晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

洞峠(5) 11/14

2011-11-15 | 山・峠

2011.11.14(月)曇

 井出孫六氏がAさんに連れられて車で洞ヶ峠に行ったところの描写はこの峠を知るものにとってはすこぶる面白いものです。
 国道一号線がわずかになだらかな坂を上りきったところで、Aさんは車の速度を落とした。かたわらを、大型トラックがビュンビュンとばしていくのをさけて停車し、Aさんは道路マップを広げて言った。「そう、ここが洞ヶ峠らしいですよ」
 Aさんの言葉につられて、わたしはスーツケースに忍ばせてきたキャラバン・シューズをとりだそうとして、尋ねた。
「登り口はどこですか?」
車窓から外を見ても、あたりにけわしき峠への登り口はおろか、山らしいものは見当りはしない。Aさんは、気の毒そうにわたしをふり返って、言った。
「いや、あのドライブ・インのあるあたりが、洞ヶ峠なんだそうですよ」
 井出氏は面白おかしく書いたわけではなく、如何に洞ヶ峠が知られていない存在で、一般に思い浮かべる峠と違った存在の峠であることを表現したかったのではと思わせます。つまり、洞ヶ峠はどこにありどのような峠かあまりにも知られていない割りにことわざとしては意味深で誰にでも知られているということです。
 わたしの珍説というのは上林の洞峠と京都大阪間にあることわざの由来となっている洞ヶ峠が混同されているのではないかというものです。
 洞ヶ峠=山崎の合戦=光秀、秀吉→洞峠=光秀という構図になっているのではということです。Sta_0174

ガラシャ夫人所縁の勝竜寺城(長岡京市)


 戦国時代の様子を綾部市史で見る限り、光秀が上林とつながりがあるのは天正7年(1579年)金剛寺を焼き討ちし、洞峠を越えていることぐらいではないでしょうか。
 光秀の「敵は本能寺にあり」の成句をはじめ、「三日天下」「天下分け目の天王山」「洞ヶ峠」など著名なことわざを残しています。本能寺も天王山もだれもが知るところですが、洞ヶ峠ほど不可解な峠はありません。そのことが洞峠との混同錯誤を招いたとしてもあり得ないことは無いと思われませんか。

【作業日誌 11/14】
テーブル用収納棚作り4日目

今日のじょん:季節柄じょんは絶好調のようだが、写真のように今年の紅葉はいまいちだ。でも朝の霧の風景はらしくていい。じょんを入れるとアングルがもう一つなので、景色だけ楽しんで。 P1000351

P1000353


   

 

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建田の金刀比羅さん 11/13

2011-11-13 | 上林界隈(AKB)

2011.11.13(日)曇

 建田宝永講社の大祭が忠(ただ)の高橋さん宅でとりおこなわれ、自転車でお詣りしてきました。河牟奈備神社の石段下の案内看板を見ると、三年前どこに金刀比羅神社があるのかなあと探したことを思いだします。社殿は無くて三町の廻り持ちの講であることが判り、300年目の大祭にお詣りしたのがもう三年前なのです。その間武吉(たけよし)、佃(つくだ)とめぐり再度忠(ただ)に還ってきたのですが、三年という月日の早いのに驚かされます。P1000337 P1000339 P1000342
 



 忠の金刀比羅さんは川の北側と南側で順繰りになっているそうです。三年前が北側だったので今年は南側となっています。橋を渡ってこの地域に行くのは実は初めてです。北側は佃や武吉に向かう通り道なのでよく通っていますが、南側はいつも見ているのですが行ったことは無かったのです。念道の折山峠を越えるとそこに出るのですが、獣害除けの柵があるため行くことも無かったのです。
 住んでる人には何気ない景色でも、他所から来る者にとっては新鮮な感動があります。建田三町(忠、佃、武吉)には上林街道沿いや古屋や市志などの谷間とは又違った良さがあります。それは住環境ということではなくいわゆるロケーションの問題ですが、、。
 一番のお気に入りは上林川です。28水(昭和28年台風13号の大水害)以降完全に整備されて安全になったのですが、かつての河原や清流は姿を消しました。特に数多くの井堰によってよどんだ水は景色としてはいただけません。
 忠から武吉までは上林川が大きく迂回する地形で渓谷状になっており、岩床が表れ昔ながらの流れが蘇っているようです。くしくも川下りをした恭子ちゃんがこの部分と橋上から由良川に至る部分が良いと言っていました。
 上林川に於ける忠の魅力は河原です。集落からすぐに降りられる広々とした河原はなんともうらやましい限りです。蛍の時期には必ずここにやってこよう。
 P1000341
P1000340



 神主さんがなにやら祝詞をあげられている間にお詣りを済ませ、御神酒を戴きます。今日は各地でイベントが多いせいか心なしお詣りの人数が少ないようです。北側の市道の方に目をやると、小高いところに大きな墓地が望めます。市道を走っているばかりではついぞ目に付かないのですが、こちらからだとよく解ります。この地域は両墓制ではないのかと村の人に尋ねると、やはり過去には両墓制であったのが、集合墓にしたのだということでした。
 来年の金刀比羅さんは武吉町です。

