goo blog サービス終了のお知らせ 

晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

浅原のこと(5) 3/3

2013-03-03 | 上林地名考

2013.3.3(日)曇

 綾部市睦合町浅原(あずら)について、鉄の生産あるいは加工に関連ある土地、または水銀の産地による崩壊地形の土地という想像をしてきた。
 前者の根拠は、葛禮本神社の祭神が金山彦神であること、中風呂、夕船などの地名があること、木炭の豊富な供給地であったことなどであるが、明確な証拠があるわけでは無い。
 後者については分水地名に関連して水銀の産による崩壊地形という想像をしてみたわけだが、今更ながら脈の薄いことである。
 なぜ無理矢理に崩壊地形説を想像してみたかというと、やはり葛禮本(くずれもと)神社の社名である。上林の神社の中で個性のある神社名といえば、壱鞍、葛禮本、坂尾呂、黒土など各社であるが、神社名の多くはその地名を表すと言われている。しかしどれをとっても現在の地名に一致するものは無く、いったいどこからその神社名が付いたのかは謎である。もちろん言い伝えなどはそれぞれあるようだが、信憑性のあるものは少ない。Img_3225
 



葛禮本神社前から浅原谷。

 クズの神、久須志や九頭龍、國津、国主神社などとの関連性もないものかと調べたが、はっきりしない。
 しかし、社名がクズレとなっている以上”崩れ”に基づくものではないだろうか。地形を調べて、崩壊地形となっていればその可能性は随分高いのだが、地すべり地形分布図を見ても、それらしい徴候は一向に無いのである。Img_3224




葛禮本神社本殿。

 大栗地名を調べた際に、大栗地名のあるところやその上流に必ず大規模な地すべり地形を見つけて驚いた。最近では沖縄の佐敷町が地すべり地名だというので、北山の桟敷ヶ岳を調べたら、これまた地すべり地帯であったので、地形と地名の関係は深いものがあると感心させられた。
 葛禮本神社のある浅原には分布図による地すべり地形はなく、地形図でも航空写真でもそれらしい地形は見当たらない。つづく

 【作業日誌 3/3】
薪収集
P1040001



連翹(レンギョウ)植えつけ、国松さんに15本立派な苗を戴いたので、府道沿いに並べて植えつけた。成長したらきれいになるぞ。P1030998

 



 【晴徨雨読】160日目(2007.3.3)奥武島~那覇
一大観光地の玉泉洞には失望したが、ガラビ洞には興味がわいた。ところが私有地で入れなくて、郷土資料館で詳細を見る。入れたとしてもとても恐ろしくて入れなかったと思う。沖縄南部は観光地化していて面白くないが、じっくりと探せば良いところがあるのかも知れない。Img_2959
 



 従前から行きたかった糸満の幸地腹門中墓を訪れる。5500体の遺骨が納められているというので、そういう意味では世界一かもしれない。Img_2965

 



【今日のじょん】:先日パオパオさんが来じょんして、ホノホノドッグに寄り、キクちゃんとワンワン運動会にエントリーしたらしい。それならばとじょんも参加することになり、目下練習中。ボール取りに行くのは超高速なんだが、そのまま真っ直ぐ帰ってこないのが難点。P1030996
 
 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅原のこと(4) 3/2

2013-03-03 | 上林地名考

2013.3.2(土)雪  浅原のこと(3)は2010.2.9

 沖縄県国頭村(くにがみそん)の黄金山に登ったのは、2007年2月24日のことである。現地に行くまでその存在さえ知らなかったのだが、観光地である金剛石林山に行った際に道中天空に聳える岩峰を見て何としても登りたいと思った。
  金剛石林山の事務所で登ることが可能かどうか聞いた。登山道があって登る人があるみたいだと聞いて、帰りに登ったのである。登山道は案内板もあり取り付きまで自転車で行けたし、岩壁もロープが張ってあり、岩登りの技術があれば簡単なものであった。ただし、岩壁部分はもちろん登山道も相当な傾斜で苦しい登山となった。Img_2772 Img_2769 Img_2768
 






登山口の看板、ジャングルの中の急登、途中の拝所。
Img_2765 Img_2757 Img_2763




 


見おろす岩壁、高度感抜群。頂上の祠、男神か。辺戸岬方面。

Img_2760 Img_2764


 


山原西海岸、東海岸方面。

 この山は聖地であり、道中にも何ヶ所か拝所があり、沖縄特有のジャングルの登山道は気味の悪いことは沖縄でもベスト5に入る。もちろん登山者は一人きりで、それもあってか山頂の眺望は伊江島タッチューとともに最高のものであった。

 そして今、「地名を歩く」(南島地名研究センター編著)という沖縄、奄美の地名に関する書物に、黄金山に登った時と同じ写真が二枚掲載されているのに気付いた。それは国道58号線付近から撮ったものと辺戸岬から撮ったものである。Img_2775 Img_2684
 



国道から見上げる安須森と辺戸岬からの安須森。

さらに驚くのは、その山は黄金山ではなくて、安須森(あすもり)という山名になっている。そして文中には国頭村辺戸岳の別称と書かれており、国土地理院地形図では辺戸御嶽(249.3m)とある。
 どうやらこれらの山名はひとつのものであり、沖縄で最初の御嶽と言われており数多くの神話がある聖地だということだ。
 問題は安須森の語源であり、アスとは上代語のアズ(土へんに冉)に対応し、”くずれやすい崖=崩崖”をいう地形語であるということだ。小豆島も古くはアズキ島と呼ばれていて”崩れやすい土台”という義を秘めているとある。
 (アズ)は遡源すればアイヌ語の断崖絶壁を意味するあッソオロ(as-soーor)まで行き着く可能性もある、とまで書かれている。
 この項の筆者は久手堅憲夫氏で日本地名ルーツ辞典の沖縄県の執筆者の一人でもある。この辞書では執筆者は異なるが、小豆島は古来アズキ島だが、その由来は小豆の産出によるとある。
 わたしは農産物や林産物の産地に基づく地名には懐疑的であり、やはりアズキ島の由来は崩崖であると考える。寒霞渓を始め大規模な崖が島内のあちこちに存在している。古代地名語源辞典の楠原祐介氏の見解も小豆島=アズキ島は崩崖地形というものである。 つづく

【晴徨雨読】159日目(2007.3.2)奥武島滞在、ダイキンオーキッドレディス観戦
 プロゴルフトーナメントの観戦なんてのは後にも先にもこの一回だけだ。この当時は宮里、横峯、大山なんかの女子プロの最高の人気があるときで、開幕戦でスターが勢揃いするのでこれは見るべしと思い一日をあてた。前日券だと安いので、自転車のままハウスに乗り付け、バイクスタイルでロビーで購入、当日も自転車で会場に入り、そのスタイルでギャラリーしていた。なかなか勇気のあることであった。優勝は米山みどりだった。Img_2934 Img_2936





自転車は会場内のヒルギの木に繋いでおく。コース内は撮影禁止なので、遠く離れて写真を撮る。

【今日のじょん】:暖かい日が続いて、あせって椎茸菌とジャガイモの種芋買ってきたのにこの雪だぜ。昨日との温度差は13度イヤ~参っちゃうネ。P1030995 P1030992
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする