晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(28) 鬼伝説 1/15

2011-01-16 | 歴史・民俗

2011.1.15(土)曇

 大唐内に関する聞き取りに関して書いている間に鬼伝説についてどこまで書いたか解らなくなってしまった。記事を読み直して続きを書こうと思っているが、脈絡が合わないかも知れない。
(3)有安地名と藤元家
 大唐内の大蜘蛛退治の伝説は弓の名人、有安の藤元善右衛門が主人公である。現在でも大唐内の住民はそのことに関し感謝の念を抱き、甘酒講には招かれているということだ。有安のや神さま、善右衛門のお墓、できれば善右衛門所縁の藤元家を訪れて解ることがあれば聞いてみたいと思っていたのだが、生憎の大雪でそれもかなわなくなった。雪解けを待って訪れることとし、現在のところはこちらの独断と偏見でこの課題について述べておこう。
 角川日本地名大辞典京都府下巻の地誌編福知山市沿革の項に「由良川沿岸に阿良須・有路(ありじ)・荒河(あらが)・荒倉など、arで始まる発音の地名が多いことから朝鮮語の影響とみられる説もある。」とある。ずいぶん不親切な記述で、arがなぜ朝鮮語なのか、arが何を意味するのかの説明がない。読者にとっては一体何のことか解らない。「西丹波秘境の旅」(澤潔著)に
 ちなみに韓国最古の民謡にアリランの歌がある。アリラン アリラン アラリヨー
アリランコエテ ノーモカンダと続くが、その「アラ」・「アリ」とは太陽神のことである。云々。とある。私は朝鮮語について調べる手だてを持っていないが、インターネットなどで調べるとやはり日のことのようである。太陽神を信奉する海人族に由来する地名なのだろうか。福知山だけでなく、綾部でもar地名は沢山あり、著名なものは有岡町と睦寄町有安である。
 丹波志には、「草ヶ部村に高野聖リ住シ、、、」とあるが古代には有安も庄も草ヶ部(日下部、草壁)であったのかもしれない。草壁が浦島伝説で有名な丹後の日下部氏に所縁のある地であるとしたら、有安ー太陽信仰ー海人族ー日下部氏という脈絡も考えられないこともないようだ。
そしてアリ・アラの地名には有路(福知山市大江町)の地名由来と弓削(綾部市五津合町)の薬師堂に関して興味ある話があるのだ。つづく(大唐内のこと(27)は2011.1.5)

【作業日誌 1/15】
ガーデンシェッド窓枠塗装、換気扇枠作り

今日のじょん:昨日のことだがゆきちゃんが来たので御紹介しよう。かみさんが胸肉ジャーキーを焼いたのでゆきちゃんに持ってってやろうという矢先にやってきた。実はこの前来たときにはまだ少し不安そうな雰囲気が残っていたのが気になっていたのだが、今回はすっかり元気な様子で、じょんとも仲良くしてるので安心した。Img_2156 Img_2158

 

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ガーデンシェッド(12) 1/14

2011-01-14 | DIY

2011.1.14(金)晴

 寒波の合間で今日だけが好天という予報だ。その後は強烈な寒波が来るって事で妙な焦りを感じる。天気が良い間にしなければならないことがごまんとあるからだ。送金や買い物、特にじょんのフードや灯油などの必需品を買いだめしておかなければならない。綾部の市内まで行くと雪なんざ見えることもなく、上林が別世界みたいだ。
 さてガーデンシェッドだが、屋根の最上部の板葺きが積雪のため延び延びになっている。北向きの場所のため解ける暇がないのだ。明日からの降雪が予想されているため、雪をかき落として作業する。板は塗装の上、節の部分に防水処理を施して用意してある。アスファルトシングルの最上部は一重となるため、スターターで切り落としたタブ部分を張って二重にする。最上部に板をビスで留める。ビスを打った部分と接合部、及び節の部分を木工ボンドで防水処理する。接合部は下にルーフィングをひいて万全を期す。これで一応屋根部分は完成だが、水切りの接合部が開いてみっともないので補修をしよう。Img_2162 Img_2161 Img_2163
 



まず雪をかき落とす。最上部に貼った切れ端のタブ部。板を張ったらボンドでコーキング。

 次に壁の化粧板を張っていきたいのだが、通気口、窓、換気口などが揃わないと張れないので、小物作りにいそしむ。もう四日目となる窓枠作りだ。細かい仕事は苦手だ等と言っていたがだんだん楽しくなってくる。トリマーとノミの世界から彫刻刀と木工ヤスリの世界に変わっている。窓枠はとっくに出来上がっていたのだが、桟がないとなんとなくしまりが無いので十字に桟を付ける。これだけで一日仕事だ。Img_2164 Img_2166

コーナーを斜めに接合したようにみせる工夫。
桟を付けるとしまりが出る。

  こうなるとドアも凝ったものが欲しくなる。単にアクリル板の窓だけでなく、飾り窓を付けてみよう。桐板の合成材とカラーのアクリル板を買ってきた。あとは仕上げをご覧じ。
 続けてDIYを紹介してきたが、一旦ここで記事を置いておこう。次に紹介するときは完成しているかも、、、、。