【作業日誌 11/13】
テーブル用収納棚作り2日目

今日のじょん:今年は柚が不作で、柚風呂ができそうにない。じょんの散歩のついでにどこかの家にどっさりなっていないか探しに行く。写真は先日雨が降った日のものだが、やはり不作だ。P1000323 P1000324

 客去りて 柚ひとなりの 寒さかな   うとく 

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洞峠(4)  11/12

2011-11-12 | 山・峠

2011.11.12(土)曇

 洞峠(3)で明智光秀と洞峠の因縁について説を思いついたので予告をしましたが、あまりに奇妙と云うか珍説なので躊躇しておりました。洞峠だけにホラ話でしたというような感じで軽く流してください。
 珍説に入る前に、洞峠下の石室の件ですが(10,19 洞峠(2)参照)、実際に存在するそうです。是非来年の風に吹かれる会で探してみたいと思っています。
 また、福知山観光協会から光秀公ゆかりの地を巡る三郡マップというものが発行されています。上林地区では井根町の日圓寺が紹介されています。観光案内所などで無料配布されていますので、ゆかりの地を巡るのも一興です。P1000336
Img_3911
三郡マップは天田、何鹿、氷上各郡の光秀ゆかりの地が紹介されています。写真は日圓寺観音堂。


 峠について記述されている方はロマンチストである場合が多いようです。多くは登山家、岳人なのですが、頂上(peak)が人の生活と無縁であり、人を拒絶してきたのに反し、峠(pass・col)は人の生活の一部分です。だからこそそこには人の歴史が残っているし、事件も伝説もあるのです。自転車で峠を目指すのをパスハンティングと言うそうです。私はピークハンティングは許せるのですが、パスハンティングは許せない気持です。
 話がそれてしまいましたが、井出孫六氏の著書に「歴史紀行 峠をあるく」と言うのがあります。内容についてはいづれ雨読で紹介いたしますが、その中に洞ヶ峠(ほらがとうげ)というのがあります。峠紀行文多しと言えども洞ヶ峠について書かれた文は珍しいと思われます。洞ヶ峠という諺はどなたも知っておられるとおり、日和見のことです。
 大和郡山城主の筒井順慶は光秀が信長を討ったときは光秀を助け、秀吉が東上するとなると態度を曖昧にし、洞ヶ峠で戦況を眺め秀吉有利となると秀吉側について大功をたてたという話からきている諺です。史実は順慶は郡山城を一歩も出ていないということで、とんだ濡れ衣ということですが、洞ヶ峠が山崎方面を見渡せ、戦況を見るには格好の地であることは間違いありません。
 大方の人は洞ヶ峠を知らないと思いますが、井出氏もその位置が解らず案内されて驚かれた様子が書かれています。私は以前家を建てるときに建築会社の工場が洞ヶ峠の大阪よりのところにあり、家財を置かせてもらったので幾度となく通うことになりました。そんなことがあって重々知っているところなのですが、それは国道一号線の京都大阪の境にある峠なのです。つづく(洞峠(3)は2011.10.20)

【作業日誌 11/12】
じょんのび水道修理

今日のじょん:今月のじょんカレンダーは大岩の滝だ。今年は紅葉が遅くて、イマイチだそうだが、昨年はなかなかの景色だった。来年はカレンダー止めて、フォトアルバム「じょんのび村の仲間たち」を作製予定、また実費で提供するつもりだ。P1000327

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冬の準備始まる 11/11

2011-11-12 | 日記・エッセイ・コラム

2011.11.11(金)雨

 朝の室内温度が20度を切って、今朝は16度となりました。11月だから当然なんだけれど、長い間暖かかったので結構応えます。雨も降って薄ら寒いという感じでいよいよ冬の準備を始めることにしました。
 湯たんぽは9日から使用しています。ストーブも本日から使用、というより試運転という感じです。焚き付けに火を着けると気持ちよく燃え出すのですがやがてストーブの隙間からカメムシがワサワサと這いだしてきています。なんとなく情けない気になるのですが、ままよとばかりに一緒に燃やしてしまうことにしました。下手をすると猛烈に臭くなるのですが、一気に燃やすと大丈夫なようです。どうせ煙突の中にも居るんだろうから、、。
 薪はこの春切り出したものですが順調に燃えています。まずは試運転成功といったところです。沸かした湯で夜は湯たんぽと今冬の暖房も準備OKです。
 衣替えも少しずつ進めてきましたが、最終ラウンドとなり厳冬期用の衣類も出しました。しかし使用するにはちと早いようです。
 観葉植物は二階の屋内テラスに上げ準備万端、なにしろこの場所が我が家で一番暖かいところですから。P1000334_2 P1000335_2

観葉植物はぬくぬくのところに収まりました。


  ところが冬の準備はこれだけでは済みません。庭木の雪囲い、その前に庭木の剪定、梅の木も剪定が必要です。第三木小屋は完成したけれど、昨冬切り出した木が沢山残っています。早々に薪割りをしなくては。そして最大の課題は雪用玄関前室の建築です。構想は大体出来てきたのですがなにしろ大事なので、雪が~降る前にっというわけに行かないようです。
P1000155
じょんは喜んでますが、これみんな割らなければならないのです



