晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(32)鬼伝説 1/27

2011-01-28 | 歴史・民俗

2011.1.27(木)雪 積雪11cm

 私が川合(現福知山市三和町川合地区)に住んでいた頃、1969年までには水道は通っていなかった。水は井戸や山水に頼っていた。どこの家にも井戸があって豊富に水が湧いていた。ではその井戸はいつ掘られたかというのは定かではない。私が母に聞いたのは、井戸堀職人は大原の奥にいたということである。戦後のことだと思うのだが、井戸堀を依頼するために徒歩でその家に行ったということを聞いた。つまりその時の話題は井戸掘りのことではなく、大原と言うところが如何に奥深いかというものだったのだ。上川合から3Km程で大原神社に着く、そこから同じぐらい奥に入ると言っていた。おそらく府道59号線沿いの峠道を辿ったのだと思う。話通りだと母は往復12Km歩いて井戸堀を依頼に行ったわけだ。話はまとまって我が家の井戸が掘られたわけだが、何という職人さんだったのか、いつ頃の話か聞いておきたかった。
 大原は川合の最奥にある地域で、大原神社や産屋で有名である。産屋の習慣は海人族の象徴的な習慣であるが、澤潔氏は「西丹波秘境の旅」で海人族の文化が由良川から土師川、川合川を通じ遡上したと想像されている。私はそうは思わない、海人族の文化は由良川から直接大簾川(おおみす)を遡って峠を越えて、あるいは綾部から質山峠を越えて大原に入ってきたものと思う。このことは将来詳しく考察してみたいと思っているわけで、今のところ確たる根拠はないのだが、あるとすれば次のいくつかぐらいだ。Img_0291_2 Img_0296

大原の産屋と大原神社の舞台。

 川合には地名に属した姓がほとんどない。というより今のところひとつも確認できない。ところが台頭(だいと)に出野(いでの)の姓があるのだが、丁度府道59号線が国道27号線に出合う辺り(京丹波町和知)に出野の地名がある。また大原、台頭に多い片山姓も綾部市には多くあるのだが、釜輪町にも集中してあるようだ。

 川合において大原の文化は独特の文化ととらえられている。大原神社、産屋の存在などもあるが、私の母などは大原は平家の落人云々ということまで言っていた。平家の落人は無いだろうが、川合の他の地域とは異質の文化が根ざしていたという意識だろう。感覚的にしか解らないが、上川合より下流には海人族を思わせる文化の痕跡は見あたらないようだ。

 丹波における杜の痕跡と考えられている、ダイジゴ(大将軍)の地名が台頭にある。また上川合には大ジョグンの地名がある。綾部などの由良川流域にはこの地名が残っているところがいくつかあるが、川合ではこの二つだけである。

気になる地名
赤水、蛇ヶ谷、火ノ谷、水ナシ。丹後畑、カラト、オニガサコ、浅町、船迫、芦谷、イモレガ谷、アラボリ、荒神向、マトバ、森ノ奥、引地、マヤガ谷、以上大原
荒神、六ロ谷、大将軍、以上台頭
青木森、浅町、猫ヶ市道ノ上、大ジョグン、講神、ハマイバ、出石、以上上川合

大原の井戸堀職人について書いたのはいつか大原のことを考察しようとするときの参考にと書き留めたのである。大原は位置的にも文化の意味でも大唐内と類似していると考えている。どちらも若狭、丹後の海人族の文化が峠を越えて流入してきたのではないだろうか。

今日のじょん:じょんの散歩コースも雪の制約を受け、だんだん狭くなってきている。それでも頑張って連れてっているんだが、他所のワンちゃん達は運動不足でストレス溜まっているとか。じょんちゃんも冬景色には食傷気味。Img_2242

 

 

コメント
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