晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

鉄滓(1) 3/15

2013-03-15 | 歴史・民俗

2013.3.15(金)快晴

 2013年1月にカフェじょんのびで今までに収集した鉄滓の展示を行った。主催者の思惑とは裏腹に興味を示すお客さまはなく、淋しい思いをした。しかしそれは無理も無いことである、私自身鉄滓なんてついこの間まで何の興味も無かったのだから。P1030586
 



展示されていた鉄滓

 上林谷で製錬が行われていたのではないかという思いを持っていたところに、上林川で一個の怪しげな石を拾ったとき、これほど心躍ったことは無かった。2011年4月4日のことである。ただしそれが本当に鉄滓であるかどうかということは問題であった。何しろ今まで本物の鉄滓を見たことがないので判断のしようがない。
 ただそれが自然のものでないことは判る。かすかに磁性があり、曲線的に走る気泡の跡がある。よく見ると茶色に錆びた部分があり、そこは磁性が強い。自然の石よりも軽く、濃い灰色の部分はプラスチックの成形品のようだ。片側は細かい砂状のものが丁度セメントのように張り付いており、やはり工事に使った構造物かなあと思った。Img_2613 Img_2614




最初に見つけた鉄滓の表裏、左がセメント状、右はプラスチック状。


 頼る人も無く、本の写真を見比べても釈然としない、インターネットの画像を調べて同様のものを見つける。確かに鉄滓である。
 わたしの上林谷産鉄説は正しかったのだ、というより予想が当たっていたのだという喜びで小躍りしたが、それは鉄滓さえ出れば産鉄がなされていたという稚拙で短絡的な思いであった。
 その後続々と同様の鉄滓を拾ったが、上流畑口川流域の清水に近世の鋳物師井関氏が操業していたことを知る。近世の鋳物師は銅などを溶かして梵鐘や灯籠などを作る職業と思いがちだが、日常は地金を溶かして鍋釜などの生活用具や農具など鋳物鉄製品を作っていたようだ。P1010807
 



清水鋳物師井関家たたら跡。

 清水鋳物師のタタラ場から出る鉄滓が大水の際に下流に流れてきたとしたら、念道(ねんどう)付近で採取される鉄滓のつじつまが合う。もしそうだとしたら産鉄とは縁もゆかりも無いこととなる。つまり近世鋳物師は自らが製鉄することはなく、出雲あたりで生産される銑鉄を購入していたからだ。つづく

【作業日誌 3/15】
薪拾い、東綾建設さんの廃棄用の雑木から拾う。軽トラ4往復。P1040062 P1040063




一杯目、四杯目、もうくたくた

【晴徨雨読】172日目(2007.3.15)えびの高原~高千穂
 昨日見つけた新燃岳新湯に入る。正真正銘の秘湯である。硫化水素泉の強烈な温泉で混浴である。(男女別もあり)それにしても新燃岳の噴火については何も言わなくなったがどうなっているのだろう。噴火は2010年にはじまり、2012年には落ち着いたようである。えびの高原に行くときに偶然に撮った写真が実は新燃岳であった。Img_3235 Img_3226




山の上のチョボは溶岩ドームかな。

【今日のじょん】:夜の9時台に吠えるのはどうも飛行機の音のようだ。また、風呂の水を洗濯機に揚げて満杯になりゴボゴボと音がするときもしっかり吠える。今日も両方とも音がしたんだけど知らん顔して寝ているぞ。気まぐれなんだから。P1040067

コメント
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