晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

鉄滓(2) 3/16

2013-03-16 | 歴史・民俗

2013.3.16(土)晴れ

 上林川念道付近で採取した鉄滓について、上流から流れてきたものかこの地に産鉄の遺跡があるものか、研究者としては後者でありたいと願うものである。ところが冷静に観察するとどうも前者であるような気がする。その根拠は次のとおりである。

1.鉄滓の採取場所は広い範囲にまんべんなくある。
 例えば念道付近に産鉄の遺跡があるとすればそれは右岸左岸どちらか一方と考えられるのだが、両岸に渡って広い範囲で採取できるのは、上流から流れてきたと考えるのが妥当である。P1040002




発見されたのは上林川念道橋下両岸の堤防の外、念道橋上左岸堤防の外がほとんどである。

2.鉄滓は河床では未発見で、総て堤防の上、または堤防の外側の畑である。
 上流から流れてくるものと仮定した場合、通常の流れで流れ着くのなら河床にあってしかるべきと考えられる。堤防あるいはその外側で見つかるのはその土砂がいずれからか運ばれてきたと考えられる。
 現在の堤防は28水(昭和28年台風13号による水害)の後に整備されたものである。当時の災害復旧工事、特に堤防の工事は現在のように機械力によるものでなく、人力主体で行われていた。畚(もっこ)や猫車(ねこぐるま)が大活躍した時代のことである。つまり遠方から砂利や砂などの資材を運び込むことは出来なかったし、なにより目の前にうずたかく積もった土砂を捌くことがなによりも重要であった。その土砂を新堤防の材料としたことは想像に難くない。そのことを確認するため地元の方に聞いてみた。
 念道周辺の堤防は村田(そんでん)といわれる上林川の屈曲点、河牟奈備神社の南東の堆積地の砂利が運ばれたようだ。この屈曲点は上林川が大きく南に流路を変える地点で、流域では最も急角度で曲がっており、水害による土砂の堆積も相当のものであったようだ。この地の土砂が近隣の堤防造設に使われ、やはり人力で運ばれたとの証言があった。P1030873
 



この先から大きく左手(南方)に流路を換える。その右岸に向こうの山の裾まで村田が拡がる。

 現実に堤防の岩石は上林川特有の斑れい岩や赤色チャートを含み、河床と同様の岩石分布をしている。

3.鉄滓は比重が小さいため、浮いて流れ、また屈曲点などで堆積しやすい。
  鉄滓が河床に見つからないというのも比重が関係しているのかも知れない。

4.清水鋳物師の遺跡から出た鉄滓を見たのは後日のことであるが、上林川で採取したものとの違いは、ガラス質である。
 清水鋳物師のタタラ場で発見された鉄滓は表面がガラス質で覆われている。ところが上林川念道付近で採取した鉄滓にはガラス質は認められない。
 溶けた鉱物などが急激に冷却されるとガラス質ができると言われている。鋳物を作った際の鉄滓にガラス質が存在するのは当然のことだが、念道付近で採取した鉄滓にそれが無いのは、水没、風化の影響とみて良いのではないだろうか。
 つまり念道付近に製鉄や製錬の遺跡があるとしたら、ガラス質の残った鉄滓があってもいいのではないだろうか。つづく

【晴徨雨読】173日目(2007.3.16)高千穂~延岡
高千穂峡の自然は素晴らしい、自然の造形を科学的に見るのは値打ちがあるが、観光地として何かと謂われを作るのは頂けない。特にあちこち神話がからむのは白ける。Img_3257
 






高千穂峡は阿蘇熔岩の侵食谷だが、節理や甌穴など自然の博物館である。

 高千穂鉄道は災害で廃線となったが、人気があるらしく先日もテレビで放映していた。日之影温泉駅の温泉に浸かる。それにしてもよくぞここに鉄路を通したかという地形である。日之影温泉駅の隣は吾味駅である。学生時代のバイト先に吾味さんという女性が居た(五味さんかも?)。宮崎の出身で、お父さんが宮崎大学の教授で野坂昭如と友人でよく遊びに来ていたとか言っていた。こういう所にルーツがあるのだろうか。Img_3296





【作業日誌 3/16】
薪拾いP1040070




今回の成果。

【今日のじょん】:じょんの手も借りたい。
 伐採された木は廃棄物として今日処分される。今日の朝だけが勝負なのだ。いつもより45分も早く起きて支度する。散歩コースも薪の下見である。P1040069 P1040068

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鉄滓(1) 3/15

2013-03-15 | 歴史・民俗

2013.3.15(金)快晴

 2013年1月にカフェじょんのびで今までに収集した鉄滓の展示を行った。主催者の思惑とは裏腹に興味を示すお客さまはなく、淋しい思いをした。しかしそれは無理も無いことである、私自身鉄滓なんてついこの間まで何の興味も無かったのだから。P1030586
 



展示されていた鉄滓

 上林谷で製錬が行われていたのではないかという思いを持っていたところに、上林川で一個の怪しげな石を拾ったとき、これほど心躍ったことは無かった。2011年4月4日のことである。ただしそれが本当に鉄滓であるかどうかということは問題であった。何しろ今まで本物の鉄滓を見たことがないので判断のしようがない。
 ただそれが自然のものでないことは判る。かすかに磁性があり、曲線的に走る気泡の跡がある。よく見ると茶色に錆びた部分があり、そこは磁性が強い。自然の石よりも軽く、濃い灰色の部分はプラスチックの成形品のようだ。片側は細かい砂状のものが丁度セメントのように張り付いており、やはり工事に使った構造物かなあと思った。Img_2613 Img_2614




最初に見つけた鉄滓の表裏、左がセメント状、右はプラスチック状。


 頼る人も無く、本の写真を見比べても釈然としない、インターネットの画像を調べて同様のものを見つける。確かに鉄滓である。
 わたしの上林谷産鉄説は正しかったのだ、というより予想が当たっていたのだという喜びで小躍りしたが、それは鉄滓さえ出れば産鉄がなされていたという稚拙で短絡的な思いであった。
 その後続々と同様の鉄滓を拾ったが、上流畑口川流域の清水に近世の鋳物師井関氏が操業していたことを知る。近世の鋳物師は銅などを溶かして梵鐘や灯籠などを作る職業と思いがちだが、日常は地金を溶かして鍋釜などの生活用具や農具など鋳物鉄製品を作っていたようだ。P1010807
 



清水鋳物師井関家たたら跡。

 清水鋳物師のタタラ場から出る鉄滓が大水の際に下流に流れてきたとしたら、念道(ねんどう)付近で採取される鉄滓のつじつまが合う。もしそうだとしたら産鉄とは縁もゆかりも無いこととなる。つまり近世鋳物師は自らが製鉄することはなく、出雲あたりで生産される銑鉄を購入していたからだ。つづく

【作業日誌 3/15】
薪拾い、東綾建設さんの廃棄用の雑木から拾う。軽トラ4往復。P1040062 P1040063




一杯目、四杯目、もうくたくた

【晴徨雨読】172日目(2007.3.15)えびの高原~高千穂
 昨日見つけた新燃岳新湯に入る。正真正銘の秘湯である。硫化水素泉の強烈な温泉で混浴である。(男女別もあり)それにしても新燃岳の噴火については何も言わなくなったがどうなっているのだろう。噴火は2010年にはじまり、2012年には落ち着いたようである。えびの高原に行くときに偶然に撮った写真が実は新燃岳であった。Img_3235 Img_3226




山の上のチョボは溶岩ドームかな。

【今日のじょん】:夜の9時台に吠えるのはどうも飛行機の音のようだ。また、風呂の水を洗濯機に揚げて満杯になりゴボゴボと音がするときもしっかり吠える。今日も両方とも音がしたんだけど知らん顔して寝ているぞ。気まぐれなんだから。P1040067

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米さんのこと レクイエム 3/14

2013-03-14 | 日記・エッセイ・コラム

2013.3.14(木)雪

 米さんが預かっているというわたしの当時の手紙類数十通を処分してくれるよう頼んだのは、きっとその内容が近代アルピニズムの押しつけではないだろうかと思うからである。もちろんスポーツとしての近代アルピニズムに傾倒していたし、山に対する姿勢は真摯なものであったのだが、精神的にも技術的にもあまりにも弱かったことが米さんに対して済まなかったと思うのである。そんなことは言わずに、「恥多い人生を送ってきたので他人様に公表できるようなものではないので処分してください」と書き留めた。
 鎮魂の意味で、若き日の米さんとのことを書いてきたが、実はわたしは霊魂というものもあの世というものも信じてはいない。ご遺族や周囲の方々には大変心苦しいのだが、人が人たる所以はすべて大脳のなせることであって、大脳の機能が止まったとき人としての総てが終わってしまうのだと思っている。
 そういう意味で鎮魂と言っても、それは米さんに届くものではなくご遺族と私自身のために発せられたものなのだろう。
 昨年米さんに書いた手紙に、「泊まりがけで綾部に来て下さい」と書いた。その時に鳥垣渓谷の遡行図作成の件と上林のいくつかの岩峰にザイルを伸ばしたい件、そしてわたしの古代上林の研究について意見を聞きたい旨伝えるつもりであった。それらは米さんでないと駄目なんだ。
 若い頃と違って片意地張らない山登りができるだろうと楽しみにしていた。
 遅かれ早かれいずれ逝くのだが、ちょっと早すぎないかい。わたしは悲しい。

【作業日誌 3/14】
ウッドデッキ階段設置、もう一息。P1040052




ペン立て付名刺入れ完成、ウッドデッキの階段の木っ端利用。
P1040053



薪割り

【晴徨雨読】171日目(2007.3.14)都井岬~えびの高原
車で移動していると距離は稼げるが、点から点の移動となる。その道中のものを見ないからだ。だから新しい発見が無い、ガイドブックかなんかで目的とした所へいくだけなので面白くない。それでも目的外のものを見つける能力は高まっており、いろんなものを見つけている。Img_3207Img_3217 




昼食時見つけた円月島もどき、右は都井岬のトーチカ跡。最高の発見は新湯、明日訪問。


【今日のじょん】:これ一昨日(12日)の写真だけど面白いでしょ、影のところだけ霜が残ってるのって。特に植木鉢台がそのまま白く残っているのは面白い、なに?じょんとどうカンケーあんのかって、、、、、。左の方でおしっこしてるでしょ、最近あの場所に凝ってるみたい。P1040046
  

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米さんのこと 誤認逮捕事件 3/13

2013-03-14 | 日記・エッセイ・コラム

2013.3.13(水)曇、雨

 米さんは京都では中京区西の京西月光町というところの材木屋さんに下宿していた。何とも美しい地名だが、わたしがその後隣町の星ヶ池町に就職したのは因縁を感じる。月と星、なんとも佳麗な名前だが、街はそれほどおしゃれな街ではなかった。
 その下宿におじゃましていた頃の話である、彼が痴漢に襲われている女性を助けたのだ。
 京都市内で夜に歩いていると、通りで女性の「キャー」という悲鳴、慌てて駆けつけると痴漢に襲われている様子、すぐに110番して現場に行くと痴漢はすぐに逃げていったという。そうこうしているとパトカーが駆けつけ、被害者の女性と共に警察署へ行くのだが、どうしたことか解らないが米さん、痴漢の現行犯として逮捕されてしまったのだ。
 本人にしたら何が何だか解らない。取調室での様子は推して知るべしである。自白を求めて机を叩いたり、大声でわめいたり、例の如くである。
 実はその時教職の一次試験かなんかが受かっていて、ここで犯人にされたら完璧に除外されてしまうという微妙な時期だったそうだ。そこで米さん、完全黙秘を通したという。
 なぜ助けに入った者が犯人にされたか、それはどうも被害者の女性が動転していて、助けに入った米さんのことを「(犯人は)この人です」って警管に訴えたようである。
 その夜だったか翌日だったか解らないのだが、被害者の女性が落ち着いてきて、取調室の米さんにミラーガラスかなんかで面通しをして、「この人は助けてくれた人です」と証言して、晴れて釈放となったそうである。
 この話を聞いて、痴漢とその被害者と警察に対して憤りを憶えるのだが、それよりも米さんの勇気と冷静さに驚くのである。
 女性の悲鳴を聞いて助けに行くというのは当たり前のことのように思えるが、実際にその場面に出くわしたらはたしてできるだろうか。今の自分ならできると思うが、20代の頃には疑問符が着く。
 それよりもなによりも、あの卑劣な警察の取調室で黙秘を通したことは驚愕の行為である。おそらく取調官からは、「初犯だから正直にやったといえばすぐ帰してやるし云々」と言われているだろう。大げさに言えば、帰して欲しいばかりにやってもいない犯罪をやったと言っておればその後の米さんは無かったといえるわけだ。少なくとも教職には就けなかっただろう。
 そこで黙秘を通すという冷静な判断が米さんを救ったと思うし、よくぞそのような判断ができたなあと思うのである。
 その話を聞いたとき、米さんは被害者の女性にも警察にも恨みを持っていた風は無い。なんとまあ出来た人間だこと、わたしならどうやって慰謝料とろうかなどと考えそうだ。
「ところで痴漢騒動のときもその恰好やったんかい」「そやねん」
当時はやった、長ーい毛糸の、しかもピンクかなんかのマフラーしてるんだから、痴漢に間違われても然もありなんか、などと二人で笑ってしまった。