【作業日誌 11/11】
テーブル用収納棚作り

今日のじょん:旅行時にレインコートを買って貰った。以前のは三年近くたっているのか、防水は弱くボタンなども取れたりしていた。色々種類はあるけれど同じ色、同じ型を買ったのはすんなり着て貰うためである。嫌なレインコートも最近では少し慣れてきたかと思われる時期に、買い換えで元に戻ったら大変という思いがあるようだ。
 買ってきてすぐに着用の時期が来た。あやバスと同じ色合いで気に入ってる。P1000321

 
 

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雨読 続 日本の地名 11/10

2011-11-11 | 雨読

2011.11.10(木)曇

  「日本の地名」の続編と言うことですが、内容的には継続しているものではありません。続編では動物地名を扱っています。古代から動物たちは人の生活と共にありました。時には敵対して戦ったり、怖れたり敬ったり様々ですが、地名となっている動物のトップは鹿であり、熊と猪でベストスリーとなるそうです。やはり古来からこの三種の動物には関わりがあったのでしょう。
 「続 日本の地名」谷川健一著 岩波新書1998年5月第一刷 定価640円 購入価1円
P1000329  地元の小字などを見ていると、中上林地区では8ヶ所、奥上林地区では18ヶ所となっています。動物別で複数あるのは中上林で馬ー4ヶ所、奥上林で鳥類ー6ヶ所、狼、牛、獅子、馬、魚類が各2ヶ所となっています。中上林では動物地名が少なく、しかも家畜が多く、奥上林では自然の動物名が多いというのはある意味で動物との関わり合いの程度が表れているのかも知れません。
 さて本書では魚類、ほ乳類、爬虫類、両生類、鳥類から貝や蛸など、ついにはカッパまで扱っています。
 一般的に動物地名と言っても、もともと地形用語であったものが、音が一緒だったので親しみのある動物の名をあてたものがほとんどと思われます。例えば遠野市(岩手県)の猿ヶ石川(さるがいしがわ)などは、アイヌ語でサル=葦をあらわし、石は釜石のように~のところという意味で、葦の多く生えている川という意味だそうです。また洪水で大きな被害のあった十津川村には猿飼(さるかい)の地名があります。サルは崖を表し、カイは峡を表すそうです。つまり動物の猿には無縁な地名なのです。Img_1330
 こういう一般的な地名も扱っていますが、やはり地名の大御所だけあって難解地名や奇妙な地名を多く書いておられます。
 犬では犬卒塔婆(いぬそとば)、犬島、小犬丸(こいぬまる)、犬川(いんがー)など一般的でない地名が登場します。私としては犬山や犬飼、犬鳴山などの普通の地名について知りたいと思います。
 日吉町の地名を調べていて、神楽坂(かぐらざか)について書いたのですが(2011.10.11参照)、実はどうも納得がいきません。すると本書の猪の項に、狩り言葉としてカクラというのが出てきました。狩倉のつづまった言葉ですが、狩りの対象となる動物が居そうなところ、狩り場という意味だそうです。岐阜県郡上郡和良村に鹿倉(かくら)、佐賀県東松浦郡鎮西町に加倉(かくら)があり、南北朝時代には狩倉と書かれていたそうです。この意味だと神楽坂も理解できそうなのですが、そういえば三和町にも鹿倉山(しかくらやま)という山があります。
 上林周辺の小字を見ていて最も気になる動物地名は牛鬼です。この妖怪を示す地名が山間部に結構見あたるのです。有名な宇和島の牛鬼は秀吉の朝鮮出兵の際の一種の戦車みたいなものという説がありますが、この地方の地名としては関係なさそうです。どうも地形をあらわす地名と思われますが、いまだこの地名に関する情報は見あたりません。P1000330
 

宇和島の牛鬼。

【作業日誌 11/10】
プリンタ台つくり

今日のじょん:じょんがクンクン嗅ぐので谷を見てみると、アチャー猪だ。じょんのび谷上部と水源の当たりがすっかり掘られている。多分カニとか捕ってるんだろう。もう解禁だもんね。P1000313 P1000312

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続・社員旅行 11/9 

2011-11-10 | 日記・エッセイ・コラム

2011.11.9(水)曇

 永ーい夜が明け、早々にじょんの様子を見に行きました。眠そうな顔をして、こいつも不安で寝られなかったんだろうなあと可哀想になります。今朝は線路沿いに東山公園に行くことにします。やはり踏切の前で座り込んでしまい、面倒なので抱っこして渡ります。公園でおしっこうんPして、帰りの踏切は、流石に慣れてきたのか、すんなり渡れました。帰ってきて車におさまったのですが、初のお泊まりがこんなに疲れるものか、休養どころではなくなりました。P1000248_2
 
