2008.8.15(金)曇り
この日の前後になるとTVでも新聞でも先の大戦の話題が取り上げられる。その割合も年々少なくなっているようで寂しい感がある。やがていつか戦争のことを知る人も語る人も無くなり、誰の記憶にも無くなってしまうのだろうか。私は日本の民主主義が不完全なのは戦争の総括をきっちりしなかったからだと思っている。少なくとも表向きの責任者である天皇についても象徴天皇制度として残ったし、本来責任をとるべき多くの人物が戦後も財界、政界で妖怪のようにうごめいている。戦争で大儲けをした財閥だって、解体されたものの現に見事に蘇っているではないか。まるでゾンビのように。こういった戦争処理の不完全さが米国の作戦であったとして、日本人自らがきっちりした戦争の始末を付けられなかったことが、現在未来の日本にとって大変な不幸の種となることは残念なことである。
13日に終戦直前の東条手記なる新聞記事が掲載された。手記という限り、彼の本音が語られているのだろうが「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは云々」のくだりにおいては、このような人物に翻弄された国民は堪らないだろうし、戦死された魂は浮かばれない。なお、この手記が書かれたのは終戦の5日前である。
今日のじょん:モモ来る
じょんのび中毒の谷村夫妻と愛犬モモが来じょん、京都からもう4,5回の来じょんである。じょんのび村の魅力に取り憑かれた患者さんである。愛犬モモは紀州犬ミックスの10才の雌で都会育ちのおしゃれな姉さんである。じょんは兄姉3匹以外にもお兄犬二匹と暮らしていたので大の犬好き、どこの犬にあっても尻尾を振って近づいてゆく。ところが世間の犬はそれほど友好的ではない。うなられて、噛みつかれてしょぼんとしている。なんとかお友達になってくれる犬は居ないかと思っていたのだが、やはりモモにもうっとうしがられていた。
それでもしつこくつきまとっていたら、モモちゃんも「しゃーないなあ」って感じで相手してくれていたようだ。
モモちゃんが帰ってしまったらしょぼんとしてしまった。