晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大栗峠考(14) 11/29

2011-11-29 | 山・峠

2011.11.29(火)曇

 京街道としての志古田道と昭和55年に改修された現在の道ははたして同一なのでしょうか。これは大変重要な問題なのですが、今のところわたしには判断できません。あまりにも謎が多すぎるのです。
 まず一つめの謎は、大栗峠に慶応年間の地蔵さま、上粟野への尾根に弘化年間の地蔵さまを志古田の村人が施主となっているのに、志古田道にはそういうものが一切見当たらないことです。それどころか道標らしきものも見当たらないのです。P1000401
 
何かありそうな石組みだが、何もありませんでした。志古田道下部で。


 奥上林村誌に志古田の山中に「左京道・右弓削」の石碑がある旨書いてありますが、多くの方の記録を見ても発見されていませんし、わたしも志古田道では見つけることは出来ませんでした。
 わたしは当初この石碑は志古田と弓削を分ける尾根の道にあるのではないかと思いましたが、そうなると志古田の山中とは言えません。いづれこの道も歩いてみたいと思っていますが、石碑のある可能性は少ないとでしょう。そうなると、この石碑は大栗峠の手前にある可能性が高くなります。
 ところが誰もそれを見つけられない、となると現在の志古田道とかつての京街道は別なルートであって、元の京街道にこそその石碑があるのではという考えも成り立ちます。
 もしそうだと仮定すると、元の京街道は志古田の本谷を忠実に辿っているのかも知れません。国土地理院の地形図では谷を忠実に辿っています。しかしそれは根拠があってのことではなく、単なる偶然だと思います。元々谷を遡っていた道が崩壊して、右の尾根を登るようになったのかも知れません。この支尾根の末端部分はジグザグの道が切られ、古い石垣が残っています。最終的にこの支尾根がルートになっていることは間違いないようです。もし、直接大栗峠に向かう谷筋にこの石碑があればこれは大発見です。P1000390
 
支尾根の末端部、ジグザグに降りていきます。


 それにしても55年前に発行された奥上林村誌にこの記事を書かれた方にたどり着けないものでしょうか。つづく

【作業日誌 11/29】
間伐材切り出し(ドッグラン土用材)
芝生草抜き作製

今日のじょん:今日はじょんシャンデーである。同時に体重測定日なんだけど、予想どおり増えて、18,6Kg。その前が18,2kg、その前が18,6Kgとなぜか400gづつ上下している。まあ冬を前に許容範囲か。
 それにしてもシャンプーが終わると妙に警戒してサークルにすっこんでいる。よーく考えると、以前はシャンプー後にフッリーダイヤルもとい、フロントラインをしていたのだ。もうこの時期ではしないのだが、よく憶えているもんだ。P1000469

めっちゃけーかいしているぞ。 

コメント
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