晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大唐内のこと(29)鬼伝説 1/19

2011-01-20 | 歴史・民俗

2011.1.19(水)曇

 「丹波志」に
 「弓削村 今ニ湯坪アリト云 蟻通フヨリワキ止ト云 湯ノ薬師迚三間四方堂□沸ト云」とある。

弓削村は綾部市五津合町の弓削のことである。薬師堂に温泉は付きものである。薬師堂に温泉が湧いていたが、蟻が通ってきてお湯が出なくなった、というのが直訳である。大唐内の薬師様にも同様の伝説があり、「乞食がやってきて薬師の湯で洗濯をした途端、湯がでなくなった」というものである。これは大唐内の西田さんから聞いたもので、どこかの文書に残っているものかもしれないが確認はしていない。実はこの類の話は結構あちこちで聞いたような憶えがある。思うに薬師堂には温泉が付きものであり、現実には沸いていない、このつじつまを合わせるためにこのような伝説を作り上げたのではないだろうか。Img_3412
 
’09.11、弓削を訪れたが薬師堂はどこか解らなかった。


 それにしても「蟻通フヨリワキ止ト云」というのは妙な話である。温泉の水脈を蟻の穴が破ってしまったというのだろうか。蟻の一穴という諺もあるのだがどうも不自然だ。他に蟻には「蟻の熊野詣で」とか「蟻の観音伊勢詣り」あるいは「蟻の堂詣り」とか言って大勢の信者がお詣りすることを言う場合もある。薬師堂に多くの人が詣ってお湯を使ったために使い切ってしまったというのは一理ありそうだ。
 大江山の麓、綾部市西坂から由良川に下りたところが南有路(みなみありじ)である。私が小さくて三和町に住んでいる頃、福知山から帰るのは省営バス(後の国鉄バス、現在JRバス)の丹波大原行きに乗車していた。日に4,5本のローカルバスで当初はボンネットバスであった。そうして駅でバスを待っているときにどうも似たような感じのローカル線が南有路行きで、子供心にどんなところなのかなあと気になっていた。大江町(現福知山市)はかつては鉱山の町で、私の想像が及ばないくらい賑わっていたようだ。古くからの鉱山でそれらしい地名が随所に残っている。そこで有路の地名由来について面白いものを発見した。
 「丹後風土記残欠」に天火明命がこの地で飢えていたところ、蟻に連れられて穴巣国に行き、その土神に助けられた。命は喜んで、土神を蟻道彦大食持命と称するとした。それが蟻道郷の由来だとしている。また蟻巣という祠があり、訛って阿良須となった。と阿良須神社の由来としている。
 天火明命(あめのほあかりのみこと)とは籠神社(このじんじゃ)海部氏(あまべうじ)の祖とされている。大江町の東半分が有道郷の範囲であり、福知山鉱山を初め鬼ヶ城、烏ヶ岳一帯の鉱山地帯を含んでいる。Img_4457
 
穴巣国とは坑道のことではないだろうか。(’07.4、大森鉱山)


 穴巣、蟻とは一体何だろう、この地域から鉱山、鉱夫と考えるとなるほどという感がする。蟻を鉱夫、金属採鉱者とすると弓削の薬師堂の湯とはなんだろう。このことについては後に記事にする予定だが、私は湯は鉱物を指していると思っている。そうすれば弓削の薬師堂の不思議な文章が解明できる。「弓削には鉱物があったが、採鉱者が沢山来て無くなってしまったよ」ということではないだろうか。
つづく (大唐内のこと(28)は2011.1.15)

【作業日誌 1/19】
ガーデンシェッド窓作りImg_2207

この後窓を右の枠に取り付けて今日はお仕舞い。向こうに見える四角いのは換気扇用のボックス。

今日のじょん:じょんがやたら畑の方を気にしている。そこは新雪の雪がそのまま積もっているだけで何もきていない。と思っていたら、畑の真ん中に径40cmくらいの穴が開けられている。穴の壁には爪痕のような筋が着いている。ところが周りの足跡はその部分だけでどこからきたとかどこへ行ったとか解らない。不思議に思ってよく見ると羽毛が落ちている、こりゃあ鳥の仕業だ。雪で食べ物が無いのでこの部分を掘ったのだろうが、一体何が埋まっているのだろう。Img_2203   

鳥の掘った穴、何を食べたのだろう。

コメント
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