晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

続々・丹後風土記残欠は偽書? 1/22

2011-01-23 | 歴史・民俗

2011.1.22(土)曇

  私が疑問に思うのは、これらの根拠を以て「丹後風土記残欠」が本来の「丹後風土記」とは無縁のものであるという点は理解が出来るけれども、全文が疑惑のベールに覆われている、すべてが「偽造と疑うべきもの」となるものなのかという点である。それが歴史学会の常識なんだと言われればそれまでだが、そうだとすれば一般的な常識とは随分かけ離れた常識なわけだ。私たちが知りたいのは、全てが怪しいという根拠である。それを提示しないで、「他の資料で真実の史料であることの証明をしない限り云々」と言われるのはこれまた一般的な常識とは正反対では無かろうか。全ての項目に渡って偽りの内容であるという根拠なり、証拠を示していただいて初めてその書物が偽書であると言えるのではないだろうか。
 注記に氏の記述された論文等が書いてあり、最後の方に「『丹後風土記残欠』との訣別」というのがある。おそらく残欠を参考にいくつかの論文を書かれ、何かの矛盾に突き当たられて訣別ということになったのかと察するのだが、そのところを語って欲しいというのが本音である。
 それらが明らかになされない限り、残欠がまるっきりでたらめな絵空事を書いた文書だという風には認められないのである。氏が残欠が「舞鶴市史」にも取りあげられているとして批判されているが、同書の資料編に、二 加佐郡の地誌  (1)「丹後風土記」についてという記述がある。
 前文略
この諸説によっていい得ることは「丹後風土記残篇」が例え「官撰風土記」に直接繋がりをもたないものであったとしても、その内容が加佐郡の古代に通じるものであるだけに、地方史的にも戦後飛躍的に開発された考古学の成果とあいまって文献史学的に再検討される要があろう。Img_2227

これらの中に残欠の引用は沢山ある。



 なんとも玉虫色の記述だが、私の思いもこのようなところだとして筆を置きたい。
ただ一つ、加藤氏が残欠偽撰の旨手紙を書かれ、その旨を認められ、論旨を更に発展されたとして氏が感服されているのは、高橋昌明氏である。「酒呑童子の誕生」中公文庫であるが、どう論旨を発展されたのか注目してみたいところである。本書については雨読のコーナー(2010.12.8、9参照)で誘導的な表現があるとして批判したところだが、この本は1992年発行のもので、論旨を発展されたといわれるのは2005年のものだそうだ。まさか残欠はインチキで麻呂子親王伝説は絵空事だった、などとは書かれまいが、げすの勘ぐりをしたくなる。
 もう一つ追加事項だが、春になったら日本の鬼の交流博物館前館長の村上政市先生にお会いできる事となった。私の同級の友人が懇意にしているということで紹介してもらえることとなったのだ。今回のことも合わせて、いろいろとお聞きしたい事柄もあって楽しみにしている。ただ、芦田完先生については随分以前に他界されていることを聞いた。残された論文もまた新たに読んでみたい。


今日のじょん:雪が積もってからまともにぽんぽこぽんが出来ない。替わりに雪中探索ぽんぽこぽんをやっている。雪の中にボールを投げ入れて、探索をさせるというものである。頭書はなかなか大変だったものが、少しずつ探して来られるようになってきた。Img_2210 Img_2211 Img_2212




雪の中からボールを探して持ってくるというものだ。 

コメント (1)
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