東山公園に行くには、この踏切と橋を越えていかねばなりません。



 今回生野銀山に行きたかったのですが、あまりに疲れたため玄武洞に変更しました。何度も城崎を訪れながら行ったことが無かったのです。というより、行ってもたいしたこと無いだろうという思いがあったのです。ところが実際に訪れてみると、流石に天然記念物だけあって、見事な節理で、玄武洞だけでなく四つの洞からなり、きれいに整備された公園です。特段ペットが不可とも書いてないので、じょん君も登ることにしました。階段でつながっているので上り下りができるかなあと心配しましたが、登りはぐんぐん引っ張られるし、下りはリズミカルに降りて行き、私たちより元気に上り下りしていました。P1000264 P1000270 P1000269
 




 私は玄武岩には大変興味を持っています。それは村上さんに頂いた庭石の玄武岩に磁性があったからです。老富町のサンドラ岩にも磁性が認められます。今回もポケットに磁石を用意してきました。無数に落ちている玄武岩の欠片にあてると、弱いながらも磁性が認められます。玄武岩の説明でそのことが解りました。
 玄武岩は珪酸が50%と少なく、70%以上ある花崗岩や流紋岩の酸性に対して塩基性岩と呼ばれます。珪酸が少ない分だけカルシウム、マグネシウム、鉄が多く、斜長石、輝石、磁鉄鉱、カンラン石などを含みます。この磁鉄鉱が磁石に反応しているわけです。古代人は含有量こそ少ないが、柱状節理で見つけやすいこの岩石を原始的な製鉄の原料としたのではないかという、深遠なことを考えているのです。
 玄武洞を降りたところに玄武洞ミュージアムという宝石や鉱石、化石の博物館があります。かみさんとじょんを待たせておいて見学してきましたが、やはり人を待たせていると心ゆくまで見られません。ただその中で、ずっとこの目で見たかった鉱物を見ることが出来ました。それは高師小僧(たかしこぞう)です。
 豊橋市の高師原で発見されて付いた名前ですが、葦などの水生植物の根に水酸化鉄が付着成長し、やがて根が枯れて空洞になったものです。これは褐鉄鉱であり、最も初期の製鉄原料だろうと真弓常忠氏が「古代の鉄と神々」で述べているものです。写真では見ましたが現物を見るのは初めてです。しかも伏見区深草で発見されたものです。P1000286
 



 おみやげに「愚かなる金」を買ってきました。お店に飾っておきます。

今日のじょん:本文に登場なのでおやすみ。

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社員旅行 11/8

2011-11-10 | 日記・エッセイ・コラム

2011.11.8(火) 曇

 じょんのび村に入植して以来3年半、ついぞ旅行ということをしませんでした。毎日毎日が多忙であったこと、貯えが底をついて予算が無くなったことなど様々な要因はあるのですが、なによりもじょんの居ることが家を空けられない最大の理由です。当初は誰かに預かって貰ってとか、業者に預かって貰ったりとか考えていたのですが、そういうことが出来ないことがはっきりしました。じょんが凶暴で粗相するとかそういうことではなくて、その逆ですこぶる聞き分けが良いのだけれど、それだけに無理に嫌がるところに預けるというのが可哀想なのです。いくみちゃんなら安心して預けられそうだけど、彼女も猫二匹飼ったので無理になりました。
 そんなこんなで、一緒に連れて行くという形しか残らずついつい実施できなかったわけです。先日KKR(国家公務員共済組合)からクーポン券を戴き、ペットも泊まれる施設もあるというので、社員旅行に行くことに決めました。社員と言っても私たち二人とじょんだけです。
 ちょうどカニの解禁が6日だったし、距離的にも費用的にも手頃な城崎にしました。じょんと外泊する練習が目的でもあります。私たちは一泊旅行では極簡単な荷物ですが、じょんの場合は所帯道具全てを持って行くみたいで、かみさんが前日から大わらわです。
 車に乗るのは最近すっかり慣れて、喜んで乗るようになりましたし、酔いも以前ほどではなく、食事などで駐めて置いても問題ありません。福知山で買い物したり、シルク温泉で食事したりして城崎に向かいました。P1000243 P1000245
 



 福知山の某ペットショップには芝生の遊び場があります。先人、いや先犬のうんPがありがっかりしました。そういう飼い主ってどこでもいるんですねえ。右はシルク温泉、入浴はしませんでしたがいつも賑わっています。


 ところが予想通り、ペット用の建物にもケージにも入りません。大体我が家でも閉じこめるという事は一切していないので無理もない様です。やむなく車に入れておくことにしました。
 散歩も上林と様子が違って大変です。人が多い、車が多い、犬の臭いが多い、障害物が多いということで、嗅ぎ回ったり怖がったりでちっとも進みません。グレーチングや鉄板を怖がりますがそれでも慣れてきてなんとかなったのですが、困ったのは踏切です。なにせ上林には踏切なるものはありません。じょんにとっては踏切は初めて見る異様なしろものなのです。押しても引いても動かなくなり、ついには座り込んでしまいました。P1000247 P1000250
 



 散歩コースを探しに東山公園に登りました。線路と城崎大橋が見えています、あの対岸に行くことになりました。もう臭いだらけで大変。

ようやく散歩も終わり、おしっこうんPも済ませたのですが、車で寝るのも初めての体験でどうなる事やら。美味しいカニと美味しい酒でこちとら寝込んでしまったのですが、妙な暑さで目が覚めると、じょんは暑くないかい、車の中で窒息しないかいと心配ばっかり、悶々の夜を過ごすことになります。

今日のじょん:本文に登場でお休み。
 

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雨読 付会ということ 11/6

2011-11-09 | 雨読

2011.11.6(月)曇、雨

 本日の雨読は、本の紹介ではありません。「いび郡の地名」を紹介した際に書きたかった事なのですが、後になってしまったので雨読のカテゴリーで書いておきたいと思います。
 地名に関する本を読んでいると、よく”付会”(ふかい)という言葉が出てきます。国語辞典で調べると、「無理にこじつけること」とあります。実は地名にはほとんどと言ってよいほど付会が着いています。
 例えば「念道(ねんどう)のこと」で紹介した粘土説、念仏の道説などは付会と考えます。私も当初は、「殿村はお殿様が住んでいたのだろう」「栃は栃ノ木が生えていたんだろう」などと考えていました。これ等が付会で、実は殿=河岸段丘等の一段高いところ、栃=山稜がせまって急に狭くなっているところ、などというのが正当な答なのです。
P1000143
念道橋から上流を見た映像、遠望ですが君尾山光明寺の建物が見えます。「お詣りの人が初めて光明寺を目にして思わず念仏を唱えた」という念道の由来は付会ではありますが、当時の人々の宗教心を伝えるものとして大切な逸話でしょう。


 こういった付会にはさまざまなタイプがあって、上記のように単なる現象を表したもの、昔話や伝記から付けたもの、語呂合わせ的なもの、アイヌ語や外国語を無理矢理こじつけたものなどがあります。
  そして地名に関する学者先生の多くはこの付会を無視します。「~という話が伝えられているがそれは付会である。」という形で表れ、強烈なものは「取るに足らない付会である」という表現となります。実は私も、伝説として伝えられている地名語源を付会であるという表現で片付けていました。そうすることによってより自分の説がより正しく思われるのではないかという意識がはたらいているのかも知れません。
 しかし最近、そういった地名の由来となっている付会と思われる伝説や逸話を尊重すべきだという風に思ってきました。
 それは例え地名の語源として滑稽であったり、不自然であったりする話であっても、その地に住んできた人々の思いがこもっている話だからです。それは宗教的なものであったり、住民の願望や希望、あるいは表だっては言えない体制に対する批判や皮肉というものもあります。これは無視するわけにはいきません、地名の研究というのは単に地名の語源、由来を探るということではなく、そこに住民の歴史や生き様を解明することが目的です。そういう意味で今後は付会と思われる伝説や逸話も大切に記録し保存していかなければならないと考えます。

今日のじょん:今夜で2回目なんだが、夜中に奇妙な鳴き声がする。20時~23時の間なんだが、ギャーギャーといった鳥の鳴き声の様なんだが、地表を移動しているように思える。これにじょんが強烈に反応する。ぐっすり寝ていたと思うのが、急にガバッと起きて吠えるわけ。闇の中に懐中電灯を灯すが、得体が知れない。以前にかみさんがキツネを発見した。どうもキツネの鳴き声かと思うのだが、何とも気味の悪い鳴き声ではある。P1000220


ここまでぐっすり眠っているのが急に起き出して吠えるのだから、驚いてしまう。

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雨読 丹波マンガン記念館の7300日(2) 11/6

2011-11-06 | 雨読

2011.11.6(日)雨

 著者の李龍植氏は、丹波マンガン記念館の創始者であり初代館長の李貞鎬(リジョンホ)氏の三男で、二代目の館長です。父親と共にマンガン鉱山で働き、記念館の設立に尽力されてきました。従って鉱山や坑内労働の実情についても、マンガン記念館を設立するに至る状況についても詳しく、生々しく書かれています。取材をした田中氏よりも臨場感があることは当然です。強制連行や強制労働、じん肺、差別といった問題についても当事者の立場で述べられているので訴える力があります。
 マンガン鉱やマンガン鉱山に対する知識、研究といったものも館長として深い研究をなされています。大産地であった丹波に居住していてもマンガン鉱山が無数にあったことや、そのマンガンが何に使われていたことも知らないのが普通ではないでしょうか。私自身マンガン鉱山に関するこの二冊の本を読むまで解りませんでした。丹波マンガン記念館を訪れながらも、何を見てきたのでしょうか。Img_3897
 
日吉町佐々江の明日ヶ谷入口。この谷の岩見鉱山が日吉のマンガン鉱山の発祥とか(明治39年)。


 マンガンといえばマンガン乾電池という認識しかありませんでした。もちろん電池の材料として、例えば戦時中であれば潜水艦の電池としてUボートにも使われていたそうです。ドイツではマンガンのことをタンバと呼んでいたそうです。
 しかしマンガンの最大の需要は鋼鉄です。戦車のキャタピラや砲身などの鋼鉄を作るためにはマンガンを添加しなければならないのです。戦前のマンガン供給量は戦中の一割程度であったそうです。マンガン鉱山の経営者や労働者に兵役の免除を与え、朝鮮から労働力を集めてまで丹波の山々を蜂の巣状に掘り尽くさなければならない理由はそこにあったわけです。
 亀岡や和知で産出されたタングステンも、より硬い鉄を造るために使われたそうです。およそ鉱業、鉱山とは無縁と思われる丹波が実は重要な鉱物の産地であったということ、そしてその現場では不条理な労働が存在したことを丹波マンガン記念館は訴え続けていました、2009年5月31日までは。Img_0254


