晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 続「西丹波秘境の旅」 1/9

2011-01-09 | 雨読

2011.1.9(日)曇

 例えば大油子(おゆご)についての記述の中で金属関連の民に「藤」が付くことが書いてある。私もこの理由について知りたいとかねがねおもっていたところだ。
 「ついでにいうと、大油子にはないようであるが、藤原の「フジ」は産鉄民によくつく名前である。これは砂鉄をとる鉄穴(かんな)流しに、藤の枝が用いられたことから考えて産鉄民を象徴するのである。」という風に書いている。
 実はこのことは「古代の鉄と神々」(真弓常忠著)の中で、上賀茂神社の御阿礼神事(みあれしんじ)に使われる「おすず」なるものが何故藤枝で出来ているか、あるいは、神話にある
洩矢神が鉄輪、タケミナカタの神が藤枝を持って戦ったかという内容で書かれていることである。真弓氏が鉄穴流しに藤枝が使われていることを発見し、感動を持って書かれている。少なくとも「古代の鉄と神々」の中ではタケミナカタの神がなぜ藤枝を持って戦ったかと言うことを書かれたことであって、産鉄民に多い「フジ」姓のことを書かれているのではないと私は考えている。「フジ」姓についてはいづれ「大唐内のこと」で書く予定をしているので参考にしていただきたい。
 このことについては読解力とか解釈の問題でもあるのでやむなしとして、私が本書の欠陥というのは次の二点である。
 於与岐(およぎ)は上林ではない。
 太陽信仰と計測のメッカ 丹波弥仙山の於成平(おなるだいら)という一節がある。Img_1798

弥仙山於成平


 「綾部市の聖地、上林の於与岐の東北、云々」という文章で始まる。私は眼を疑った。本の誤植かなあと思いつつ読み進めると、やはり”
上林の於与岐”なのである。不安になってきて、地名大辞典を開く。やはり於与岐は上林ではない。境遇としては上林と於与岐は似ている。しかし地域、村としてはまったく別物なのだ。どうも澤先生思いこみが激しいようだ。於成平についても弥仙山についても現地に入って詳細な調査をされ、太陽計測信仰の大胆な説を出しておられるのは敬意を表するものであるが、ところどころに出てくる上林の於与岐にはがっかりさせられるものである。
 丹後の日置は北緯34度32分ではない。
これも同じ節の中の「太陽の道と上林の日置」という項の記事である。
「上林にある次に触れる日置や後述する夜久野の日置は、北緯34度32分の線より少し南にずれるが、丹後の若狭湾西岸にある日置がこの線上にあるのは不思議な一致といわなければならない。云々」とある。
丹後の日置は北緯35度36分であり、上林や夜久野の日置は北緯34度32分よりかなり北になる。これは単なる勘違いでは済まされない。この緯度の謎を提唱されたのは「知られざる古代」の著者水谷慶一氏で、この線に沿って古代の重要な遺跡があり、日置氏の形跡も残っているという太陽の道説とでもいうものである。それはまた中央構造線の金属産出地帯でもあり、真弓氏が反論した経緯については雨読「日置氏の正体は?」(2010.1.10)で書いたところである。このように重要なラインである緯度だから、勘違いでは済まされない。
 上林に住んでいるから解るこれらの誤りが、実は他のところだと解らないわけだ。実に興味深い内容の本であるだけに信頼性が低いのは残念である。

【作業日誌 1/9】
ガーデンシェッド屋根葺き、壁パネル張り

今日のじょん:昨日から夕飯を残し始めた。美味しいところだけ食べて残しているようだ。かみさんはやたら心配しているが、正月一緒にいる機会が長かったので甘え癖が付いたようだ。犬だって人間と同じように易きに流れるようだ。Img_2053
初詣のじょん君、なんとなくかっこいいでしょ。  

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雨読 西丹波秘境の旅 1/8

2011-01-09 | 雨読

2011.1.8(土)晴

 「西丹波秘境の旅」(澤潔著)かもがわ出版、1995年2月発行、定価2,200円、古書購入価900円
Img_2106  いつかお話しした大津の古書店でたまたま見つけて買った本である。澤氏は主に京都北部の地名、地史を研究しておられて、「日本地名ルーツ辞典」創拓社の丹後の地名を担当されている。それで氏の名前に憶えがあったのだが、以前に買った「京都北山を歩く」全3巻も氏の著書で倉庫から出してきてあらためて読み直しているところである。
なぜルーツ辞典で氏の名前を憶えたかというと、口上林の井根(いね)の由来を調べるべく参考として丹後の伊根を調べたときのことである。日本地名ルーツ辞典では、「伊根の語源は「稲」である。鳥が稲の穂を南のニライカナイから運んできた話が、奄美大島や沖縄の久高島、対馬西海岸の伊奈などにある。云々」と続くのだが、伊根の語源が稲であるという証拠については一切書いていない。これはちょっと怪しいなあと思うのは当然のことだろう。ここまで断言する筆者とはどのような人物だろうと記憶に残ったわけである。
 本書を読み始めると見知った地域の歴史や考察が出てきて、あっと言う間に読み進んでしまう。特に丹波地方の海人族や金属にからむ氏の主張は私も同感するところであり、参考にするところも多くあって興味深いのだが、この書にはいくつかの欠点がある。その欠点が澤氏の主張されていることを台無しにしているのではないだろうか。ただ、この書を丹波の紀行文だと思えばそれは許されることなんだが、氏は単に紀行文としてこの書を発行されたとは思えない。
 私はこの本を読みながら、きっと著者は高校の先生をしていた人かなと思った。著者の略歴は必ず見ることにしているがそれは読後である。先に見ると妙な先入観が入ってしまうからである。果たして小中高の先生をしておられた方だった。
 沢山本を読んでいると著者の職業、あるいは前職によって文調というか論旨の展開の仕方が違うのが解ってくる。中高校の先生は知識を仕入れてそのまま断定的に教えてあげようという意図が見られる。もちろんそれは職業柄ということであって決して悪いことではないのだが、研究書として読むには難がある。つづく

【作業日誌 1/8】
ガーデンシェッド屋根葺きImg_2101


ツートンカラーにしたかったなあ。

今日のじょん:雪が固まって上を歩けるようになってきた。ところが時々ぼそっと潜るのでその様子はとっても面白い。来冬こそはどこのワンちゃんもこの雪原で遊べるようにしてあげたい。Img_2085 Img_2103


雪面のビフォアアフター。

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