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晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 峠をあるく(5) 11/23

2011-11-23 | 雨読

2011.11.23(水・祝)曇

 わたしが通った峠は乙女峠で終わったと思いましたが、本書を読んでゆくと実は通っている峠があるものです。
 御殿峠は八王子の南、国道16号線沿いにあるそうです。2006年11月21日に埼玉県狭山市から神奈川県大和市に向けてこの峠を越えているのです。ところがこの国道16号線というのは国道一号線横浜藤沢間と同じく自転車旅行中一二を争う都市部であって、ツーリングの自転車が走るところではなかったのです。腹立たしいことばかりで憶えているのは横田基地の巨大さと米軍兵士の家族がやたら目に付いたぐらいでした。Img_1814
 
八王子バイパスを南下していたら自転車は通れなくなり、やむなく元の16号線に戻り、御殿峠を通過しています。ただし本来の御殿峠はもう一つ西の尾根にあるそうです。(写真は打越弁財天・八王子バイパス周辺)

 御殿峠の歴史話は、井出氏得意の困民党の話で、武相困民党の立党の経過など興味深い話が登場します。1979年1月に夜を徹して行われた「武相困民党を歩く会」参加のエピソードはわたしが自転車で走った道と同様で、なにか因縁めいたものを感じますImg_1823
 
武相を分ける境川も町田街道に沿っています。


 歩く会の最終地点は相模原市の上鶴間鹿島神社です。ここは明治17年7月困民党の最初の大衆集会があったところです。実は鶴間はわたしが学生の4年間を過ごしたところなのです。小田急江ノ島線は原町田、相模大野、東林間、中央林間、南林間、鶴間と続きます。わたしは南林間に住んでいたのですが、鶴間というのは次の駅の鶴間駅の周辺の小さな地域と思っていました。ところが大和市から相模原市にいたる大きな地域のようです。しかも古い歴史のある地域でもあるのです。
 わたしが住んだのは昭和40年の後半ですが、恥ずかしい話ですが、その辺りは昭和になって開拓された住宅地かなと思っていました。中央林間、南林間などと新興住宅地そのものの地名、大和(やまと)などととってつけたような市名、そしてなにより歴史的建造物なんて何一つ無かったのですから。Img_1818

南林間駅前2006年、随分変わりました。


 しかしそれは誤解でした、新興住宅地のような街にもしっかりと歴史は根付いているのです。きけば縄文、弥生まで遡るものもあるのです。そこに住んでいるときは何も気付きませんでしたが、やはり若かったということでしょうか。
 今思えば、廻りは関東ローム層の黒い土ばかりでした。そして不思議なことに身の回りに橋がないのです。境川という川があること知ったのは、その地を離れて30数年後のことです。 火山性の土壌と水不足、水田はなく陸稲(おかぼ)を作っていたということです。貧しい農民は養蚕に手を出します。新しいことを始めると増えるのは借財ばかり、そういった土壌が武相困民党を生み出したのでしょうか。つづく

【作業日誌 11/23】
間伐材杉皮むき(ドッグラン土用)
薪割り

今日のじょん:あごのせじょん
お気に入りのヒョウ柄布団に入り、クッションと枕を上手に組み合わせて、あごのせじょんしている。いつも上手く持ってくるもんだなあと思っていたら、かみさんがそういう風に置いているんだって、なんじゃあ。P1000429

コメント
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