自転車日本一周旅行時(2006.7)には存在していました。


 今日のじょん:じょんの食事は朝夕の二食である。夕はしっかり食べるが、朝はばらつきがある。その時に食べないで、昼に食べたり、夕食前に食べたり、あるいはそのまま食べなかったり。これはどうすれば良いのか解らないのだが、かみさんは朝食べないと不機嫌だ。写真は「食べなさい」と怒られているところ。P1000207

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雨読 丹波マンガン記念館の7300日(1) 11/5

2011-11-05 | 雨読

2011.11.5(土)雨

 自転車日本一周旅行中に多くの鉱山博物館や観光鉱山を巡ってきました。特に東北地方には多くの施設があり、小規模ながら頑張っているという感がしました。ところが、坑内労働の厳しさ、過酷さは表現されていても、罪人の労働や戦時中の朝鮮人強制労働など鉱山の歴史の暗い部分、もっとも悲惨な部分は表現されていません。底辺の労働者こそが日本の近代化、日本の重工業を支えてきたわけで、そういったものを展示、表現して欲しいとその都度記事に書いてきました。Img_1160 Img_1170
 



 写真:2006.10.14に訪れた、岩手県野田村の野田玉川鉱山は珍しいマンガン鉱の観光鉱山です。古い有数の鉱山ですがここでも過去の暗い歴史にはふれることなく、近代的な工法の紹介や宝石の販売などが行われています。

 ちょうど「マンガンぱらだいす」田中宇著が観光鉱山で、本書が鉱山の実態を訴えている博物館というふうに対比できるものです。
 「丹波マンガン記念館の7300日」李龍植(LEE Yog Sik)解放出版社2009.6初版 南丹市美山図書室から借りたものです。
「マンガンぱらだいす」は既に雨読で紹介していますが、本書の目次に「歴史の歪曲を糾すー田中宇「マンガンぱらだいす」第三章批判」というのがあり、取り寄せて読んだ訳です。P1000210
 「マンガンぱらだいす」(雨読 8月17,18日参照)というタイトルには実は驚きましたが、なぜぱらだいすかは語られていません。結局、大儲けをした鉱山資本と一攫千金とばかりに山を当てた鉱山師、徴兵逃れにマンガン鉱に手を出した京の旦那衆にとってのぱらだいすなのかもしれません。
 第三章批判というのは、田中氏が朝鮮から丹波のマンガン鉱に出稼ぎに来て、多くの報酬を得て帰国したという風に書いてある事に対し、そうではなくて強制連行で連れてこられて、強制的に働かされたと言っていることです。
 従軍慰安婦の問題も書かれていますが、やはり強制連行とは首に縄付けて引っ張るということではなくて、行かざるを得ない状況にして、連れて行くのも強制連行ではないでしょうか。戦時中の朝鮮の場合、土地を奪われ、仕事や役職を奪われ、そのと地では生きていけないようにして連行しています。
 田中氏は李親子と共に協力して取材をしてこられたと思います。記事に重複する場面がいくつかあるからです。そして田中氏が「マンガンぱらだいす」を発行されて李氏は驚いたのでしょう。強制連行や過酷な労働、じん肺の苦しみと差別などが、「ぱらだいす」になっているからです。これ等は私の想像ですが、氏の本書を書く動機の一つはこういう事だったのではないでしょうか。つづく

今日のじょん:なっちゃんが遊びに来て疲れてしまったようで眠り込んでいる。P1000220




 なっちゃんが大きくなって怖くなったみたい。小さいときは一緒にサークルに入って遊んでいたのに、、、。Img_0764

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じょんのびアラカルト11.11(2) 11/4

2011-11-04 | 日記・エッセイ・コラム

2011.11.4(金)晴

 素人による古民家再生&古布(着物販売・木綿・絣)販売
 自分の手で六年かかって古民家を再生された村上さんが古民家のお披露目と古布の販売をされることとなりました。
 日時:2011年11月5(土)・6(日)
 AM10:00~PM16:00
 場所:綾部市十倉中町張田4-1
     上林街道十倉中町の東部グラウンドに駐車場を用意しています。
     歩いて200mほど、府道沿いの茶色い屋根の古民家です。P1000209
     
 


 じょんのび村ができたころ、「3年目やねん、いま石に穴開けてんねん」と訳の解らんこと言って店に来られていました。よく聞くと門の礎石に柱を立てる穴を鏨で開けておられるのです。真夏のくそ暑い時期にですよ、信じられな~い。見に行くと荷物や道具でごった返した中でお風呂やら台所や少しずつできかけていましたが、なんとも気が遠くなるような古民家再生ですが、あれから3年、よくぞ一人で作り上げてこられました。お祝いを兼ねて是非行ってみたい二日間です。