【作業日誌 1/14】
ガーデンシェッド屋根板葺き
窓枠作り

今日のじょん:朝庭に出てショックな足跡を発見、イノシシの足跡が駐車場の真ん中を突っ切っている。じょんに足跡を追わせると嗅ぎながら辿ってゆく。じょんのび谷で行き止まって引き返し、隣家から山に消えていた。どこから来たのかとじょんと調べて廻る。玄関側の坂そして府道に消えている。どうも川の方向から府道を渡って来たようだ。畑の斜面を掘り返したのもこいつが犯人か。
Img_2145Img_2147
これがイノシシの足跡だ。
嗅ぎながら進むじょん。


  Img_2150 Img_2151
追跡は続き、遂に府道に消えていた。

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ガーデンシェッド(11) 1/13

2011-01-13 | DIY

2011.1.13(木)雪

 昨日からの断続的な雪が朝になって積雪10cm、水分の多い雪だったので積雪量はたいした事はない。道路やかいたところ、踏んだところはびしゃびしゃになっているが手つかずの雪面上にはしっかり降り積もって、いわゆる根雪状態になっている。
 さてガーデンシェッドだがアスファルトシングルを葺いたのはいいが、最上部にシングルが足りなくなって、板張りをすることになった。廃材の板がサイズ的にも塗装してある点でも絶好なので使用することとして、再度防湿防腐剤クレオトップを塗る。表を塗って裏返すと、節の部分に表に塗ったクレオトップが浸みている。ということは節の部分は水が浸みるということだ。いまさら他の板に変えるのは面倒だし、予算も無いので補修して使うことにする。表裏節の部分に木工ボンドをすり込み乾燥させる。念のため裏になる部分には養生テープを貼る。ここまでやれば防水も完璧だろう。そうこうしているうちに屋根に雪が積もって作業が出来なくなった。明日は晴れるそうだからやっつけてしまおう。Img_2122

節の部分は水漏れがする。ボンドで処理しているところ。

 屋根が出来れば濡れることは無いと高を括っていたが、庇が短いためか降り込む雪と雫の跳ね返りでやっぱり床はびしょぬれだ。一刻も早く壁部分を張ってしまわねばならない。ところが残っている東側と北側の壁は通気口の窓があったり換気扇があったりで、パンパンパンと張るわけにいかない。それらを完成させながら張っていかなければならない。ところが通気口にはネットを付けようとか窓には十字の桟を入れようとか余計なアイデアが沸いてくる。例えば窓作るだけで正味三日はかかる。Img_2123
屋根は葺けても結構濡れるものだ。

それと連日の雪模様になって塗装が出来ないのがかなり影響している。車庫から車を出してその中で作業しているが、手間のかかること甚だしい。そんなこんなできょうまでの成果は、東側下壁パネル、北側下部下壁までである。

【作業日誌 1/13】
ガーデンシェッド壁張り、窓枠作り、通気口塗装

今日のじょん:雪が降っても田んぼの道は雪かきがなされないのでしっかり雪が残っている。どんなもんかなと念道橋に行ってみる。二日に行って以来なのだが、しっかり雪が残っていて臨場感がある。やがて雪が降ってきて念道の家並みがすっかり北国状態になっている。Img_2137 Img_2138 雪の念道橋と村の様子。

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ガーデンシェッド(10) 1/12

2011-01-12 | DIY

2011.1.12(水)晴のち雪

 忘れかけていた根雪という言葉が蘇る。三日毎に新雪が降り、前の雪が解けないうちに降り積もる。このまま春まで残るのが本当の根雪だ。雪国では当然の現象がここいらでは死語となっている。春まで残らなくてもこう降り続いたら根雪と認定してもいいんでねいかい。
 今年の雪は今のところ軽い、一昨年より降雪量は多いものの林業の被害はそれ以下なんじゃないか。でもハウスが壊れた、電線が切れたなどという被害は結構有るようだ。一昨年は榎木が折れたりコニファーが折れたりしたが、今年は木々の被害は今のところ無い。ただまあオリーブやトネリコなど虫の息というところである。Img_2119

屋根からの雪でオリーブも大ピンチ。


 さてアスファルトシングルだが、シングルセメントを塗りつけたものは塗布面どうしを張り付けて30分以上置く。スターターから張り始めて順次上に張ってゆく。大きな屋根になると横線だけでなく、縦線も目印程度入れておけば楽だと思う。墨線に頭を合わせてセメントを塗布した位置を押さえて固定する。シャドウ部、切れ目のすぐ上辺りをシングル釘で留めてゆく。シングルセメント1枚に付4本の釘を打つ。釘は25mmのシングル釘を使ったが、15mmの野地板にルーフィングを張ったもので釘先が突き抜けることは無かった。ただしスターターの部分はシングルの重なりが無いので1mmほど突き抜けた。ディスクグラインダーで釘先を取ることにした。Img_2102_2  

手前の方だけ釘の先が出ている。


 アスファルトシングルの屋根葺きは今回のメインエベントである。大体ポンポンポンと釘を打っていくのはとても楽しい。インパクトドライバーでコーススレッドを打つのは征服感はあるが、芸術性に欠ける。実は今回探していた帆布の釘袋が手に入って、余計作業が楽しいわけだ。従前はナイロン製の電工袋を使っていたがどうもこれがしっくりと来ない。釘が取り出しにくい、出張っているのでいろんなところに引っかけたりする、底が浅いのでひっくり返して釘が散らばったりもした。やはり電工袋は工具を多用する電気工事用であって、釘打ちは釘袋だ。しかも300円代で買えたので納得の一品である。
 コーススレッドを使うようになって釘を打つ機会が少なくなった。要領を忘れてしまって失敗することが多々ある。最も多いのは下釘や節があって釘が入らないとき、コーススレッドのくせが出て無理矢理打ってしまう。折れ曲がったり傘が潰れてしまったり抜き差しならない状況となる。コーススレッドなら逆回転で簡単に取り外せるが、釘はそうはいかない。やばいなと思ったときはすぐに打ち変えることである。ただ屋根の場合は釘穴に木工ボンドとかコーキング材を詰めておくこと。Img_2101

