晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 付会ということ 11/6

2011-11-09 | 雨読

2011.11.6(月)曇、雨

 本日の雨読は、本の紹介ではありません。「いび郡の地名」を紹介した際に書きたかった事なのですが、後になってしまったので雨読のカテゴリーで書いておきたいと思います。
 地名に関する本を読んでいると、よく”付会”(ふかい)という言葉が出てきます。国語辞典で調べると、「無理にこじつけること」とあります。実は地名にはほとんどと言ってよいほど付会が着いています。
 例えば「念道(ねんどう)のこと」で紹介した粘土説、念仏の道説などは付会と考えます。私も当初は、「殿村はお殿様が住んでいたのだろう」「栃は栃ノ木が生えていたんだろう」などと考えていました。これ等が付会で、実は殿=河岸段丘等の一段高いところ、栃=山稜がせまって急に狭くなっているところ、などというのが正当な答なのです。
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念道橋から上流を見た映像、遠望ですが君尾山光明寺の建物が見えます。「お詣りの人が初めて光明寺を目にして思わず念仏を唱えた」という念道の由来は付会ではありますが、当時の人々の宗教心を伝えるものとして大切な逸話でしょう。


 こういった付会にはさまざまなタイプがあって、上記のように単なる現象を表したもの、昔話や伝記から付けたもの、語呂合わせ的なもの、アイヌ語や外国語を無理矢理こじつけたものなどがあります。
  そして地名に関する学者先生の多くはこの付会を無視します。「~という話が伝えられているがそれは付会である。」という形で表れ、強烈なものは「取るに足らない付会である」という表現となります。実は私も、伝説として伝えられている地名語源を付会であるという表現で片付けていました。そうすることによってより自分の説がより正しく思われるのではないかという意識がはたらいているのかも知れません。
 しかし最近、そういった地名の由来となっている付会と思われる伝説や逸話を尊重すべきだという風に思ってきました。
 それは例え地名の語源として滑稽であったり、不自然であったりする話であっても、その地に住んできた人々の思いがこもっている話だからです。それは宗教的なものであったり、住民の願望や希望、あるいは表だっては言えない体制に対する批判や皮肉というものもあります。これは無視するわけにはいきません、地名の研究というのは単に地名の語源、由来を探るということではなく、そこに住民の歴史や生き様を解明することが目的です。そういう意味で今後は付会と思われる伝説や逸話も大切に記録し保存していかなければならないと考えます。

今日のじょん:今夜で2回目なんだが、夜中に奇妙な鳴き声がする。20時~23時の間なんだが、ギャーギャーといった鳥の鳴き声の様なんだが、地表を移動しているように思える。これにじょんが強烈に反応する。ぐっすり寝ていたと思うのが、急にガバッと起きて吠えるわけ。闇の中に懐中電灯を灯すが、得体が知れない。以前にかみさんがキツネを発見した。どうもキツネの鳴き声かと思うのだが、何とも気味の悪い鳴き声ではある。P1000220


ここまでぐっすり眠っているのが急に起き出して吠えるのだから、驚いてしまう。

コメント
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