晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

洞峠(5) 11/14

2011-11-15 | 山・峠

2011.11.14(月)曇

 井出孫六氏がAさんに連れられて車で洞ヶ峠に行ったところの描写はこの峠を知るものにとってはすこぶる面白いものです。
 国道一号線がわずかになだらかな坂を上りきったところで、Aさんは車の速度を落とした。かたわらを、大型トラックがビュンビュンとばしていくのをさけて停車し、Aさんは道路マップを広げて言った。「そう、ここが洞ヶ峠らしいですよ」
 Aさんの言葉につられて、わたしはスーツケースに忍ばせてきたキャラバン・シューズをとりだそうとして、尋ねた。
「登り口はどこですか?」
車窓から外を見ても、あたりにけわしき峠への登り口はおろか、山らしいものは見当りはしない。Aさんは、気の毒そうにわたしをふり返って、言った。
「いや、あのドライブ・インのあるあたりが、洞ヶ峠なんだそうですよ」
 井出氏は面白おかしく書いたわけではなく、如何に洞ヶ峠が知られていない存在で、一般に思い浮かべる峠と違った存在の峠であることを表現したかったのではと思わせます。つまり、洞ヶ峠はどこにありどのような峠かあまりにも知られていない割りにことわざとしては意味深で誰にでも知られているということです。
 わたしの珍説というのは上林の洞峠と京都大阪間にあることわざの由来となっている洞ヶ峠が混同されているのではないかというものです。
 洞ヶ峠=山崎の合戦=光秀、秀吉→洞峠=光秀という構図になっているのではということです。Sta_0174

ガラシャ夫人所縁の勝竜寺城(長岡京市)


 戦国時代の様子を綾部市史で見る限り、光秀が上林とつながりがあるのは天正7年(1579年)金剛寺を焼き討ちし、洞峠を越えていることぐらいではないでしょうか。
 光秀の「敵は本能寺にあり」の成句をはじめ、「三日天下」「天下分け目の天王山」「洞ヶ峠」など著名なことわざを残しています。本能寺も天王山もだれもが知るところですが、洞ヶ峠ほど不可解な峠はありません。そのことが洞峠との混同錯誤を招いたとしてもあり得ないことは無いと思われませんか。

【作業日誌 11/14】
テーブル用収納棚作り4日目

今日のじょん:季節柄じょんは絶好調のようだが、写真のように今年の紅葉はいまいちだ。でも朝の霧の風景はらしくていい。じょんを入れるとアングルがもう一つなので、景色だけ楽しんで。 P1000351

P1000353


   

 

コメント
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