こういう感じで葺いてゆく。


 というわけできれいに葺き上がった。問題は当初のセメントが堅い部分の接着力だ。下から見るとすっかりめくれ上がっている。やむなく柔らかくなったシングルセメントを注入して押さえる。きれいな表面に着かないよう気を使う。 つづく

【作業日誌 1/12】
ガーデンシェッド東側パネル張り

今日のじょん:雪もこう連日あると飽きてきたようだ。特段嬉しがる様子もないのだが、固まってきたらいろんなところへ行けるのが面白いみたい。特に普段行けない高いところへ簡単に行けるのが最近の楽しみである。Img_2130 Img_2131

あれよあれよという間に畑の岸に上がってしまった。

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ガーデンシェッド(9) 1/11

2011-01-11 | DIY

2011.1.11(火)晴

 全国でこの冬一番の寒さとか言ってるが、じょんのび村では-2℃、今季一番だが過去の記録は-4℃だからたいしたことはない。それでも朝は凍っているので何かと大変だ。特に歩道は車が通るので(上林の歩道は第三車線と呼ばれている)青氷と化している。鋲付の長靴が威力を発する。降雪は少なく、うっすら程度だが屋根からの落雪が壁になっており、植木が埋もれてしまうのと店の入口がふさがれてしまうのが難点だ。Img_2117

屋根の雪はこんなもん。


 入口の坂も雪解け水が凍って危険な状態だ。昨年融雪のため水を流したら一面の青氷となってえらい目にあった。今年は早朝に灰を撒くことにしている。これは効果絶大で、開店時間には氷が解けている。
 ガーデンシェッドのパネル用にOSB合板が足りなくなったので、綾部に買いに行く。27号線まで出てびっくり、ほとんど雪が無い。普通の人はいいなあと思うのだろうが私は雪がある方が良い。帰り道は峠毎に雪が増えるのが楽しみだ。境の峠を越えると広々とした雪原が拡がる。信州のスキー場にでも来ている気分で、とても楽しい。
 帰ると昼食を済まし作業にとりかかる。今日は東側下部パネル張りと屋根の完成、あわよくばドアの周りの枠を取り付けたい。
 ここでアスファルトシングルの張り方について留意点を書いておこう。初めてやったことなので反省点もいくつかある。
 まず購入する際に一体何枚要るか計算しておきたい。ところがこれは経験したものでないと計算できないという矛盾がある。今回マルエスシングルを使ったが、20枚単位で2.2㎡と書いてあった。私の場合2.4㎡あり、少し不足するようだ。足りない最奥の部分は板で代用しようと決め込んだ。大体シングルを一枚単位で購入できるのだろうか。二枚足りないだけで20枚買うのはばかげている。20枚単位で購入するとなると、それに合わせた屋根の広さを考えなければならない。
 軒の長さも考慮して設計した方がいい。シングルの横の長さは915mmなのだ。今回たまたま6フィートの2×4材に合わせたのでシングル2枚で軒の長さにぴったり合ったが、そうでないとシングルの分割が複雑怪奇となる。
 次に墨出しだが、これは小さな屋根でもしておいた方が絶対に作業がしやすい。まず軒先水切りの先端から420mmで線を引き、上方に向かって127mmごとに墨線を入れる。墨壺を使うと面倒なので鉛筆で線を引いたが、猛烈に鉛筆の芯がちびるので堅めの鉛筆を4,5本持って上がった。シングルは暖簾のような形で上部をシャドウ部、下部の三分割された部分をタブ部という。タブ部の長さが127mmでこの長さ分ずつ葺き上がっていく勘定だ。最初の墨付け420mmというのはスターターとシングル2枚分でいわゆるスタート部分を揃えようという意図らしい。大きな屋根になるとゆがみがあったり誤差があったりするので、シングル2枚の間に面いちにするときれいに葺き上がるというものだ。Img_2097
 



ここまでは順調にすすんだが、いざ始めると結構問題が起きてきた。スターターはシャドウ部を切り落とすのだが、カッターで簡単に切れると書いてあるがちっとも切れない、新の刃に取り替えてもすっきり切れない。下手に折り曲げると端が欠けてくる。やばいなあと思って再度カッターをあてると切り筋が2筋となって余計切り口が汚くなる。2,3枚やって解ったことだが、あて板を動かさずに4,5回カッターを入れることだ。無理に力を入れると怪我の元なのでご注意を。Img_2096
 
しっかり切ってしまわないと折れ目が欠ける。


次の問題はシングルセメントだ。これはタブ部に巾4cmぐらいで塗りつけるもので、固定とめくれ上がりの防止のための接着剤のことである。シングル20枚でカートリッジ3本と書いてあったが、どのくらい塗って良いのか見当もつかない。2mmのベニヤで巾4cmのへらを造る。2枚あると何かと都合が良い。コーキングガンを使うが、これは貰い物があったので役立った。Img_2098




