晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大栗峠考(13) 11/28

2011-11-28 | 山・峠

2011.11.28(月)曇

 志古田道の謎
 大栗峠を巡る京街道は元々志古田道であって、通行量が増え荷車等の必要も出てきてその座を弓削道に譲っただろうというのが大栗峠考の主題です。志古田道は崩壊地形で維持管理が難しく、拡幅の余地もなかったというのがその理由と考えています。志古田にある大栗という地名が崩壊地を示しているのがひとつのヒントでもあります。
 今回の山行もその志古田道を確認すべき山行でした。予想通りというのが実感です。峠から左の尾根を末端まで下り、峠からの沢を渡り、右の尾根をトラバースして行きます。P1000391

峠から左の支尾根を下り、右の尾根に移る徒渉地点。小規模だが道がえぐられています。こういうのを栗地形といいます。


 ここまでは古道の雰囲気も少し残っているかなという感じですが、もう一つ尾根を回り込もうかと言うところで、大規模な崩落が起きています。見た感じでは割合近年に起きた崩落のようですが、通行者が少ないため、迂回路の踏み跡も出来ていません。この崩落で志古田道は道路として完全に使用不可能なものとなっています。P1000395 P1000396
 
崩落部分上から見たところと横から見たところ。




 崩落の左側を捲いて下り直接沢に降りましたが、本来の道であろう大岩の下へ下ったわたしは非常に危険を感じました。本来の道はその後右岸を沢沿いに下り、やがて左岸に渡り志古田に下って行きます。しかし道は荒れていて、不明瞭で歩きにくく、古い街道とは思えないやっかいな道です。これが志古田道であるという証はハイキング道の看板と数カ所残っている朽ち果てた丸木橋だけです。
 この道が改修整備されたのは昭和55年頃のことですが、それ以前の記録を見ても既に相当荒れていたようです。つまり弓削道が街道としての役割を終えてから何の改修も保全もないのに厳然として残っており、志古田道は昭和55年の大改修以前に既に荒れており、改修後も使用できないまでに崩壊しているということです。

 なぜこれほどまでに荒れているのか考えてみました。ひとつは沢筋であると言うことです。水流による崩壊は当然考えられることですし、現在の傷みは植林によるものもあります。
 もうひとつは傾斜と地表面の状態ではないでしょうか。傾斜は地形図を見れば明白ですが、志古田道も弓削道も山田道も歩く距離はさほど変わらないのですが、志古田道に関しては、集落から2Km以上もだらだらの道を登り、そこから一気に峠に登っています。上手くトラバース道があるので、歩いている者にとってはそう傾斜を感じないかも知れません。
 土壌というか地表の状態は周囲のものとかなり異なります。構造とか成分とかはわたしには解りませんが、とにかく大きな岩、ガレが多いと言うことです。谷にしても周囲の谷のように岩盤が出ているということは少なく、ほとんどガレに埋まっています。P1000399

谷はこういう感じ、右が本谷。


 このあたりが地滑り地形であることは公表されていますが、崩壊しやすい地形であることは目視でも解ります。つづく(大栗峠考(12)は2011.11.25)

【作業日誌 11/28】
草刈り(8-3)P1000468

じょんのび村の長辺は60mあります、たまらんぜ。


チエンソー収納箱作り

今日のじょん:虫探索犬
今年はテントウムシの発生が多く、随分家の中に入ってきている。ぼーっと寝ていたと思ったら急に吠え出すのでびっくりする。天井など探すと大抵とまっている、凄いときは階段の踊り場の天井にとまっているときがある。従って視覚で探すわけでは無さそうだ。捕虫した後は嗅がしているので臭いかもしれない。あるいはかすかな羽音かもしれないがいずれにしても凄い能力だ。P1000453

これは日溜まりじょん。

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ホノルルマラソンのこと 11/27

2011-11-28 | 日記・エッセイ・コラム

2011.11.27(日)曇

 11月26日の新聞に「中富正義さん死去」という記事が載っていました。といっても誰やねんそれって思われるでしょうが、サロンパスで有名な久光製薬の元会長です。
 「え゛~まだ生きてはったん?」というのが正直な気持ちなのですが、それは1986年12月のホノルルマラソンに戻ります。わたしにとってはマラソンは何度目かでしたが海外は初めてでした。スタート前日に身体を慣らすべくワイキキの通りをジョギングしていますと、人だかりが見えます。何だろうと見ていると、なんと間寛平ちゃんをとりまく報道陣やファンのようです。今年アースマラソンをやり遂げた寛平ちゃんが初のフルマラソンだったんですね。
 それを横目に少し行くと、妙なおじさん発見、とりまきはあまりなかったようですが上半身はだかでそこいら中にサロンパス貼ってるのです。当時のサロンパスは肌色でなくて白色だったからすごく目立ちます。ホノルルマラソンだからパフォーマンスも強烈だし、芸能人なんかも走り始めていた時期だからこれもありかと思ったのですが、それにしてもヘンなおじいちゃんなんです。
 ホテルに帰ってその話をすると、「それってサロンパスの会長やがな、有名やで」と言われてなるほどっと思った次第です。
 「あれから25年」(きみまろ調に)あのおじいちゃんが23日に亡くなられたとのこと、なんと106才の大往生です。ということはわたしが見たのは81才の会長で、記事によると91才までホノルルマラソンを走り完走されているそうです。いやはや凄い人がいるもんですね。
 芸能人の初マラソンといえば小米朝さん(現米團治さん)がホテルが同宿だったので前日の夜に「米の飯食うとかな走れへんで」ってんで怪しげなカツ丼の店連れてって、縁起も兼ねてカツ丼食ったけど、そのまずいことまずいことという思い出もあります。P1000467



ゴール写真を買ったのは初マラソンの篠山とホノルルのだけです。手をつないでゴールしたのもこの時だけ、奈良県の小学生で、この世界では有名な子でした。タイムはたしか3時間18分ぐらいだったと思います。



  それにしてもホノルルマラソンってあんな気分の良いマラソンはないですね。ランニングハイっていうけれど後にも先にもあの時だけで、マラソン走るのがあんなに短く感じたのはあの時だけです。ゴール後走り足らなくて、ダイヤモンドヘッドまで戻って給水ボランティアしてたぐらいですから、、、。

【作業日誌 11/27】
草刈り(8-2)

今日のじょん:ユキちゃんが来たら必ず始まるプロレスごっこを写真に撮ったら、なんともすさまじい戦いが写っている。本気でやったら血だらけになりそうだ。でもひとしきりやったら知らん顔しているのが面白い。P1000463 P1000464 P1000466

コメント (2)
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