「おい、警察って逮捕したときなんて言うかしってるか」
「逮捕するって言うんだろう」
「違うねん、確保したっていうんや、岩登りといっしょやろ」
「なんで知ってんねん」
「パトカーの中でゆうとったんや」
なんともまあ、余裕のある言質であったが、岩登りは確保だけど警察用語は獲捕かもしれない。

【作業日誌 3/13】
ウッドデッキ階段設置

【晴徨雨読】170日目(2007.3.13)鵜戸神宮、飫肥城、北郷温泉など観光
三日間はレンタカーで周辺観光する。この日本文には書いていない大事件が起こる。鵜戸神宮財布忘れ事件だ。鵜戸神宮の駐車場でトイレに入り、現金、カード、免許証など入れたポーチを棚に置いたまま忘れてしまった。車で十数キロ走ってから思いだし、Uターンするがその間の長いこと。拾われて届けられていたとしても何かと時間がかかるし、ましてネコババされていれば、自転車旅行も中断となる。青くなってトイレに戻ったら、なななんと、そのまま置いてあった。中身の現金もそのまんま東でいやはや冷や汗もんだったぜ。シーズンオフの男用大便所がラッキーだったようだ。Img_3199

 


うんだまこりゃえーけなもんだ。

【今日のじょん】:キクちゃんが運動会の練習したはるでとかみさんが言うもんだから、パオパオだよりを見るとなかなか頑張っとるじゃないか。じょんもそれなりにやってるんだが、はたして本番でできるかどうかだ。地の利を活かして現地を見に行こうかしら。今日も練習風景

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YouTube: 練習5

 

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米さんのこと 沢登り 3/12

2013-03-13 | 日記・エッセイ・コラム

2013.3.12(火)快晴

 東ノ川 東ノ滝、」中ノ滝
 失敗、敗退ばかりの山行だったが、やり遂げたものもあった。そのひとつが大台ヶ原東の川、東ノ滝、中ノ滝の登攀である。東ノ滝は上流にあり、ワンピッチの小さな滝だが、中ノ滝、西ノ滝は関西屈指の大滝である。わたし自身は西ノ滝左岸壁を1974年に登っていたので、米さんと東ノ滝、中ノ滝を登ったのはその4,5年後だと思う。西ノ滝は傾斜の強い壁で一部人工登攀も含む11ピッチの中級クラスのルートだが、中ノ滝はピッチ数は多くても数段に分かれていて初心者向けというところだろう。
 東ノ滝を登り、その後中ノ滝を登る。緊張感といっても最後のピッチぐらいで、すこぶる快適な登攀だったと思う。
 落ち口でザイルを解き、ループにしているとき、米さんが本当に幸せそうな顔をしていたのを思いだす。やっぱり山は成功しなければいけない。
 落ち口から沢をつめるのだが、そこでアマゴだかヤマメだかを捕まえる。もう動きが鈍くなっていたので、きっと晩秋のことだったのだろう。ビニールの袋に入れて持ち帰った。

 沢登り
 米さんは人気のルートより、未開拓や誰も行かないような沢が好きだったようだ。保津峡をめぐる沢などをコツコツ登っていた。ある夏のこと保津峡でキャンプして
保津峡右岸の沢をやることにした。山陰線の線路をトコトコ歩き、鉄橋の脇から懸垂下降で薄暗い谷床に降り立つといきなりマムシが這っている。かんべんしてヨンとばかり歩き始めるとガレや岩の上にマムシやら蛇やらやたらといる。西山がマムシの宝庫だというのは知っていたが、この地も同様だ。神経疲れるので流水を選んでザブザブと登って行く。どうも米さんは平気らしい。滝もできるだけ水流の中を登る様にしたが、高巻きの場合はヒヤヒヤだ。そしてツメが近づき水流が無くなると砂利の上を歩くのだが、マムシの場合は保護色で見分けがつかない。登山靴の横にいきなり居てびっくりする。遡行や登攀の疲れよりマムシに対する精神的疲れでくたくたになって尾根道に飛び出す。
 そこで数メートル先を歩いていた米さんが振り向いて、ストップと言う。
「なんやねん」
「そこにマムシの巣があって、塊になっているから気をつけて」
「え゛~~」
 目をつぶって走って通り越す、もう心臓ばくばく。
 その後は無言で尾根道を降りて幕場に到着、後ろを歩いていた米さんが少し遅れて到着するが、なにやらぶら下げている。マムシだ。
「どうしたんやそれ」
「踏んづけてしもてなあ、足上げたら咬まれるんでそのまま踏んづけといて頭出しよったとこを石でやっつけたんや」
「・・・・・・・・」
 こんなヘビに強い奴知らんわ。

【晴徨雨読】169日目(2013.3.12)宮崎市内見学
 宮崎総合博物館に行く。ここも無料だ。椎葉村では今も焼畑農業が残っているという。もちろん生業というより文化遺産として保存しているという感じなんだろうが。現場を見たって仕方がないという気持と何でもいいから村を見てみたいという気持が錯綜している。とりあえず博物館で下調べをするが、要するに日本中の山村がそうであったということだ。Img_3167 Img_3168




椎葉村、焼畑関連展示

【作業日誌 3/12】
 ラティス、野外テーブルなど塗装P1040049 P1040050

 



【今日のじょん】:なぜ右から回り込むのか?わんわん運動会練習中。

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YouTube: 練習4

 