 ところがだ、力任せに押しても少ししか出てこない。しかもシングルに塗りつけても延ばすのが大変だ。2,3枚で腕がバンバンになってくる。くそー、不良品売りつけやがったななどと疑心暗鬼になってくる。ここで何かに夏用冬用と書いてあったのを思い出す。カートリッジを見てもそれらしい表示はない。でも夏冬で違うということは温度に関係するようだ。材料はアスファルトのようだから、温めれば良いかもしれない。ストーブの前に置いておくと果たして柔らかくなった。それを早く言ってよん。つづく
Img_2099 Img_2100
こういう感じで塗るんだが、温めるとスムーズに出るようになった。



【作業日誌 1/11】
ガーデンシェッド、壁板張り

今日のじょん:雪が降ってから侵入する動物がよくわかる。家の周囲にはイノシシやアライグマなどの小動物の足跡があるが、庭には侵入の跡がない。隣の犬だけだ。ところがじょんは毎晩強烈に吠える。おかしいなあと思っていたが、どうも同じような時間になると吠えるのだ。最近解ったことなんだけど、エコキュートのモーター音に反応しているようだ。私の使うトリマー、丸ノコ、電気カンナなどにも反応するそうで、金属的な高周波の音に敏感なんだろうか。Img_2115

おとう、何か来とるで。

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ガーデンシェッド(8) 1/10

2011-01-10 | DIY

2011.1.10(月・祝)雪
今年三度目の積雪、19cm。Img_2110
 



 昨年末の30日に桟の部分が出来上がり、正月にでも屋根が葺きあがろうという予定だったが、年末からの大雪で総てが狂ってしまった。ブルーシートを掛けていてもずぶ濡れになる床や柱を横目に見ながら、イライラのつのる日々であった。それでもようやく屋根が葺き上がったので紹介しておこう。Img_2107

今朝の様子、屋根の防水は万端だが柱、床はずぶ濡れとなる。


 まず屋根はアスファルトシングルで葺くことにした。最も簡単そうなので採用したが、ここいらのホームセンターでは扱っていない。どこでも取り寄せてくれるが、値段が高くなる。結局ネット販売で買ったが、送料など入れると似たような金額となった。
その上シングルセメントやシングル釘などもホームセンターでは置いて無くて、一緒に買うことにした。野地板、ルーフィングなど合わせて屋根材が最も高くつくこととなった。
 野地板は杉の15mm×2mを使用、効率的に使うため133mmの長さにした。12枚必要だが8枚で12枚とれる勘定になる。ただしつなぎ目に桟を入れる必要があるので、桟の間隔は不均一である。同様に壁もパネルの大きさに合わせてあるので柱のスパンも不均一である。Img_2066


野地板を張ったところ。

 ルーフィングは4mもあれば充分なんだが、21mもの業務用しか売っていなかった。将来使う予定があるので問題ないが、本当なら必要分だけ分けて欲しいものだ。アスファルトのルーフィングなるものを初めて扱ったが、意外と脆いものである。カッターなどで裁断するときも充分注意しないとひび割れてしまう。ルーフィングを張るときの注意はタッカーの針の数ぐらいか。端部分は20cm、重ね部分は30cm、中間部分は90cmの間隔で針を打った。要はやたら数多く打たないことだろうか。ある説明書では重ね部分以外には打たないことと書いてあった。これでは野地板に固定できないだろうと思うのだが。Img_2093
 
ルーフィングを張っているところ。


 水切り、ケラバ水切り、破風板、鼻隠しは当初予定していなかったのだが、見栄えや防水の意味からこれは必要と作ってしまった。水切り金具などステンレスなどのものは相当高価なようだが、建材屋さんで安いのを探して貰ったので助かった(398円)。ケラバ水切りは自作でいこうと村上さんに道具と銅板を貰っていたのだが、廃材を頂いたときにプラスチックのアングルを見つけ、それで代用することにした。
 つづく 
【作業日誌 1/10】
雪かき

今日のじょん:あの日以来初めてゆきちゃんが来た。ハナパパには不似合いな?上品でおくゆかしいゆきちゃんだ。警察署から来た日には不安そうな雰囲気が漂っていたが少し明るくなったような気がする。山田さんにいただいたゆきちゃん用のおやつをおくゆかしく食べていた。とにかく安心。Img_2113

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雨読 続「西丹波秘境の旅」 1/9

2011-01-09 | 雨読

2011.1.9(日)曇

 例えば大油子(おゆご)についての記述の中で金属関連の民に「藤」が付くことが書いてある。私もこの理由について知りたいとかねがねおもっていたところだ。
 「ついでにいうと、大油子にはないようであるが、藤原の「フジ」は産鉄民によくつく名前である。これは砂鉄をとる鉄穴(かんな)流しに、藤の枝が用いられたことから考えて産鉄民を象徴するのである。」という風に書いている。
 実はこのことは「古代の鉄と神々」(真弓常忠著)の中で、上賀茂神社の御阿礼神事(みあれしんじ)に使われる「おすず」なるものが何故藤枝で出来ているか、あるいは、神話にある
洩矢神が鉄輪、タケミナカタの神が藤枝を持って戦ったかという内容で書かれていることである。真弓氏が鉄穴流しに藤枝が使われていることを発見し、感動を持って書かれている。少なくとも「古代の鉄と神々」の中ではタケミナカタの神がなぜ藤枝を持って戦ったかと言うことを書かれたことであって、産鉄民に多い「フジ」姓のことを書かれているのではないと私は考えている。「フジ」姓についてはいづれ「大唐内のこと」で書く予定をしているので参考にしていただきたい。
 このことについては読解力とか解釈の問題でもあるのでやむなしとして、私が本書の欠陥というのは次の二点である。
 於与岐(およぎ)は上林ではない。
 太陽信仰と計測のメッカ 丹波弥仙山の於成平(おなるだいら)という一節がある。Img_1798