 芋づくし
 野菜が端境期ということですが、芋類、豆類は最盛期です。といっても我家で栽培している馬鈴薯はまだまだ先の収穫ですが。
 さて夕飯の膳を賑わせているのは、全て貰い物なんですが、むかご、ヤーコンのサラダ、自然薯のとろろです。どれも独特の味と食感なんですが、思えば都会で消費生活をしていれば絶対に食する機会のないものばかりです。つまりスーパーでわざわざ購入することは無いだろう食べ物だからです。P1000191 
 
キョーレツ繊維食品で屁ばかり山のホトトギス。


 そうこうしていたら、サーキさんから食用菊を戴きました。もってのほかというそうです。どこかで食した憶えがあるのだけど、思い出せません。聞けば庄内の名産で、彼の地の殿様が、「こんなうまいもん、下々に食わすのはもってのほか」と言ったとか。自転車旅行で庄内には一週間近くいたからその間に食べたのかも知れません。菊の御紋を食っちゃうのはもってのほか、というようなことも聞いたような聞かないような。P1000199

もってのほかのがくを取っているところ。



【作業日誌 11/4】
プリンタ台作製

今日のじょん:念道橋周辺の田んぼにも二段のワイヤメッシュが張られてきた。
P1000202
万里のワイヤメッシュができたワン。


ところがじょんも嗅ぎ回っているのは何者か侵入しているのだろう。河川敷にある顕著な獣道、堤防を越えて田んぼを横切っている。でも変なのはその間に二段のワイヤメッシュがあるのだ。どうやってすりぬけているのだろう。P1000205 P1000203 P1000204 




河川敷の獣道は、土手を上がり堤防を越えて、田んぼの向こうへ消えている。
ウム、ワープか? 

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じょんのびアラカルト’11.11(1) 11/3

2011-11-03 | 日記・エッセイ・コラム

2011.11.3(木・祝) 曇

 いつまで暑いんや。
 11月だというのに半袖で暮らしています。10月の体育の日ぐらいには長袖に替わっていると思うのだが、やっぱり異常ですよね。暖かい方が暮らしは楽なんですが、困るのは野菜の虫です。いままで白菜や大根など虫の心配はしたことが無いのだけど、今年は強烈です。とにかく虫がでかい、大根はまだピンセットで捕れるけど白菜の結球仕掛けのは探しようもなく、どうしようもないのです。それでも朝な夕なに葉の間を捜索して1,2匹は捕れるのだが焼け石に水と言うところで、葉は網の目状になってきている。
  てなわけで今年はきれいな紅葉は望めません。昨年はきれいだったじょんのび谷の斜面も今年は赤黄の前に茶色くなりそうです。P1000198

いまいちきれいでない紅葉。 



 晴徨雨読、アクセス数15,000回を超える。
 先日11月2日に本ブログのアクセス数が15,000回を超えました。2006年6月19日にスタートし、2010年4月24日に10,000回を記録しているのでアクセス数は増加傾向にありありがたいことと感謝しております。この間昨年のかみさんの入院期間を除いて毎日書き続けてこられました。「大変ですねえ」と言われることがありますが、日課となってしまえば特に苦痛となることはありません。むしろ記事の内容について考えることが生活の励みになっているようです。
 アクセスの解析をすることによって、記事の内容による読者の増減や、どのような検索項目からアクセスされているかが解ります。ですからアクセス数を上げるための記事の方向というのは解るのですが、そういうつもりで書いているわけではないので、つまらない部分は読み飛ばしてください。
 私の希望は、つまらないと思っても我慢して読んでいただきたいと言うことです。きっと新たな興味が沸いてくることと思います。また、ヘンだなと思うことや、疑問に感じることはどんどんコメントしてください。出来る限りお返事したいと思っています。

 キヌガサダケ続々現る
 11月1日に4本目、5本目が出てきました。10cmにも満たない小さなもので収穫するのも気が引けるようなものです。P1000161
 



 11月3日、6本目、7本目発見。また、新しい壺も2個発見しています。6本目、7本目はともに10cmを超えるもので色も形もしっかりしたものですが、レースは開かず夏期のような期待感はありません。P1000192 P1000193 ただ、夏のように半日で消えるようなことはなく、2日ほどは残っているので、見てみたい人はじょんのびに来てください。



 今日のじょん:先日ちょっと勇気が出るようになったと言っていたが、怖かった一輪車のところも行けるようになった。何となく情けない記事だが、これも進歩と思って見てやってちょーだい。P1000166 P1000167 P1000168  




 怖いと緊張して、カイカイをしてしまう。それでも励まされて、手を伸ばすが、腰は引けている。そしてやっとボールをゲット。 

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お客さまはカメさまです。 11/2

2011-11-03 | 日記・エッセイ・コラム

2011.11.2(水)晴

 じょんのびのお客さまは少なかったんだけど、招かざる客が沢山いらっしゃいました。そのひとつがイノシシです。裏の山や、隣の畑、じょんのび谷には日常茶飯事に侵入しているけれど、なぜかじょんのび領内には入らないのです。灯りがあるからかなあ、じょんの臭いがするのかなあ、頼りない柵が効いてるのかなあなどと考えていますが、本当のところは解りません。
 昨年も一度だけ、じょんのびファームの下の斜面を大荒らしして、畑の一部が壊れました。その時はじょんもウーと低いうなり声を上げていたのですが、まさかってんで放っていました。
 それが今年もやってきたのです。同じ斜面を横切って、じょん桜の片から再度府道沿いの斜面をトラバースし、芝生広場に上がって、虫のチェックをし、更にじょんのび坂の西の営業中の看板のところで大暴れしています。ここは先日かみさんがチューリップの球根を植え付けて、「家からは遠いけどチコが守ってくれるやろ」なんてよーきなことを言っていたところです。なぜかチューリップは無事だったのですが、芝生広場から移植した半㎡もの芝が起こされていました。そろそろ着いたかと思った矢先です。P1000181 P1000185 P1000186