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米さんのこと 笠置ボルダリング 3/11

2013-03-11 | 日記・エッセイ・コラム

2013.3.11(月)晴れ

 もう30年ぐらい前のことになるのだろうか、フリークライミングがもてはやされボルダリングなんてのも日本に入ってきた。フリークライミングなんて実は当たり前のことなんだけど、人工登攀がカッコイイと思っていたわたしたちオールドクライマーには画期的なことであった。ボルダリングもフリークライミングの一種なんだが、ロッククライミングに付きものの重苦しさのようなものが無くて、これだっという感じがした。
 岡山の王子が岳や六甲の北山公園などのボルダリングエリアに通ったものだが、米さんもわたしもボルダリングはあわなかった。バランスには自信があったけれど、器械体操的な身体の柔軟性と筋力それにアクロバチックなクライミングをするセンスが無かった。
 岩登りや山登りを止めてしまって随分たってからボルダリングのガイドブックを書店でのぞき見る。そこに関西のボルダリングエリアとして笠置の紹介がしてあるのを見てびっくりした。
 乙訓労山の開拓という風に書いてあるが、実はわたしと米さんの二人で毎週かよって岩に名前をつけたり、ルートを作ったりしたのだ。それをわたしの所属していた乙訓労山の登攀者向け会報「ドーリー」に記載していたので乙訓労山の開拓ということになったのだろう。実質はわたしと米さんの二人でやっていて、労山の人とは焼き肉パーティを開いたぐらいだ。
 大ハング岩、おむすび岩、ゾウ岩、ハーフムーン、大スラブ岩、巴岩などはわたしたちが命名したものである。トランキライザーなんてルート名もそうである。
 開拓はしたし、命名もしたが技術的には稚拙なものであった。あのクラックが登れればいいな、あのスラブが登れればいいななんて考えていたばかりである。でも二人で初めて目をつけて、通ったんだよって声を大にして言いたい。チンネだって屏風だって開拓時の登攀ってそんなもんだろうから。でも、今となったら米さんチムニーとか米さんカンテなんて名前残しとけばよかったなあと思うのである。

 【晴徨雨読】168日目(2007.3.11)都城~宮崎市
 天気はうってかわって快晴となったが、やたらと寒い。長い旅の間には強烈な印象のある日とそうでない日がある。この日はそうでない日で資料館や博物館に立ち寄ったが、特別印象に残るような事はなかった。各地でのミュージアムの入場料はかなりの負担になったが、宮崎県はどこも無料だった。数百円の入場料をとるよりも多くの入館者がある方が値打ちがあると思う。現在はどうなんだろう。Img_3149

 


宮崎歴史文化館は蓮ヶ池横穴群の中にあり、広大な面積に多くの遺跡がある。

 【今日のじょん】:ワンワン運動会の日が近づいてくるが、じょんの体調を心配している。例年3月が鬼門だからだ。フードを替えて吐くことは少なくなったのだが、3月に入って少し吐いた。P1040040

 

バラマキは民主党だけで良いで。

  

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米さんのこと 続・山行 3/10

2013-03-10 | 日記・エッセイ・コラム

2013.3.10(日)雨

 厳冬期空木岳
 冬富士の翌年だったろうか、冬の中央アルプス、空木岳を目指した。伊那谷側の一般ルート池山尾根といったろうか。駒ヶ根で食糧燃料を仕入れ入山、池山の避難小屋までラッセルしながら登る。
 天気予報はあまり良くなかったと思うが、とにかく2日二晩雪が降り続いた。もう少し上に上がってからアタックしようという計画だったと思うが、その積雪に負けてしまった。
 わたしは冬山といっても大人数で山に入る合宿しか経験が無かったので、ラッセルといってもさほど苦に感じていなかったのだ。それに大勢で登ると、事故に対する責任感というのも希薄になるものである。ところが二人となるとそれがもの凄く重圧になるのだ。そういう意味でわたしは精神的に弱かった。総てを信頼してわたしに任せている米さんに申し訳ないという気持が今でも続いている。
 2日二晩米さんと話し続けたが、一体何を話したか憶えていない。例によって下山を決めると天候はうってかわってスカ天となり、駒ヶ根高原も春のような雪原になっていた。


 岩登り 千石岩
 これも学生時代のことである。雑誌岳人の古書に大津の千石岩のことが載っていた。かなり旧い記事で、わたしたちは書いてあるとおり京阪別所駅から歩き始め、沢をつめ、雑木林の斜面を登って行くと、妙なことにゴルフのボールがやたら落ちている。
 やがて岩が見え始め、近づくと何と立派な岩塔だ。花崗岩のしっかりした岩である。しかし琵琶湖側は傾斜がきつく、当時の技術ではいわゆる人工登攀というもので、山側は誰でも登れる斜面で地元の子供達も遊びに来て登っていた。その時の子供と一緒に写っている写真が残っている。
 人工登攀をして撮った写真を年賀状に使ったことがあるが、それがその時のものかは解らない。
 さて事件はその後に起きた。千石岩からさらに奥に道が続いている。なんだろうと思ってその道を行くとすぐに広い駐車場に出る。皇子山カントリーの駐車場だ、古い記録を見てやってきた岩場なので、そこにゴルフ場が出来ているなんて知らなかったのだ。二人顔を見合わせて苦笑い、この岩場には誰も下の沢から歩いてくる者はいないようだ。帰りはゴルフ場の取り付け道を歩いて帰るが車道のためやたら長い。ゴルフ帰りの車をつかまえてヒッチハイク、別所駅まで送ってもらってこの日は終了、なんとも不思議な岩登りだった。

【作業日誌 3/10】
薪割り

【晴徨雨読】167日目(2007.3.10)鹿児島~都城
タイトルのとおり雨の日には滞在して読書に勤しむというのがコンセプトなんだが、諸般の事情で雨中の走行となるときが多々ある。そういうときに限って、やたらと寒かったり、えらい坂登りだったりする。ベスト3を選ぼうと思っているのだけど、どうやってもベスト4となる。その1日がこの日である。
No.1 川湯温泉~白浜温泉(2006.12.14、66Km 中辺路Img_2226





No.2 御殿場~富士吉田(2006.11.26 47Km 篭坂峠)Img_1875





No.3 石岡市~筑波山(2006.11.11 41Km 不動峠)Img_1691





No.4 桜島~都城(2007.3.10 84Km 天窮坂)Img_3116  




雨の桜島

【今日のじょん】:朝、表に出ると庭の中の変なところでおしっこをする。どうやら昨日モモ姉さんが来て居たところらしい。夕方になっても同じところでするので、やっぱりという感じである。おみやげにのどごし生1ケースとラティスのガーデン用品を戴いた。P1040036 P1040037

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米さんのこと 山行 3/9

2013-03-09 | 日記・エッセイ・コラム

2013.3.9(土)快晴

 冬富士
 21才の頃、11月の連休明けだったと思う二人で冬富士に登る。御殿場ルートから七合目幕場まで登る。絶好の登山日和でまるで春のようだ。天幕を張っていると背負子を背負った二人の登山者が降りてきた。
 「明日から荒れますよ、二つ玉が来てるから」
 当時はまだ山頂に気象庁のレーダーがあり、測候所の職員が交替で泊まり込んでいたのだ。二人はその測候所の職員だった。
 賑わっていた富士山も二人きりになり、空も怪しげな鉛色となってきた。天気予報を聞くと明日の昼頃から荒れそうだ。Img_1866
 



2006.11.25の御殿場側の写真、丁度このくらいの時期だった。左のえくぼが宝永火口で七合目はその右肩ぐらいか。

 その夜は風もなく静かな夜だったが、心は沈んでいた、これから荒れるというのがわかりきっているからだ。京都からわざわざやってきた米さんに富士山に登らせてやりたい、でも冬富士の怖さは充分解っている。
 明日、ピークを往復してくることは可能かもしれない、でも今回の山行は冬山の雪上テクニックの習得である。翌日は二人でスリップストップや確保の訓練をして、低気圧の襲来に備えた。テントを絶対に飛ばされないように確保し、登山靴を履き、ザイルを結び合ったまま夜を過ごした。確かに吹き荒れたけれど、わたしが過去に体験した冬富士の嵐には及ばないものだった。
 翌日天気が回復すれば頂上を目指そうと考えていたが、いざ夜が明けると精神的に登頂する余裕は無かった。
逃げるように山を降り、大和の下宿に帰ると、嘘のように静かな日和だった。そして事件は起こった。
 銭湯に行き、酒や食糧を買い付け、打ち上げと称して大きな土鍋で炊き始めた。
くつくつと湯気が上がり、乾杯をしてさあ食べようかと思ったその時である。
ピシッと音がしたかと思うと、ジュンジュンジュンと湯気が上がりガスコンロが消える。土鍋の底が割れたのだ。米さんの目が点になっていたのを思いだす。

【作業日誌 3/9】
ジャガイモ植えつけ、男爵1KgP1040034




大きな種芋は切って植えつける。切り口に腐敗防止の草木灰を塗布する。
灰が御要り用の方はじょんのびまで、買えば結構高いのよね。

 
 【晴徨雨読】166日目(2007.3.9)桜島
 鹿児島は何度も訪れているが桜島に渡ったのは初めてだ。火山は世界中にあまたあるが、これほど都市に隣接した火山はないだろう。鹿児島市にとって桜島は良きにつけ悪しきにつけ親しみのある存在なのではないかと思えるが、当の桜島の人々にとっては、生活どころか生命さえ脅かされる存在であるということがひしひしと伝わってくるのである。
 山自体の姿、被災地の光景もそうだが、屋根付きのお墓、避難シェルター、ヘルメットを被った小学生など現実の生活が物語っている。Img_3117 Img_3100 Img_3114




退避壕、屋根付きの墓、飛んできた火山弾

【今日のじょん】:初ダニ発見。ここ三日の以上な暑さに、出て来そうだなと思っていたらやっぱり出てきた。2日前に思い切ってフロントラインしていたのが大正解だった。昨今問題になっているマダニだけに、人間も注意しよう。P1040031P1040033 






朝から暑い けーとくちんでダニ発見するも、カメラを用意している間に逃げやがった。

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米さんのこと・学生時代 3/8

2013-03-08 | 日記・エッセイ・コラム

2013.3.8(金)曇

 怪談映画
 高校2年の夏休みに入ろうかという日に、二人で怪談映画に行った。当時は夏としなれば怪談映画が定番であった。牡丹灯籠と現代物の二本立でやっており、牡丹灯籠は何事も無く観ていた。
 ところが現代物になった途端、隣席の米さんが「ギャー」「ワー」と大声を上げるのだ。確かに古典と違って画面もストーリーもリアルなので怖いのは確かなんだが、それにしても騒ぎすぎ、怖がりすぎで周囲に恥ずかしい思いをした。
 わたしならいくら怖くてもかっこ悪いので声なんか出さないのに、なんとも純粋な奴なんだなと感心する。
 映画館を出て夏のまぶしい陽光を浴びて、生き返ったような気がした。
「米さん、あんな作り話がなんでそんなに怖いんや」
「作り話とわかっとっても怖いわ」
「本物の幽霊や火の玉やったらもっと怖いで」
「いや、本物は別に怖ないで」
「え~、本物見たことがあるんかいな」
「幽霊は見たこと無いけど、火の玉はしょっちゅうでるんや、一番最初はびっくりしたけどなんべんも見てたら普通になってきた、家んなかまで入ってくるんやで」
 今度はこちらの背筋が寒くなり、その時初めて米さんがお寺の子であることを知った。

 東海道自転車旅行
 大学に入るとわたしは小田急線の大和市に下宿していたし、米さんは常磐線沿いの街に住んでいた。「野菊の墓」なんて本を紹介してもらって読んだことがある。
大和に遊びに来ると、「小田急線はきれいやなあ」といつも言っていた。当時の常磐線は古い車両が走っていて、例の茶色のようなエンジのようなやつらしい。そういえば横浜線だって随分古い車両が走っていた。そんな米さんが、京都まで帰るのに自転車を貸してくれと言ってきた。わたしは中古のランドナーを持っていたが、それほど使っていなかったので快く返事し、米さんは自転車で東海道へ旅立った。
 その後彼は京都に帰ってしまって、自転車のことはすっかり忘れていた。どこで会ったときか知らないが、自転車の旅はどうだったのか聞いた。
 なんでも途中でトラックに乗せて貰い、ほとんど自転車には乗らなかったそうだ。
自転車はどうしたかと聞いたら、気まずそうにしていたが日常に使っていて盗まれたそうだ。それ以上自転車のことはお互いに話さなかった。どちらも貧乏学生であることが解っていたからだ。

【晴徨雨読】165日目(2007.3.8)徳之島~鹿児島
徳之島3日目、北半分をまわって一周となる。記事で紹介していないトンバラは海上遠く離れた岩をいう。奄美大島や久米島などにもいくつかのトンバラがあり、航行の目標ともなり、航海者や漁師達の信仰の対象ともなっている。
 夕方から船で鹿児島に向かう。
Img_3052
金見沖のトンバラ




【作業日誌 3/8】
ウッドデッキ、暗渠排水溝を掘る。防草シートに水が溜まり、周辺が水浸しになるため。P1040026 P1040027




掘ってバラスを放り込むだけ。

【今日のじょん】:キクちゃんがワンワン運動会の練習を始めたとか、これは大変、負けてられないぞ。と言うわけで秘密練習を公開することにする。

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YouTube: 練習1

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レクイエム 3/7

2013-03-08 | 日記・エッセイ・コラム

2013.3.7(木)晴れ

 米さんの忌明けの挨拶が来た。
この歳になると何度も訃報を聞くこととなるが、今回ばかりは驚いた。雪のちらつく寒い日であった。空木岳に向かう尾根の避難小屋で二晩ばかり二人で震えていた日を思いだす。葬儀の日は予報はそうでも無かったのに上林は一日雨が降った。奥さんには参列できない旨お伝えしたが、実は黒い縁に入った写真を見ることなどできそうにもなかったからだ。
 昨年6月だったろうか、突然彼から本が届いた。「蒼海のオリオン」という何とも立派な本である。なんでも米さんの母方の父が海軍の軍人で、その生涯を書いた本であるらしい。らしいというのは、実はまだ読んでいないからだ。P1040025




米さんの絶筆か。

 米さんには、わたしがその時数多くの本を未読のまま所有していてすぐには読めないが必ず読んで感想を返事することを写真入りで手紙を書き、綾部に来てくれるよう書き添えた。P1020104_2 Img_3037




ハマオリの浜はここなんだが、洞穴墓があるようなところは無かった。

【作業日誌 3/7】
薪割り

【今日のじょん】:ウッドデッキの釘を打ったところを再度塗装しようと思っている。従って進入禁止にしてるのだが、そうすると登りたくなってるようだ。P1040016

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春 シデ山 3/6

2013-03-07 | 山・峠

2013.3.6(水)快晴

 えらい早く春が来た、しかもこの暖かさが数日続くとのこと。といっても放射冷却で朝の寒さは一級品で外の水道は凍って出ない。デッキの上も霜でまっ白、でも気温はぐんぐん上がってくる。
 こうなるとなんかしなくてはという気になり、とりあえずウッドデッキの床張りの仕上げをする。とりあえず60枚張り終えて、階段の作業にかかる。
 それにしても気になるのはシデ山の状況である。奥上林に行くたびに見上げるのはシデ山、鳥垣林道である。とにかく北向きの斜面なので君尾山方面がすっかり雪解けしていても、いつまでも白い。4日に草壁に所用があったので、庄の辺りから見上げたが、やっぱり林道は上がれそうにない。 P1030997
P1040004 



3日長野から、4日庄から。

 そんなに山に行きたいのかって、、、、そうじゃなくて薪拾いに行きたいわけ。山の作業は暑くなったらつらいので今のうちに済ましたいわけだ。
 そんな時、以前にシデ山を紹介した写真家の
Iさん一行が来じょん。何でもシデ山に登ってきたということである。車はともかく、歩いてなら行けるだろうと思っていたが、何とやすみとから上は雪山で、深いところは2,30cmだとのこと。今更ながら奥上林の山の厳しさを思わせる。ゴールデンウィークでも老富の山なんぞ雪が残ってるもんなあ。
 それにしても北海道の山々など写真を撮りながら登っておられるIさんが、「シデの山はいいですねえ、また来ますよ、夏の渓谷もいいでしょうねえ」とすっかり気に入ってくれたのが嬉しい。桜井さんが聞いたら泣いて喜びそうなシーンである。
 私自身も紹介して良かった、もっと多くの人に知ってもらって登ってもらいたいと思うのである。もうすぐ立派なパンフレットができる、みとに大きな看板もできる、早く雪が解けないかなあ。
 さて、鳥垣の坂尾呂神社には盃状穴の調査に行きたいと思っているところだが未だ行けないでいる。ところが3日(日曜日)に薪を戴きに坂尾呂神社の下のところに行った時に妙なものを見つけた。P1010029
 



昨年2月11日の写真、左下の雪の丘が坂尾呂の里(馬場先、坂尾呂神社の参道)、右上の山の白いところが鳥垣林道。(綾部温泉下から)

 鉄滓ではないかと持ち帰ったのだが、よく庭石なんかにある軽石状の石かもしれない。疑心暗鬼で観察するに、どうも鉄滓のようだ。弱い磁性もあり、従来念道周辺や清水たたら跡で採取している鉄滓とは形状が違う。詳細については別項で述べたいと思うが、これがもし鉄滓だとしたら実は大発見になる。P1040018 清水鋳物師の鉄滓は近世のもので出所がはっきりしているが、畑口川清水上流、上林川畑口川出合以奥、上林川支流で発見されると清水鋳物師以外の生産ということになるからだ。
 いよいよ春のシデ山行きが楽しみになってきたぞ。

【作業日誌 3/6】
ウッドデッキ床張り、階段作り
ジャガイモ植え付け準備、タマネギ追肥

【今日のじょん】:デッキ、霜が降りていても平気で登れるのだワン。足跡がカワイイでしょ。P1040012





【晴徨雨読】163日目(2007.3.6)徳之島滞在
徳之島には風葬の跡が沖縄以上に残っている。墓制は沖縄とは随分違うのだが、葬制は同様でむしろこちらが本家なのではないだろうか。
犬の門蓋(いんのじょうふた)は自然の作った素晴らしい光景だが、昔野犬を海に捨てたという話はどうも信じられない。なにか他の意味があるのではないかと調べているが、今のところ解らない。門をジョウというのは沖縄、奄美地方の方言である。Img_3002  

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社員旅行’13  3/5

2013-03-06 | 日記・エッセイ・コラム

2013.3.5(火)快晴

 一昨年の社員旅行、といっても二人きりなんだが、じょんがケージに泊まれなくて大騒動、旅行どころじゃ無くなって温泉も蟹もそこそこに帰ってきた悲惨旅行のリベンジのため再び城崎をターゲットに社員旅行をする。今度はじょんを留守番にして、日帰りの旅行とする。
 大江戸温泉物語にランチバイキング、入浴プランが3,980円であることを見つけ、大勢の方が楽しいだろうと声を掛けたが急なことでM田さんだけが行けることになった。
 当初予定していた1日なら大勢で行けたのだが、人気の宿なので予約が取れなかったのだ。
 昼食と風呂と外湯と9時までの部屋利用が付いてこの値段は安いと思うが、運転手はお酒が飲めないのが難点。そしてもうひとつ難点がタイムスケジュールだ。
 このコース、チェックインが11時、外湯バスの午前中最終が11時20分、バイキング開始が11時30分、館内入浴が15時、外湯のバスも15時ぐらいから始まるのだ。
つまり、外湯は遅くまでいられる者にしか利用できないわけ。本当は昼食前と食事後に外湯に行きたいと思うのである。
 結局外湯には行けずに5時前に城崎を出て、7時前には帰ってきた。外湯券は後日でも使えるということで、まあ安いプランかなと思う。
 次回はこの外湯券を使って、ランチバイキングのみ1,280円で行ければ随分安あがりな温泉旅行ができるぞ。P1040011




