晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

穴虫考(82) 香芝市穴虫-4 6/23

2014-06-24 | 地名・山名考

2014.6.23(月)曇り

 穴虫交差点から、国道165号線に沿って歩く。バイパスと違って歩道も無くなり歩きにくいが、五月が丘の看板の所から穴虫の旧街道に入ると俄然様相が変わる。殺伐とした国道の風景から打って変わってしっとりとした古い町並みとなる。とにかく家屋が大きい、古い街道の雰囲気充分だ。中に研磨工場が3軒ほどあった。二上山から産する金剛砂を使った地場産業である。
 ちょっと遠回りしたが、やがて大坂山口神社の参道、鳥居にたどり着く。カンカン照りのもとで娘も疲れてそうなので、小休止、水分を補給する。
 神社の参道というのは大体登っていくものだが、この参道は小さな峠を越えて下っていくのだ。しかも植林と溜池で妙に陰気くさい谷だ。
P1030206P1030207 
 

 
大坂山口神社参道と書かれた石柱や鳥居は新しいものである。すぐに小さな峠となる。

 実はこの参道の谷こそ今回の訪問の目的なのだ。
 香芝市穴虫は各地で見つけた穴虫の中でも最大の面積を誇る。香芝市の南西の一画、市の五,六分の一近い面積となっている。古い町並みと圧倒的な新興住宅地の中で穴虫交差点付近から東に飛び出た緑の地域は不思議な感がする。この緑の地域が残ったのは、大坂山口神社、安遊寺、真善寺の存在のためなのか、あるいは旧来の地であって新興住宅地となるのを拒んだためなのか判らない。地理院地形図でみると、大坂山口神社の裏山である宮山、ゴボ山の西が穴虫西、東が穴虫東となっている。さすればこの辺りこそ元々の穴虫ではないかと思うのは当然である。
 そして「二上山」(田中日佐夫著)の中に威奈大村の蔵骨器なるものが1770年に発見されたという記事を見つけたのは、今回の穴虫訪問の数日前であった。急いで資料を調べると、蔵骨器が発見されたのは大坂山口神社の参道脇のゴボ山周辺らしくて、707年に威奈大村が没したということで、当時の役人の火葬墓がこの周辺にあったというものである。
 となると、この谷(あとで別所ヶ谷と判明)こそ祭祀場所~穴地形~葬地・墓地という穴虫パターンに合致するものと思ったわけだ。
P1030208 P1030209
 


所ヶ谷を降っていく。振り返ってゴボ山方面。

 そう思って歩くためかすこぶる気味が悪い。特に植林の中は薄暗くていけない、その上カラスが飛び回ったりして臨場感たっぷりだ。やがて左手に弁財池が見えてくる。たもとに廃屋らしきプレハブの家が見える。よくぞここに住んだものだと感心する。
 やがて空が明るくなって、民家も見え始める。右手にお堂があり、「弘法大師」の額があるので大師堂かと思うのだが表示はない。隣に水くみ場があり、その裏に石碑がある。いったいどのようなものか判らないので、写真におさめて次を急ぐ。つづく
P1030211 P1030210



には「檀特山」とあるのだがさて?
【今日のじょん】隣家の裏山の様子である。ここは顕著な獣道があった場所なのだが、それは消えている。鹿達が来なくなったのかというとそうではない、道が変わっただけなのだろう。周囲の笹や茗荷、庭木の新芽がすっかりやられている。P1030232
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする