晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

原発防災30キロ圏に 11/26

2011-11-26 | 日記・エッセイ・コラム

2011.11.26(土)快晴

 本日の讀賣新聞京丹後丹波版のトップ記事は「府原発防災30キロ圏に」というのがトップ記事になっています。じょんのび村は従来高浜原発から23Kmで防災圏には入っていませんでした。京都府は30Kmまでを防災圏にということで山田知事を先頭に進められていることはニュースなどで知っていました。そして今、圏内に入るということをどうとらえたらいいのでしょう。喜ぶべき事なのでしょうか、悲しむべき事なのでしょうか。
 例えば30Km圏内は原発事故に遭遇するリスクがあるので、一定の電気料金については無料とするということならば、よかったよかった超ラッキーということになるのですが、今防災圏内になったからといってどういうメリットがあるのでしょうか。
 「ある日突然バスが来て避難を強制されるんやで」なんて話が飛び交っています。ナチスのユダヤ刈りじゃないのだからとは思いますが、圏内だからとなんとなく烙印を押されたような気分になるのも当然です。
 先日NHKのアーカイブスで、草壁に住まいされていた久米三四郎氏が原発反対の立場で推進派の某氏と激論された放送が流されました。どちらも先年亡くなられているので再放送が実現したのだと思いますが、福島原発の事故を経験して氏の主張が如何に正しかったかということが解りました。
 久米さんは原発反対を唱えるものは原発の近くに住まなければという考えで睦寄町草壁に住まいされたと聞いております。水源の里だの過疎化対策だの講演に来られる先生が都会のマンションにお住まいと聞いてがっかりくるのとえらい違いです。Img_3873
 
草壁川から草壁をのぞむ。


 対談の中で「石油は有限であと二十年で枯渇するというようなデマで原発を推進する様なことは止めてもらいたい」というようなことをおっしゃっていました。この放送がなされたのは30年以上前なので、石油が枯渇するというのは明らかなデマであることが解ります。
 よく思いだしてください、「石油は20年で無くなるよ」って云ってませんでしたか。こりゃあ大変だ、石油に変わるエネルギーが早急に必要だと思いこんだものです。
 そして30年後の今、石油枯渇に代わるデマゴギーが二酸化炭素による地球温暖化です。このことについては何度も書いてきたので略しますが、福島原発事故の後二酸化炭素を目の仇にする温暖化のことがピタリと叫ばれなくなりました。そんなデマを飛ばしてまで原発推進を叫ぶ必要が無くなったからです。わたしはこの事態をいつか予言しましたが、(2011.3.17参照)そのとおりになって驚いています。Img_3541 Img_3542
 



老富町にある放射線量の測定器です。この単位、数量そしてその影響力について何人の人が理解しているでしょう。原発側のパフォーマンスにしか映らないのですが、、、。

 ここで断っておきますが、わたしは二酸化炭素が地球温暖化の原因でないとはいっていません。もちろん一つの要因であるのですが、それが全てではないと言っているものです。原子力発電についても石油代替エネルギーとしては先頭を走るものでしょうから、真摯に安全性を確立できるまで研究すべきではないでしょうか。人類が発見発明したものだから、人類は安全に使用できる方法を見つけ出すことと思います。にっちもさっちも行かないところまで見切り発車して、事故が起きましたからどうこうというのはあまりにもずさんな行政ではありませんか。

【作業日誌 11/26】
草刈り、9回目でしょうか。
チエンソー収納箱作り

今日のじょん:散歩コースの念道橋もネット地獄になっている。工事中のところはどうやら恒久的なフェンスが張られそうである。ベルリンの壁でもパレスチナの壁でも
、いっそのこと万里の長城でも持ってきたらどうだ。P1000447 P1000450

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大栗峠考(12) 11/25

2011-11-26 | 山・峠

2011.11.25(金)曇時々雨

 大栗峠の謎はまだまだ続いていますが、先日上粟野側から志古田道を歩いたので新たな謎が出てきました。先にそれらを紹介しますので、一緒に考えてください。

 今更聞けない苗字のこと
 大栗峠の石碑に出てくる人名は山田村助左エ門と阿波国行者長治郎です。これは江戸時代に苗字を許されない者の公式な書き方だそうです。
 ところが上粟野側の尾根道の地蔵さんの台座には、
 施主村中 梅原 ?、  ?
 ホドス   岡本喜助
 世話人  若?圓心
 上林シコタ  佐掘甚
 ユケ     川北奥?
 の名が見えます。つまりすべてが苗字付で、上林の志古田、弓削の佐掘、川北姓は現存です。歴史の授業では、武士以外は苗字帯刀が許されなかったという風に習いましたが、これは一体どういう事でしょう。
P1000379
台座には苗字の入った銘が刻まれています。



  皆が士族ということなら話は簡単だが、地蔵さまの施主としてはなじめないような気もします。調べてみると、名主など行政の末端に位置するものなどは苗字が認められていたそうなので、施主としてはそういう身分の方々がなされたのかもしれません。完璧に個人名が出ているので古文書など調べるとはっきりするかも知れません。
 ただ苗字というのは徳川の時代以前には有ったわけだから、代々伝えられただろうし、公の場、公文書などで使えなかったと言うことのようです。

 六地蔵の謎
 「北山の峠」には横長の祠に地蔵が一体だけ祀られている、10年ほど前には六地蔵あったのにあとの五体はどうしたのだろうというふうに書かれています。今では祠もなくなり、一体のお地蔵の頭に瓦がのせてあるだけです。P1000382
 
何ともわびしい六地蔵堂です。


  もし村の人が里のどこかに移転してお祀りしたのなら六体全てを移転すると思います。思いたくはないのですが、盗難に遭った可能性は高そうです。としたらなぜ一体だけが残ったのでしょう。後背の上部が欠けているからでしょうか、それとも台座に銘があるから盗品と解るからでしょうか。盗人の心理など解りませんが、よくぞ峠の地蔵さまに手を付けなかったことかと思います。それらにも銘が有るからでしょうか。夜陰に紛れて地蔵さまを背負い、尾根を降りてゆく姿はなんとおどろおどろしい事でしょう。ぜひ他の理由でどこかに安置されていることを願うばかりです。
つづく(大栗峠考(11)は2011.10.28)

【作業日誌 11/25】
杉丸太皮むき
チエンソー収納箱作り

今日のじょん:ぴーにゃんデー
 じょんのびが雨と晴れの境になって、晴れている西側へ散歩に行った。慣れないコースでもう嗅ぎ回って大変、いろんな動物の臭いがしてそーだ。その辺はチコのテリトリーだからチコの臭いかも知れない。なんて考えていたら、裏山に鹿が現れ、ドッグラン土予定地に茶と白の猫が現れた。この辺じゃあ昼間の鹿は珍しいし、猫は近所にも飼ってないのでより珍しい。P1000442


何かおるでと呼んでいるところ、この時は草むらに鳥がいただけ。

 

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