大江戸温泉物語、安くて大人気

 実はこのコース自転車旅行の最終版のコースなんだけど、いつでも来れるという思いがあって行き残したところが多々ある。生野銀山を巡る地域もそうだし、三岳と雲原の間の金属地帯もそうである。登尾峠の南北にある佐々木も佐々木のルーツ探しに行きたいと思っている。
 まあ、今日はサービスに徹して、横目で下見しておこう。P1040010
 



出石で小休止、この山の向こうにも行ってみたいところがある。円山川上流糸井郷である。

 それにしてもさすがに天下の名湯である、湯船に浸かるとすぐに身体が温かくなり、汗が噴き出してくる。お湯の感じといい綾部周辺の日帰り温泉に入っているのとは訳が違う。やっぱりたまにはいい温泉に浸からないといかんなあ。
 
【晴徨雨読】162日目(2007.3.5)那覇港~亀徳港
沖縄から徳之島への船旅である。早朝から夕方までの船旅で、沖縄に関する本や新聞をじっくり読むことが出来た。
 沖縄はこれで7回目の訪問であり、今回の自転車旅行の旅でも最長の滞在記録となっている。沖縄は大好きだけれど、美しい海、素敵なリゾートというような旅はもうできない。沖縄では近所に煙草を買いに行くにも車で行くという。高校生でもタクシーを利用するという。モータリゼーションといえば聞こえは良いが、運動不足は県民の大きな問題になりそうだ。長崎は自転車の少ない街といわれるが、沖縄でも自転車は見かけなかった。わたしの自転車を見て「何ですか?」とは言われなかったけど、沖縄ではしんどいこと、面倒なことを「なんぎ~」というそうだ。Img_2791




「なんぎ~」国頭村奥で



【今日のじょん】:P1040007 今日は社員旅行の留守番なのだ。ちゃんとケージに泊まれたら連れて行ってもらえるのに、、、。こんなに早朝に起きることはないので写真に撮ったんだが、特段変わらないねえ。実は随分雰囲気違うんだけど。


朝霧の中で良い写真撮れた。タイトルは「親子」。P1040008

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浅原のこと(6) 3/4

2013-03-04 | 上林地名考

2013.3.4(月)曇

 浅原を”あずら”と呼ぶのは一種の訛だと思うのが一般的だがはたしてそうなのだろうか。上林の言葉には丹波方言はもちろん、若狭地方の訛も見受けられる。しかし地名を訛る例はあまりない。小字はともかく大字では瀬尾谷(しょうだに)ぐらいである。神谷(こうだに)、神塚(こうづか)、日置谷(へきだに)も訛っているように見えるが、神戸、神足など”こう”と呼ぶのは一般的だし、”へきだに”は”ひおきだに”よりむしろ一般的である。
 こうなると”あさはら”が”あずら”に訛ったというより元々”あずはら”だったのではないかと思えるのである。
 ここで、沖縄国頭村(くにがみそん)の安須森(あすもり)を思いだして欲しい。小豆島(あずきじま)も同様である。
アス、アズ、アサが崩崖を意味しているとして、浅原のアズはやはり崩崖を意味しているのではないだろうか。
 ここで安須森や小豆島を代表する寒霞渓の岩壁について考えてみたい。岩質は違うがどちらも直立した大きな壁で、風化によって剥がれる岩石がガレとなって麓に溜まっているものの決して崩壊しているとは思えないのである。Img_2776_2
 


安須森は岩壁だが決して脆くない。




 浅原には崩壊地形は無いけれど、岩壁は存在する。通称天狗岩というのがそれなのだが、「上林風土記」の写真集に珪石鉱山の写真があり、おそらくそれにあたるのだろう。
 葛禮本神社には縄文期の石棒が祀られている。浅原が想像以上に古くからの居住地であることがわかる。もし、アズラ地名の意味が、天狗岩の岩壁に由来するとなれば、葛禮本(くずれもと)神社の社名は明らかになる。P1030832
 



境内、栄鉾神社に祀られる石棒。

 天狗岩は村落からは見えず、奥まったところにあると言う。地名の由来となる岩壁なら、古代の人々の生活と密着していなければならない。そこに磐座があったり、古代の遺跡があれば総てが解決するのだが、そう上手くは事が運びそうにない。
 浅原には気になる小字地名がある。中風呂、堀尾、足田、浅大谷などであるが天狗岩が浅大谷にあるとしたら、アズが岩壁に由来するという確立は高くなる。
 浅原が鉄に由来するとしても、岩壁に由来するにしても天狗岩がキーポイントになるだろうと予想している。
 天狗岩がどこにあるのかも知らない時点でここまで想像を膨らませているのだから、もう現地に行くしかない。

【作業日誌 3/4】
椎茸菌打ち込み、200コマ、5本P1040006




一昨年のがデキが悪いので追加として打ち込む。数本ずつ毎年用意する方がいいみたい。

 【晴徨雨読】161日目(2013.3.4)那覇滞在
旧日本海軍司令部壕を訪れる。40年前にも訪れたのだが、記憶が曖昧で壕の中のワンシーンしか憶えていない。施設も周囲の街並みもすっかり変わっていて40年前の記憶は甦ってこない。それどころか観光地化されたここでは沖縄戦はおろか、旧海軍の終焉について知ることも出来なかった。それを知ったのは「これが沖縄戦だ」(琉球新報社)を帰京後に見つけて再読したときだ。Img_2973 Img_3101




壕内部と古本市で見つけた本。

 【今日のじょん】:もうすぐ野焼きが始まる。今日は口上林でよていされていたのだが、燃えつきが悪いというので順延になったそうだ。草の様子見れば結構燃えそうに思うのだがね。とにかく悪いダニをやっつけてチョ。P1040002

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浅原のこと(5) 3/3

2013-03-03 | 上林地名考

2013.3.3(日)曇

 綾部市睦合町浅原(あずら)について、鉄の生産あるいは加工に関連ある土地、または水銀の産地による崩壊地形の土地という想像をしてきた。
 前者の根拠は、葛禮本神社の祭神が金山彦神であること、中風呂、夕船などの地名があること、木炭の豊富な供給地であったことなどであるが、明確な証拠があるわけでは無い。
 後者については分水地名に関連して水銀の産による崩壊地形という想像をしてみたわけだが、今更ながら脈の薄いことである。
 なぜ無理矢理に崩壊地形説を想像してみたかというと、やはり葛禮本(くずれもと)神社の社名である。上林の神社の中で個性のある神社名といえば、壱鞍、葛禮本、坂尾呂、黒土など各社であるが、神社名の多くはその地名を表すと言われている。しかしどれをとっても現在の地名に一致するものは無く、いったいどこからその神社名が付いたのかは謎である。もちろん言い伝えなどはそれぞれあるようだが、信憑性のあるものは少ない。Img_3225
 