 左:よく見ると斜面を横切った踏み跡がわかります。
 中:芝は補修しましたが、半分がめくり上げられていました。
 右:このように鼻で虫(ミミズやガト)を探しているようです。

 要するに繋がれている犬はイノシシに対しては効果がないということです。せめて来ていることぐらいは教えてくれよと思うのですが、、。
 イノシシはその後桐の木の辺りを掘り返し、谷から山に帰ったようです。被害はというと芝ぐらいなのですが、今後馬鈴薯などが育ってきたらと憂鬱になります。イノシシ鬱というのでしょうか。
 もう一つ招かざる客がカメムシです。今日も天気がよいので、絶好のカメムシ日和です。倉庫の整理をしているところですが、捕ったしりからブーンと飛んできます。見つけるたんびに「おとーさん」なんて言ってたかみさんもはえ叩きとカメムシバスターを両手に持ってうろうろしています。何となく上林ルックという感じがして笑ってしまいます。新しいカメムシバスターをもう一個プレゼントしました。今日私が捕ったのは100匹ぐらいでしょうか、それでも一昨年よりはましな方です。P1000061

これがカメムシバスターだ!現在3個が稼働中。


【作業日誌 11/2】
倉庫、作業庫整理

今日のじょん:ワンちゃんが来たらほとんどは連れてってもらえるのだが、お客さまの都合で出してあげられないときがままある。P1000190こんな時、思い切りいぢけているのが態度でよくわかる。


いぢけ虫飛んで行く、南の空へ~イヂケイヂケ~


  

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カメムシ指数 11/1

2011-11-01 | 日記・エッセイ・コラム

2011.11.1(火)快晴

 今日はじょんのシャンプー日で、大掃除日でもあります。同時にじょんの体重測定の日であり、今年最後のフッリーダイヤルもといフロントラインの日でもあります。P1000170
 
シャンプー前にファーミネーターします。


 やや体重オーバーで、かみさんの厳しいカロリーチェックが三週間続きました。ハラハラしながら体重計に乗ると、なななんと18.2Kg、元に戻っている。高ーいダイエット食にしなくてもちゃんとコントロールできるのです。
 問題はフロントライです。フロントラインが嫌いなことは以前に紹介済みですが、シャンプーの後にフロントラインを投与されることを知っているのです。なにかガサガサと袋を開けたり、冷蔵庫から物を出したりしたら、すたこらさっさとサークルの中にすっ込んでしまうのです。こうなると引っ張りだすのは大変なので、かみさんが「あっカメムシがおるわ」ってんで窓の方に行くと、「どれどれ」って出てくるのです。そこですかさずサークルのドアを閉めてしまって、その間におとーが薬の準備をするのです。
 薬をさすとひとしきり大暴れして毛布に潜り込みます。ユキちゃんもマーブルもフロントラインなんてどーってこと無いというのに、なんでじょんはこうなるんでしょう。
 とりあえず来年の春までフロントラインは無いからまあいいか。P1000173 P1000175
 
ひとしきり大暴れ。



 さて、大掃除ですが天気が良いので絶好です。困るのはカメムシで行くところ行くところ次から次に飛んでくるので作業が進みません。見つけたカメムシは必ずカメムシバスターでやっつけることにしているからです。P1000178

今日一日で6,70匹ぐらいかな。


 上林に住んで四回目の秋、あの年は多かった、少なかったと話題にするのですが、そのうちにどの年がどうだったかわからなくなるので、憶えている内に記録しておこうかと思います。最初の年(2008年)を100としてその年の積雪も記録しておきましょう。主観的な記録ですが参考にはなるでしょう。
年       カメムシ出現    夏の暑さ   積雪        

2008    100          100      100
2009     80           50       70
2010     20          100      200
2011     50           60

 今年の様子はまだ未定のところもありますが、一応ということで書いておきました。P1000177

2008年はびっしりととまっていましたが、今年はこんなもの。


 全体的にカメムシの出現度合いと相関関係は無いようです。少なくともカメムシの多い年は大雪というのは迷信のようです。
 野菜などの害虫の出現もミクロな気候の変化が影響しているものと思われます。
今年は初めて芝のスジキリヨトウの大発生がありませんでした。それでも秋が何時までの暑いので、いまだに白菜、大根など虫害に困っています。昨秋までは虫で困ることはありませんでした。

【作業日誌 11/1】
水回り等掃除
作業庫整理

今日のじょん:本文登場のためお休み。

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