弥仙山於成平


 「綾部市の聖地、上林の於与岐の東北、云々」という文章で始まる。私は眼を疑った。本の誤植かなあと思いつつ読み進めると、やはり”
上林の於与岐”なのである。不安になってきて、地名大辞典を開く。やはり於与岐は上林ではない。境遇としては上林と於与岐は似ている。しかし地域、村としてはまったく別物なのだ。どうも澤先生思いこみが激しいようだ。於成平についても弥仙山についても現地に入って詳細な調査をされ、太陽計測信仰の大胆な説を出しておられるのは敬意を表するものであるが、ところどころに出てくる上林の於与岐にはがっかりさせられるものである。
 丹後の日置は北緯34度32分ではない。
これも同じ節の中の「太陽の道と上林の日置」という項の記事である。
「上林にある次に触れる日置や後述する夜久野の日置は、北緯34度32分の線より少し南にずれるが、丹後の若狭湾西岸にある日置がこの線上にあるのは不思議な一致といわなければならない。云々」とある。
丹後の日置は北緯35度36分であり、上林や夜久野の日置は北緯34度32分よりかなり北になる。これは単なる勘違いでは済まされない。この緯度の謎を提唱されたのは「知られざる古代」の著者水谷慶一氏で、この線に沿って古代の重要な遺跡があり、日置氏の形跡も残っているという太陽の道説とでもいうものである。それはまた中央構造線の金属産出地帯でもあり、真弓氏が反論した経緯については雨読「日置氏の正体は?」(2010.1.10)で書いたところである。このように重要なラインである緯度だから、勘違いでは済まされない。
 上林に住んでいるから解るこれらの誤りが、実は他のところだと解らないわけだ。実に興味深い内容の本であるだけに信頼性が低いのは残念である。

【作業日誌 1/9】
ガーデンシェッド屋根葺き、壁パネル張り

今日のじょん:昨日から夕飯を残し始めた。美味しいところだけ食べて残しているようだ。かみさんはやたら心配しているが、正月一緒にいる機会が長かったので甘え癖が付いたようだ。犬だって人間と同じように易きに流れるようだ。Img_2053
初詣のじょん君、なんとなくかっこいいでしょ。  

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雨読 西丹波秘境の旅 1/8

2011-01-09 | 雨読

2011.1.8(土)晴

 「西丹波秘境の旅」(澤潔著)かもがわ出版、1995年2月発行、定価2,200円、古書購入価900円
Img_2106  いつかお話しした大津の古書店でたまたま見つけて買った本である。澤氏は主に京都北部の地名、地史を研究しておられて、「日本地名ルーツ辞典」創拓社の丹後の地名を担当されている。それで氏の名前に憶えがあったのだが、以前に買った「京都北山を歩く」全3巻も氏の著書で倉庫から出してきてあらためて読み直しているところである。
なぜルーツ辞典で氏の名前を憶えたかというと、口上林の井根(いね)の由来を調べるべく参考として丹後の伊根を調べたときのことである。日本地名ルーツ辞典では、「伊根の語源は「稲」である。鳥が稲の穂を南のニライカナイから運んできた話が、奄美大島や沖縄の久高島、対馬西海岸の伊奈などにある。云々」と続くのだが、伊根の語源が稲であるという証拠については一切書いていない。これはちょっと怪しいなあと思うのは当然のことだろう。ここまで断言する筆者とはどのような人物だろうと記憶に残ったわけである。
 本書を読み始めると見知った地域の歴史や考察が出てきて、あっと言う間に読み進んでしまう。特に丹波地方の海人族や金属にからむ氏の主張は私も同感するところであり、参考にするところも多くあって興味深いのだが、この書にはいくつかの欠点がある。その欠点が澤氏の主張されていることを台無しにしているのではないだろうか。ただ、この書を丹波の紀行文だと思えばそれは許されることなんだが、氏は単に紀行文としてこの書を発行されたとは思えない。
 私はこの本を読みながら、きっと著者は高校の先生をしていた人かなと思った。著者の略歴は必ず見ることにしているがそれは読後である。先に見ると妙な先入観が入ってしまうからである。果たして小中高の先生をしておられた方だった。
 沢山本を読んでいると著者の職業、あるいは前職によって文調というか論旨の展開の仕方が違うのが解ってくる。中高校の先生は知識を仕入れてそのまま断定的に教えてあげようという意図が見られる。もちろんそれは職業柄ということであって決して悪いことではないのだが、研究書として読むには難がある。つづく

【作業日誌 1/8】
ガーデンシェッド屋根葺きImg_2101


ツートンカラーにしたかったなあ。

今日のじょん:雪が固まって上を歩けるようになってきた。ところが時々ぼそっと潜るのでその様子はとっても面白い。来冬こそはどこのワンちゃんもこの雪原で遊べるようにしてあげたい。Img_2085 Img_2103


雪面のビフォアアフター。

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カメムシ伝説は覆された 1/7

2011-01-07 | 日記・エッセイ・コラム

2011.1.7(金)雪

 元旦の雪が溶けやらぬ間に又しても雪が降った。夜の間に降って、日中も断続的に降り続いた。積雪量は25cm、前回より少ないが雪の残っているところはかなりの深さになっている。昔に比べれば断然少ないが、昨年があまりに少なかっただけに雪が多いなあという感触となる。幸い今日明日と定休なのでゆっくりと雪かきが出来る。雪が降っている間は暗くて憂鬱だが降り止んだ後パッと陽が射して青空が出る瞬間はとても素晴らしい。じょんのび谷の山を眺めるとまるで信州にスキーに来ているような雰囲気となる。Img_2088 Img_2090
 
いつもながらの好きな風景、今朝の様子。


 雪かきは午前中で終わった。地元の人は徹底的に黒い地肌が出るまで雪をかいておられるが私はまだら状ぐらいのずぼら雪かきである。根雪となる昔ならともかく、今は気温も高く一日二日で解けてしまうからだ。夏の草刈り、冬の雪かきは面倒だと思えばこれほどつらいものはないが、らしくていいや、田舎の醍醐味とでも思えば結構楽しいものである。
 さて今日のタイトルカメムシ伝説だが、昨秋は極端にカメムシの発生が少なかった。カメムシの多い年は冬が寒くて雪が多いというのが伝説なんだが、今年は見事に覆された。そう考えると昨冬はカメムシが多くて雪が少なかった。どうもカメムシの言い伝えは怪しくなってくる。私はカメムシの多寡はその夏の気温ではないかと思っている。夏の気温が低いとカメムシの発生が多く、猛暑だと発生が少ないのでは無いだろうか。昨年、一昨年はそのとおりだが、その前の年は夏が暑くて、カメムシも多かった。やっぱりカメムシと気候は無関係なのかもしれない。

【作業日誌 1/7】
ガーデンシェッド屋根葺き(ルーフィング張り)
Img_2093



今日のじょん:ゆきちゃんのこと、多くの人に喜んで貰って本当に良かった。それでも今日はいきなり留守番をしているのでとても心配。夕方になってメーパパも帰っているかなとかみさんが電話する。無事に留守番できていたようで一安心、あの不安そうな顔が早く元気な顔になって、見せて欲しい。
Img_2081  
雪の中、車で待っていたゆき。

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雪の日に 1/6

2011-01-06 | 日記・エッセイ・コラム

2011.1.6(木)雪

 雪の日に

雪の日にひとつの命が救われた
警察署の裏庭で寒さに震えていた命が
あと四日もしたら消えてしまおうという命が
一緒に暮らそうという人に救われた

あなたが不安な日々をおくっている間
どれだけの人が心配したことか
あなたが救われた今日の日を
どれだけの人が喜んだことか

頭の上に輪のある神さまでもなく
背に羽のある天使でもない
無精髭のおじさんだけど
誰よりもあなたを愛してくれそうだ

捨てられたことを恨むより
拾われたことを喜び
あたらしい家とあたらしい家族に
早く慣れることが一番

じょんのび村に寄ったときは
「名前はまだない」あなただけど
途切れなく舞い降りる雪をみて
「ゆき」と名前が付けられた

やがて雪は吹雪となり
ホワイトアウトのその中を
二人で家に帰っていった
もうどこにもやられない、永遠のゆきの家に。

Img_2079 Img_2083
じょんとも仲良しになれそうだぜ。

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大唐内のこと(27) 聞き取り 1/5

2011-01-05 | 歴史・民俗

2011.1.5(水)曇

 大唐内についての聞き取りの報告を書き終えたところだが、最後にWさん宅のお墓について書いておきたい。現物を見せていただくようお願いしているところだが、今現在見ていないのでなんとも言えないのだが、氏の話によると先祖のお墓の内二基が石積みの円錐形というのだ。沖縄から北海道までいろんなお墓を見てきたがこういうのは見たことがない。Img_2593

沖縄の巨大な亀甲墓は中国の影響とか。


 不思議だなあと思っていたところ、「日本山岳伝承の謎」(谷有二著)の中に韓国の現代の墓というタイトルで東亜日報の写真を掲載していた。その写真は慶尚南道宣寧(イニヨン)附近で酔った警官が53名を射殺した事件の際のお墓の写真である。丸みを帯びた円錐形のお墓はきっとWさん宅のお墓に似ているのではないだろうか。そして丸山と呼ばれる山がまったく同じ形状をしているのである。
 私の故郷でもかつては土葬であって、40数年前私の父親なども土に葬られた。そして桶状の棺を埋めた表面は土饅頭と言って丸い盛り上がりを作っていた。それは突き固められているわけでもないようで月日がたつと段々低くなって、棺の腐蝕に伴って平面に戻り、ついには穴まで開いてしまうのだ。葬制墓制についてはいづれ詳しく研究したいと思うのだが、この土饅頭も朝鮮の影響を受けたものかもしれない。
 そして土饅頭も小さくなった頃、すぐ近くではあるが埋めたところとは違う場所に石塔を建てて拝む。石塔には線香や花を供え彼岸だお盆だと言ってはおまいりする。遺体を埋めた箇所には何の礼拝もなく、むしろ足の下となっているのだ。集合墓といえども両墓制の風習というか伝統は残っているわけだ。Img_0880_2
 私の家のお墓、竹箒の先あたりに遺体が埋められ、土饅頭があった。


 話がそれてしまったが、大唐内は感覚的にどうも朝鮮半島の影響もあるように思えるのだ。大唐内の唐(から)は銅の古語カル、カリから来ているのではいう私の予想は怪しくなり、単純に朝鮮のことをいっているのかなあという気もしてきた。なお、”から”は唐(とう)の国があるので中国と思いがちだが、歴史的には朝鮮のことなのである。
 ただ、ここで重要なことは地域の文化と言うものは歴史の流れとともにあらゆる地域、国家、民族の影響を受けるものであって、ひとつの国や民族だけの影響を受けるものではないということだ。絶海の孤島やヒマラヤの最奥ならいざ知らず、上林のように海の近くで交通の要所であるような地域ではことさら多くの雑多な文化を受け入れてきたであろうことは想像に難くない。
 従ってひとつの現象を捉えて彼の国の影響が大だとか、彼の国の民族が流入したとか決めつけるのは危険なことだと思うのである。
つづく(大唐内のこと(26)は2011.1.3)

今日のじょん:じょんカレンダーの紹介、1月は河牟奈備神社の初詣の写真だ。今年同様昨年も元旦は雪であった。写真の社は本殿ではなく、境内社の阿上社だが、床下に見えている石が御神体で、綾部市最古の金石文(永久二年1114年銘)である。Img_2071

 

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かくて正月休みは終わった 1/4

2011-01-04 | 日記・エッセイ・コラム

2011.1.4(火)晴れ、曇、雨

 学生時代は夏休み、サラリーマンの時は正月休みが一番長い。あれもしようこれもしようと予定を立てるのだがまともにやり遂げたことは一度もない。「何かをしようと思うとその前にやらなければならない何事かがおこる」というのがマーフィーの法則にあった。確かにそのとおりで何年たっても休日は無為に終わってしまう。今年の正月休みは八日間、その間にガーデンシェッドの完成と薪割りを終わらせようと考えていた。もちろん年末の大掃除などは必須である。結果ガーデンシェッドは屋根の野地板張りまで、薪割りはまるで進まなかった。なんでって、年末からの雪が計画を台無しにしてしまった。
 積雪量は31日の夕刻で38cmである。いつもは感覚で何センチなんて言ってるが、今年は実際にメジャーで測ってみたのだ。感覚では60cmぐらいなんだが、実際は随分少ないものだ。これはいろんな人が何センチ積もったでと話している時にも当てはまると思う。大体人の話の6割ぐらいが実際の積雪量だろう。
 雪が降ると雪かきだけでなくいろんな用事が発生する。庭木をはじめいろんな物が壊れる。今回は椎茸小屋がぶっ壊れた。薪割りの木なんて雪に埋まって当分割ることは出来ないし、屋外でする作業はほとんど不可能となる。
 というわけで今回も中途半端に終わった休みだったが、昨年入院したかみさんがようやく元気を取り戻し、じょんと三人いい正月だったかなと思う。
 明日からの営業を前に店の模様替えと掃除をする、夕方には初めて綾部温泉に行く。奥上林の雪はいかほどかと思ったが、意外と少なかった。奥やから多いとは限らないようだ。元旦の冬山のような雪景色をとくとご覧あれ。Img_2040 Img_2038 Img_2046

 



【作業日誌 1/4】
ガーデンシェッド、屋根の破風板、鼻隠し造り、軒先水切り取り付け

今日のじょん:年末に綾部署から電話があり、犬が捕獲されて預かっているという内容だった。迷い犬かもしれないと連絡してくれたようだが、心当たりはない。今日又連絡があり、誰も届け出が無く、あと一週間で保健所に行くそうだ。どうも捨て犬らしい。飼っていた犬をどうやって捨てられるかなあ、最後まで飼ってやれよと見えない捨て主に怒りを感じる。Img_2034
雪の中でのうんP、結構しにくいんだワン。

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大唐内のこと(26) 1/3

2011-01-03 | 歴史・民俗

2011.1.3(月)曇

 昨年の聞き取りの書き置きは総て終わったと思っていたが、ひとつ書き漏らしていたので追加しておきたい。それはマヤゴ地名のことだ。大唐内の小字地名についてはいずれ考察するつもりだが、今回の聞き取りに話題となったのでこの場で紹介しておこう。
 マヤゴというのはカタカナ地名で、聖神社の辺りをいうそうだ。これは難解地名である。酒井さんもこの地名には不思議を感じられているようだが、果たして何を意味するかは不明だそうだ。大唐内におられた水田さんに調べて貰ったところ、どうも朝鮮語で聖なる場所を指す言葉ではないかという答があったそうだ。韓国語に詳しい崔さんに聞いたところそのような言葉は知らないと言うことだったそうだ。
カタカナ地名は何となく神秘めいているのだが、考えようによっては漢字の意味にとらわれないので自由な発想が出来ようというものだ。Img_1730
 聖神社周辺をマヤゴという。

マヤゴと付く地名は大唐内以外には見つからない。地名に関するあらゆる書物を繰ってもマヤゴは出てこない。マヤは有名な摩耶山などいくつかあるのだが。
 朝鮮語に関する辞書等は持ち合わせていないので調べようが無いのだけど、国語辞典、漢和辞典、古語辞典、地名辞典、地名アイヌ語辞典をみてもそれらしいものはない。ただ、全国方言辞典に「召使いから生まれた私生児」(ママ)岩手県とある。馬屋児という意味だろうか。どうも地名にはつながらないようだ。
 というわけで今のところお手上げ状態だが、地名というのは無意味には付かないものであって、何らかの意味があるものだと思う。いつか必ずヒントぐらいはつかめるものと信じている。つづく(大唐内のこと(25)は2010.12.28)
 
