晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(27) 聞き取り 1/5

2011-01-05 | 歴史・民俗

2011.1.5(水)曇

 大唐内についての聞き取りの報告を書き終えたところだが、最後にWさん宅のお墓について書いておきたい。現物を見せていただくようお願いしているところだが、今現在見ていないのでなんとも言えないのだが、氏の話によると先祖のお墓の内二基が石積みの円錐形というのだ。沖縄から北海道までいろんなお墓を見てきたがこういうのは見たことがない。Img_2593

沖縄の巨大な亀甲墓は中国の影響とか。


 不思議だなあと思っていたところ、「日本山岳伝承の謎」(谷有二著)の中に韓国の現代の墓というタイトルで東亜日報の写真を掲載していた。その写真は慶尚南道宣寧(イニヨン)附近で酔った警官が53名を射殺した事件の際のお墓の写真である。丸みを帯びた円錐形のお墓はきっとWさん宅のお墓に似ているのではないだろうか。そして丸山と呼ばれる山がまったく同じ形状をしているのである。
 私の故郷でもかつては土葬であって、40数年前私の父親なども土に葬られた。そして桶状の棺を埋めた表面は土饅頭と言って丸い盛り上がりを作っていた。それは突き固められているわけでもないようで月日がたつと段々低くなって、棺の腐蝕に伴って平面に戻り、ついには穴まで開いてしまうのだ。葬制墓制についてはいづれ詳しく研究したいと思うのだが、この土饅頭も朝鮮の影響を受けたものかもしれない。
 そして土饅頭も小さくなった頃、すぐ近くではあるが埋めたところとは違う場所に石塔を建てて拝む。石塔には線香や花を供え彼岸だお盆だと言ってはおまいりする。遺体を埋めた箇所には何の礼拝もなく、むしろ足の下となっているのだ。集合墓といえども両墓制の風習というか伝統は残っているわけだ。Img_0880_2
 私の家のお墓、竹箒の先あたりに遺体が埋められ、土饅頭があった。


 話がそれてしまったが、大唐内は感覚的にどうも朝鮮半島の影響もあるように思えるのだ。大唐内の唐(から)は銅の古語カル、カリから来ているのではいう私の予想は怪しくなり、単純に朝鮮のことをいっているのかなあという気もしてきた。なお、”から”は唐(とう)の国があるので中国と思いがちだが、歴史的には朝鮮のことなのである。
 ただ、ここで重要なことは地域の文化と言うものは歴史の流れとともにあらゆる地域、国家、民族の影響を受けるものであって、ひとつの国や民族だけの影響を受けるものではないということだ。絶海の孤島やヒマラヤの最奥ならいざ知らず、上林のように海の近くで交通の要所であるような地域ではことさら多くの雑多な文化を受け入れてきたであろうことは想像に難くない。
 従ってひとつの現象を捉えて彼の国の影響が大だとか、彼の国の民族が流入したとか決めつけるのは危険なことだと思うのである。
つづく(大唐内のこと(26)は2011.1.3)

今日のじょん:じょんカレンダーの紹介、1月は河牟奈備神社の初詣の写真だ。今年同様昨年も元旦は雪であった。写真の社は本殿ではなく、境内社の阿上社だが、床下に見えている石が御神体で、綾部市最古の金石文(永久二年1114年銘)である。Img_2071

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする