晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(33)鬼伝説 1/30

2011-01-31 | 歴史・民俗

2011.1.30(日)曇

 説話はあくまで説話ではあるが、もとをただせば語り継がれてきた史実に基づいているのだろうと考える。ただ長年の間にそれを取り巻く人々の都合によって様々に変節することは当然あろうかと思う。「酒呑童子の誕生」(高橋昌明著)はその辺りのことを解りやすく端的に述べられており、私も同感する部分がある。例えば麿子親王伝説の項にあるのだが、麿子親王伝説は日子坐王伝説の翻訳であるが、翻訳をした人びとはどのような人びとかという書き方で、勧進活動いわゆる寺社の建築資金を調達する目的を持って作られたと言うことである。
 酒呑童子の項では鬼退治の主役が渡辺綱になっている事について、平たく言えば渡辺党が凋落傾向にあった時人気を取り戻すために説話をそのようにしたと言うようなことが書かれている。これらの経済的、政治的な理由によって説話が形作られていくことは充分に理解できる。例えば行基や弘法大師の開祖によるとかいうものや縁起物語なども勧進活動、あるいは布教宣伝活動に必要性があって文章化されたものと理解すれば、納得がいく。
 ただいくら現実的な要請があったとしても、それまでに語り継がれてきた口伝の伝説を完全に無視して新たな作り話を作り上げるというのは不可能だといえる。なぜなら、口伝の伝説というものはその地域なり寺社に関連する人びとのおおよそが知るところであり、それを完全に変節するとか大きくねじ曲げるということはそれら大衆の支持を失うと言うことだからである。
 記紀が天皇家の都合によって編集されていることは疑いを持たない。しかしながらそれとて語り継がれてきた口伝や説話を完全に無視あるいは完全に変節させることはできないだろう。歴史家達は巧妙に編集された文章の中からそれ以前の歴史を、史実を突きとめるために研究を重ね、様々な試論が出ているということだ。
 そうした考え方を元に大唐内の大蜘蛛伝説を見てみたら、一体どのような歴史が、史実が見えてくるのだろう。いくつかのヒントを提供してきたのだが、まだ腑に落ちないことがいくつかある。その一つが、大蜘蛛を退治したのがなぜ弓の名人であったかということと、善右衛門に射られて死んだ悪い僧兵がなぜ脇腹痛の神さまになるのかということである。つづく(大唐内のこと(32)は2011.1.27)

【作業日誌 1/27】
ガーデンシェッドドア作製、ドア枠の溝切りImg_2262

12mmのビットを使いトリマーで溝を切った。小型の機械なので大変。



 今日のじょん:パオパオさんが雪上ぽんぽこぽんを大変褒めてくれたので、もう一発格好いいのを見せるじょん。じょんカレンダーも作りやしたから、今しばらくお待ちを、、。Img_2256 Img_2254

コメント
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