晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

幽霊見たり(2) 8/3

2008-08-03 | 日記・エッセイ・コラム

2008.8.3(日)晴

 結局チリンチリンの鈴の音は何か解らなかったのだが、空耳というのが正しいだろう。上林にも幽霊話があるようで、菅坂峠、黒石峠に出る話があるそうだ。詳しい内容はよく知らない。いずれにしても夜に行けば怖いところだ。さて私はというと実は18年間お墓のそばの家に住んでいたわけで、当時は土葬であったし、便所はお墓のすぐ近くにあって怖い思いをしたが、幽霊なんてのは一度も見なかったのだ。それどころか人魂や狐の嫁入りなどの科学現象も見たことがないのだ。山に登りはじめて、いろんなところで野営をしたがそれらしいものにあったこともない。愛知大の大量遭難のあった薬師岳でも太郎平に一週間ほど閉じこめられたがそれらしいものはでなかった。山には幽霊話は付きものである。あらゆるところで遭難死されているわけだから無理からぬことだろう。一度だけ怖い思いをしたのは、白馬の小日向のコルで野営をしているとき、夜中に目を覚ますとテントの周りを誰かが歩く音がする。残雪期のことだから登山靴で雪を踏むザクッザクッという音がするのだ。先輩が小用にでも行ってるのかとテント内を見渡すとみんな静かに眠っているのだ。この地は明大山岳部の二重遭難のあったところだ。みんなを起こすのも格好悪く、ひとりシュラフに潜って耐えていたが、あれは一体何だったのだろう。
 今回の自転車旅行中も怖い目には沢山遭遇したが、幽霊の類に会うことは無かった。とくに沖縄、奄美は目的がお墓を巡る旅であったので気味の悪い思いは多くあった。極めつけは久高島のグソーを探す旅で、詳しくは2007,2,28の本ブログを見て貰ったら良いと思うが、実はブログに書いていない村のお墓に夕方訪れているのである。あのお墓だけは本当に背筋の寒くなるものがあった。お墓のはずれには新仏さんだろうか旗が幾本も立っているところがあり、海の波の音が響き、気味悪いことこの上なかった。後で解ったことだが、グソーというのはどうもあの場所の海岸の崖らしい。もう一つゾクッとしたのは2月23日の本島北上中、茅地バンタの下あたりか、トンネルの手前で小用がしたくなって、トンネルの脇の小道に入っていったとき、その道沿いは墓場だったことがある。海の断崖に細く続く道で、グソー同様かつては風葬の場であったのかも知れない。怖いのだけれどどんどん先へ足が向かってゆく。山側には大小の亀甲墓が並び、やがて打ち捨てられた古い墓が出てくる。古い墓は石で組んであるので、朽ちてぽっかり穴が空いているのだ。恐怖が増して、逃げるようにして国道に戻ったのだが、背筋は汗でびっしょりだった。それでも幽霊は出なかったし、私はそういうもの、心霊現象などというものは信じない。Img_2683






 今日のじょん:乳歯が抜けた。犬も乳歯が生え替わるのか、解らなかった。じょんの兄弟たちは生え替わったでという情報が入っていたが、一体どうやって解るのかと不思議がっていたところである。犬を飼ってる人に聞いてもよく解らない事柄ではあった。かみさんが、じょんが何か食べてるので叱って出したらどうも歯のようだ。やっぱり生え替わるんだ。Img_0716

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幽霊見たり 8/2

2008-08-03 | 日記・エッセイ・コラム

2008.8.2(土)曇り

 この時期になると怪談話が恋しくなる。私たちが幼少の頃にはこの時期になるとラジオでは怪談話の連続ものがあり、映画館でも怪談物が上映されていた。蚊帳の中で親子揃ってラジオの怪談話を聞いている姿は風情がある。落語の怪談物が怖いようにテレビと違ってラジオの怪談は怖い。映像ではいかにも偽物という幽霊が出るわけだが、音声では無限の想像力にゆだねるわけだから、恐怖感も無限大である。ただ映画はまた趣向が違う、画面と音声が強大だから恐怖感も比例して大きくなる。高校3年の夏に米さんという友人と2本立ての怪談映画に行った。一本は牡丹灯籠でもう一本は現代物であった。牡丹灯籠は定番の怪談で時代物でもありそう怖くはなかったのだが、新作ものはビルのオフィスに出る幽霊で、臨場感があり怖い思いをした。それでも黙っていたのだが、米さんはぎゃーぎゃーわーと大騒ぎで、周りに恥ずかしいくらい恐怖を感じていたようだ。映画館を出て、幽霊談義になったわけだが、米さんはお寺の息子で、人魂など日常茶飯事に見ているのだ。怖くないかいと聞くと、最初はびっくりしたがいつも出てくるので別に何とも感じないそうだ。架空の幽霊にあれほど恐怖を示す者がほんものの人魂(幽霊ではない)に恐怖を示さないのは不思議なことだ。いまでこそ人魂は電気現象だと証明されているが、当時はやはり霊的な何かを感じさせるものがあって、恐怖の対象であったわけだ。
 窓を開けて風呂にはいると例の山風が涼しくて、露天風呂に入っている雰囲気だ。ところが網戸越しとはいえ、真っ暗な谷間は気味が悪い。昨晩11時過ぎに気持ちよく入っていると、虫の声に混じってチリンチリンという御詠歌に使う鈴の音のような音が聞こえたのだ。隣は空き家だし、もう一方の隣は離れている。ぞっとして窓を閉め、耳を澄ますが二度と聞こえなかった。お向かいの息子さんが仕事から帰って来られて、玄関を開けたときの音かなと決めつけ、身体を洗い出す。とその時閉めた窓に巨大な蛇が鎌首をゆらゆら揺らしている影がうつった。黒い影に白い腹が映り、窓をはい上がってゆくようだ。窓は人の背の高さぐらいにあるから、相当大きな蛇である。窓の表面は凸凹になっているのではっきりは映っていないのだが、どうも私の動きに連動している。ドキドキしながらもよーく見るとシャワーのホースが映っているのだ。なーんだ、結局これも幽霊見たり枯れ尾花である。
 今日の朝、お向かいの玄関がチリンチリンと音がするか、それとなく観察するも、何も音はしない。おいおい。Img_0528

ここが真っ暗になったら、怖いで~



 今日のじょん:「じょんちゃんかっこいい」の階段落ち。じょんの体重が増え、おとーさんの腰がやばくなってきた。だっこして連れ出せないので、ベランダから自力で出て貰うことにした。ベランダに出るのも怖がっていたじょんだが、庭に降りる階段はもっと難関である。あのモモでさえ降りられなかった階段が降りられるだろうか。昨日一度降りているのだが、さすがに階段の上で尻込みしている。何度も挑戦するがダメで、しまいにへたり込んでしまった。恐怖のあまりちんちんが興奮している。階段(怪談)とは怖いものである。とっておきの作戦で、下でソーセージを見せると、ようやく降りることが出来た。「じょんちゃんかっこいい」蒲田行進曲を思い出す。それにしても食いもんの効果は素晴らしい。Img_0709 Img_0712 Img_0713

ベランダに出るのもおっかなびっくり。階段はこわいよー

Img_0715
ついでにお散歩デビューもできちゃった。

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