【作業日誌 1/3】
ガーデンシェッド、破風板、鼻隠し作製

今日のじょん:恒例のほのほのさん(プレート田村)詣でに行く。今年初めて上林を出るのだが、綾部、福知山と進むにつれて雪が少なくなって、ズルズル滑りながら車を出したのが嘘みたいだ。じょんは久々の車で疲れ気味だったが、お店はいろんなワンちゃんが居て大喜び。Img_2067
 

疲れたか、帰ったら寝てしまった。 

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じょんのびDIY大賞’10 1/2

2011-01-02 | DIY

2011.1.2(日)曇

 2010年のじょんのびDIY大賞の発表が一向にないので気になってないかな?なってないか残念。実はどれもこれも中途半端でこれといった作品がないのだ。ガーデンシェッドが完成すれば文句なしの大賞なので、年明けまで待ったのだが、結局完成することは出来なかった。
 というわけで、2010年の大賞は該当無しとする。ただしアイデア賞として野外テーブルを表彰する。

野外テーブル 2010.5.8完成
材料 2×4、6f 9本
    2×4、8f 4本  以上3,824円
    ペンキ一缶       2,000円   合計5,824円
作製日数 不明、作業開始は2009年7月
アイデア賞の理由
 野外で食事などする際に使用するようにこしらえたが、野外に放って置くものなので丈夫で且つ雨風に強くなければならない。そのために2×4材を使ったが、天板に7本と、側を付けたので重さに関しては申し分ない。それを支える脚は丈夫さと見栄えを重視し、大雪で折れた杉丸太を4等分し、幹の丸い部分を外側にした。天板への取り付けが難点だったが脚に溝を切ったり、三角の木端で補強したりして充分なものとした。天板は野外に置いて板が踊らないように側板に溝を切りはめ込んだうえ、下部に梁を渡して補強した。Img_4336

脚に杉丸太を使ったのはアイデアだが、細工には苦労した。



Img_3146Img_3149
隠し釘をするには養生テープを貼って作業するときれいに仕上がる。



 パラソルが立てられるよう天板の中心に穴を開け、足置きのところで固定できるようにし、風で飛ばないようにした。
 テーブル上部は釘は総て釘隠をし見栄えを重視した。
5月8日には記念のパーティを開いたが、その後このテーブルを利用したお客さまは二組である。ズコッ。Img_4487Img_4488_2Img_4491 

 


傘立ての工夫と完成品。そして記念パーティ。

 さて、2011年に廻ったガーデンシェッドだが、怖れていた雪が来てえらいことになっている。昨年来申し訳程度のブルーシートを被せているが、雨風雪ともヤワなもんじゃなく屁の突っ張りにもならない。とにかく床も壁もびしょびしょで焦ることこの上ない。なんとか屋根を作って、ルーフィングを張るところまでいきたい。ところが積もった雪が作業を阻み、野地板張りと正面の柱を立てるだけで一日が終わった。Img_2030 Img_2066

元旦の朝は雪が積もって、溶け始めると中はびしょぬれ。2日夕には野地板が張れた。

 一応ブルーシートを張って雨露はしのげるようになった。やれやれと思って片付けをしていると、椎茸小屋のネットを張った天井が雪の重みで崩壊しているではないか。ここまで予想していなかった我が身に責任があるのだが、なんとも疲れる光景だ。
今日のじょん:今日も雪の散歩だ。雪の日は動物たちの足跡がくっきりはっきりで、普段解らないやつらの行動がよく解る。じょんの臭い嗅ぎも理由がはっきりする。今朝解ったこと、猪は山からでなく川からやってきている、放し飼いの犬が徘徊している。Img_2056 Img_2057Img_2065   

左:散歩の前のウオーミングアップ 中:念道橋を渡る放浪犬の足跡、往路のみ。右:猪の足跡は川から上がって来ている。

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明けおめ 1/1

2011-01-01 | 日記・エッセイ・コラム

2011.1.1(土)晴

 新年明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。
             2011年元旦 じょんのび村一同

 というわけで、今年から年賀状を止めたのでこの場を借りて新年のあいさつをすることにする。私どもに年賀状を頂いた方々には大変申し訳ないのだが、できれば四季折々の挨拶でも出そうかなと考えている。
  じょんのび村の新年は昨年からの雪で明けた。らしいといえばらしい正月だ。今日一日は雪かきくけことなりそうだ。900mの河牟奈備神社へのお詣りも雪中行軍となりそうだ。三年目、三回目の雪の元旦である。Img_2039

なんとも頼りない初日の出。


 さて、今年はというと還暦を迎えるわけで後の人生はおまけということなんだろうが、平均余命を考えるとおまけにしては長すぎる。まあ折角頂いた命なんだから大切に且つ有効に使わせていただこうと考えている。
 じょんのび村を開拓して3年目となる。予定どおりには行かないが、徐々に形になっていそうだ。今年の目標は看板を作ること、ドッグランどを完成させることである。それも元気でなければ出来ないことだし、夏はまた暑くなりそうなのでそれまでに、できれば3周年記念日までにやっつけたい。もうひとつ、じょんのび村に来て未だ一度も旅行に行ってない。じょんが居るので大変だけど今年はどっかいってみたいなあ。なんとも人生を一周してきた記念の年なのにつつましいなあ。Img_2047
Img_2042  正月は例年小鼓の雪で明ける。日頃呑んでいる丸とか月に比べると、なんとこくがあることか。ほろ酔い気分になると陽が射してきた。再度庭に出て新雪を愛でる。
 元旦とはこの真っ新のキャンバスに最初の筆を入れるようなものかもしれない。

 新年の 雪原に入る 初仕事   うとく

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