葛禮本神社前から浅原谷。

 クズの神、久須志や九頭龍、國津、国主神社などとの関連性もないものかと調べたが、はっきりしない。
 しかし、社名がクズレとなっている以上”崩れ”に基づくものではないだろうか。地形を調べて、崩壊地形となっていればその可能性は随分高いのだが、地すべり地形分布図を見ても、それらしい徴候は一向に無いのである。Img_3224




葛禮本神社本殿。

 大栗地名を調べた際に、大栗地名のあるところやその上流に必ず大規模な地すべり地形を見つけて驚いた。最近では沖縄の佐敷町が地すべり地名だというので、北山の桟敷ヶ岳を調べたら、これまた地すべり地帯であったので、地形と地名の関係は深いものがあると感心させられた。
 葛禮本神社のある浅原には分布図による地すべり地形はなく、地形図でも航空写真でもそれらしい地形は見当たらない。つづく

 【作業日誌 3/3】
薪収集
P1040001



連翹(レンギョウ)植えつけ、国松さんに15本立派な苗を戴いたので、府道沿いに並べて植えつけた。成長したらきれいになるぞ。P1030998

 



 【晴徨雨読】160日目(2007.3.3)奥武島~那覇
一大観光地の玉泉洞には失望したが、ガラビ洞には興味がわいた。ところが私有地で入れなくて、郷土資料館で詳細を見る。入れたとしてもとても恐ろしくて入れなかったと思う。沖縄南部は観光地化していて面白くないが、じっくりと探せば良いところがあるのかも知れない。Img_2959
 



 従前から行きたかった糸満の幸地腹門中墓を訪れる。5500体の遺骨が納められているというので、そういう意味では世界一かもしれない。Img_2965

 



【今日のじょん】:先日パオパオさんが来じょんして、ホノホノドッグに寄り、キクちゃんとワンワン運動会にエントリーしたらしい。それならばとじょんも参加することになり、目下練習中。ボール取りに行くのは超高速なんだが、そのまま真っ直ぐ帰ってこないのが難点。P1030996
 
 

 

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浅原のこと(4) 3/2

2013-03-03 | 上林地名考

2013.3.2(土)雪  浅原のこと(3)は2010.2.9

 沖縄県国頭村(くにがみそん)の黄金山に登ったのは、2007年2月24日のことである。現地に行くまでその存在さえ知らなかったのだが、観光地である金剛石林山に行った際に道中天空に聳える岩峰を見て何としても登りたいと思った。
  金剛石林山の事務所で登ることが可能かどうか聞いた。登山道があって登る人があるみたいだと聞いて、帰りに登ったのである。登山道は案内板もあり取り付きまで自転車で行けたし、岩壁もロープが張ってあり、岩登りの技術があれば簡単なものであった。ただし、岩壁部分はもちろん登山道も相当な傾斜で苦しい登山となった。Img_2772 Img_2769 Img_2768
 






登山口の看板、ジャングルの中の急登、途中の拝所。
Img_2765 Img_2757 Img_2763




 


見おろす岩壁、高度感抜群。頂上の祠、男神か。辺戸岬方面。

Img_2760 Img_2764


 


山原西海岸、東海岸方面。

 この山は聖地であり、道中にも何ヶ所か拝所があり、沖縄特有のジャングルの登山道は気味の悪いことは沖縄でもベスト5に入る。もちろん登山者は一人きりで、それもあってか山頂の眺望は伊江島タッチューとともに最高のものであった。

 そして今、「地名を歩く」(南島地名研究センター編著)という沖縄、奄美の地名に関する書物に、黄金山に登った時と同じ写真が二枚掲載されているのに気付いた。それは国道58号線付近から撮ったものと辺戸岬から撮ったものである。Img_2775 Img_2684
 



国道から見上げる安須森と辺戸岬からの安須森。

さらに驚くのは、その山は黄金山ではなくて、安須森(あすもり)という山名になっている。そして文中には国頭村辺戸岳の別称と書かれており、国土地理院地形図では辺戸御嶽(249.3m)とある。
 どうやらこれらの山名はひとつのものであり、沖縄で最初の御嶽と言われており数多くの神話がある聖地だということだ。
 問題は安須森の語源であり、アスとは上代語のアズ(土へんに冉)に対応し、”くずれやすい崖=崩崖”をいう地形語であるということだ。小豆島も古くはアズキ島と呼ばれていて”崩れやすい土台”という義を秘めているとある。
 (アズ)は遡源すればアイヌ語の断崖絶壁を意味するあッソオロ(as-soーor)まで行き着く可能性もある、とまで書かれている。
 この項の筆者は久手堅憲夫氏で日本地名ルーツ辞典の沖縄県の執筆者の一人でもある。この辞書では執筆者は異なるが、小豆島は古来アズキ島だが、その由来は小豆の産出によるとある。
 わたしは農産物や林産物の産地に基づく地名には懐疑的であり、やはりアズキ島の由来は崩崖であると考える。寒霞渓を始め大規模な崖が島内のあちこちに存在している。古代地名語源辞典の楠原祐介氏の見解も小豆島=アズキ島は崩崖地形というものである。 つづく

【晴徨雨読】159日目(2007.3.2)奥武島滞在、ダイキンオーキッドレディス観戦
 プロゴルフトーナメントの観戦なんてのは後にも先にもこの一回だけだ。この当時は宮里、横峯、大山なんかの女子プロの最高の人気があるときで、開幕戦でスターが勢揃いするのでこれは見るべしと思い一日をあてた。前日券だと安いので、自転車のままハウスに乗り付け、バイクスタイルでロビーで購入、当日も自転車で会場に入り、そのスタイルでギャラリーしていた。なかなか勇気のあることであった。優勝は米山みどりだった。Img_2934 Img_2936





自転車は会場内のヒルギの木に繋いでおく。コース内は撮影禁止なので、遠く離れて写真を撮る。

【今日のじょん】:暖かい日が続いて、あせって椎茸菌とジャガイモの種芋買ってきたのにこの雪だぜ。昨日との温度差は13度イヤ~参っちゃうネ。P1030995 P1030992
  

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