済みません、穴虫と言うところを探しているのですが、、」不審がられてなかなか一筋縄ではいかないケースもあるのだが、今回は史子が一緒なので安心感もあったのだろう、即座に答えが出た。「あの黄色い建物の方向が穴虫だよ。お寺の辺りが仕掛田、馬場というのは町全体のこと」という明確な答えであった。
P1030050


この左手に草津川が流れている、黄色い壁の建物の向こう辺りが穴虫とのこと。
 墓尻、墓前などは先ほどの大きな墓地の周辺のことだそうだ。穴虫とはどういう意味ですかと聞いたが、本当に分からない様子だった。獣害のことなど色々拝聴して、「失礼ですけど奥村リョウイチさんですか?」「そうだよ」お寺で紹介された本人である。いつかまたお話を聞く機会があるかも知れない。写真を撮らせてもらって、穴虫に急ぐ。
P1030052


お話好きの奥村さん。
 穴虫は菖蒲谷に向かう峠の麓という予想とは裏腹に、反対側の草津川の河岸方向であった。この辺りというのは奥村さんに聞いていたが、実際どこが穴虫か解らない。橋のたもとの家に寄ってみるが不在の様子、やがてお寺方面から歩いてくるご婦人があり、聞いてみると分からない様子だったが、いきなり通りがかりの軽トラを止めて、「この人に聞いて、わたしバスの時間があるから、、」
 軽トラから降りてきた人がどうも地図のプロみたいでやたら詳しい。堤防にあがってきた道から北が穴虫、南が村前、菖蒲谷川から西の部分が小網谷と教えてくれる。
 市役所を訪ねた時には絶望的だった小字調べがこうもまあ運良く解決するとは思わなかった。
P1030055


むこうに願信寺の緑の大屋根が見える。こちらに向かう道の左手が穴虫、右手が村前。
 とにかく穴虫は草津川から東部分、小分け地名の穴虫はどうやら無人の藪の辺りと思われる。
P1030060 P1030056
 


これが穴虫だ、堤防の下は砕石かなんかの現場となっている。

穴虫の位置は確定したが、さてこの穴虫には如何なる意味があるのだろう、次に考察に移りたい。つづく

【今日のじょん】蛇忌避剤実験4日目、今日も絶好のひなたぼっこ日和、ところが一向に姿を見せない。かといって他の場所から顔を出すわけでも無いのだ。
P1030081

 

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