晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 峠をあるく(3) 11/21

2011-11-21 | 雨読

2011.11.21(月)曇、時雨

 井出氏は笛吹峠の文の中で柳田が三閉伊一揆のことを無視していることを執拗なほどに書いています。それは文学的に書かれていて、読解力がないと解らないものもありますが、明らかに柳田批判そのものです。

 むろん、遠野にはこの十二音階以外にも、いくつかの音があったが、あたかも柳田の耳にはそれ以外の音はないかのように、もっぱら十二階音の和音のみをききわけていったのであった。
ー中略ー
 天保年間には東北地方の稲作地帯に大饑饉が襲来し、南部領もまたその例外ではなく、万単位の領民が飢えに生命をおとすような残酷が領民の生活を闇に陥れた。いきおい、常民は常民ではなくなり、その声もまた十二階音の和音からはみだすような響きをもって峠をこえ、野面を走った。その非常の声が、『遠野物語』のなかからは、まるで意識的とも思えるような形で削り落されていることが、わたしの不思議であった。
ー中略ー
 『遠野物語』には、百姓一揆の声はまるで映しだされてはおらない。柳田が遠野に出向いた明治四十二年といえば、維新からまだ半世紀と経ってはいない。わずか五十年をへだてる過去の、南部農民の姿が、『遠野物語』から削り去られている不思議が、わたしには理解できないのである。
ー中略ー
 しかしまた、農民一揆というものは、農民の生活のなかであってはならない不幸であり、それは農民の日常の姿ではありえない。農民自身もまた、不幸なその非日常の姿を、なるべく綺麗に消し去ってしまいたいという願望に生きることも不自然なことではない。常民の姿を求めて旅した柳田国男の目に耳に、そのような非日常の農民の声がとどかなかったとしても、あながち、それは不自然なことではなかったとみなおすこともまた可能だ。
ー中略ー
 『遠野物語』からは欠け落ちていた弘化、嘉永の南部地方の農民の呻吟に似た雄叫びが峠をこえてきこえてくるような風景がそこにあるように思われぬでもなかった。

 柳田国男批判というのは多くの書物も出ているぐらいで、種々あるのですがそれは柳田氏の強烈な個性と強引とも思える学問の手法からくるものと考えます。常民の姿にこそ民衆の歴史文化を探究する民俗学のあり方が求められるという意味で、一揆や大災害などの非日常的なことを敢えて無視した手法があったのだと思います。このことに少しは理解を示していますが、井出氏の反体制的なポリシー、特に明治維新政府の欺瞞性についての反発心は笛吹峠を越えた飢えた農民の声を借りて柳田氏を批判したのではないでしょうか。Img_1250_2 つづく
Img_1252
笛吹峠と記念碑の前の初恋号。


2006.10.17笛吹峠を越えました。その際遠野物語も読んではいなかったし、三閉伊一揆の農民がこの峠を越えたことも知りませんでした。天気は良かったのですが、なんと陰気な峠道かと思いました。いつもは煩わしい自動車の通行がこの時ほど恋しく思ったことはありません。

今日のじょん:昨日と同じサル軍団が来襲した。どうも収穫時期となってきた大根が狙われているらしい。ちょうどユキが来たところなので、追ってもらったら薮の奥まで追いかけていった。あの巨大なボスザルの率いる群を単身追ってゆくのだから凄い。奴らが逆襲してきたら、帰ってこなかったらどうしようと不安になるが、30分もしたらちゃんと帰ってきた。脱帽である。

   

コメント
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