晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

一区遊歩道 8/16

2008-08-17 | 日記・エッセイ・コラム

2008.8.16(土)晴、夕立

 お盆で帰省しているお客さんが続いて、少し賑やかになっている。納涼祭のおかげで地元の方も店に来られ、地元の情報も聞かせてもらえた。中でも有志が集まって遊歩道をこしらえているという話は初耳でもあり、ノリである。じょんのび村から南方には、上林川とそれを取り巻く田園、東から長く延びて田んぼに消えている低い尾根、そして和知と隔てている高い山稜が絶妙のコントラストで配置されている。少し府道を下ってゆくと、湾曲した上林川の向こうに忠町の集落が見え、これがまた美しい。この美しい一帯を犬の散歩やジョギングをするコースを探すのが将来の楽しみにとってあったのだ。その上林川を渡って田園を越え、低い尾根の少しくびれた部分を切り開いて、忠町方面に抜け周回する遊歩道をつくろうというのだから願ったりかなったりである。また来年には上林川に納涼床をこしらえようなんて夢もあるそうだ。どれだけお力になれるか解らないけど、是非参加して、夢を果たしたい。Img_0847_2

写真中央赤い小屋付近から鞍部を越える遊歩道予定地

 今日のじょん:二階への脱走事件を防ぐべく、フェンスにネットを張った。これで安心とばかりに眠っていたら、外でかん高い鳥の鳴き声とともにじょんがくんくん言い始めた。どうなるかなと耳を澄ましていたその瞬間「ギャンギャンギャン」と大叫び。飛んで起きて階下に降りると、ネットの間に胴体を挟まれてもがいている。すぐに助け出して、かみさんが添い寝をしていたが、いつまでも痛そうに後ろ足を舐めている。留守の時でなくてよかった。それにしても、犬と人間の知恵比べは続く、今度はネットの隙間にネットを足して、埋めてしまったのだが、、、。Img_0839

ネットは張ったが、、、、、

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モモ来る 8/15

2008-08-17 | 日記・エッセイ・コラム

2008.8.15(金)曇り

この日の前後になるとTVでも新聞でも先の大戦の話題が取り上げられる。その割合も年々少なくなっているようで寂しい感がある。やがていつか戦争のことを知る人も語る人も無くなり、誰の記憶にも無くなってしまうのだろうか。私は日本の民主主義が不完全なのは戦争の総括をきっちりしなかったからだと思っている。少なくとも表向きの責任者である天皇についても象徴天皇制度として残ったし、本来責任をとるべき多くの人物が戦後も財界、政界で妖怪のようにうごめいている。戦争で大儲けをした財閥だって、解体されたものの現に見事に蘇っているではないか。まるでゾンビのように。こういった戦争処理の不完全さが米国の作戦であったとして、日本人自らがきっちりした戦争の始末を付けられなかったことが、現在未来の日本にとって大変な不幸の種となることは残念なことである。
 13日に終戦直前の東条手記なる新聞記事が掲載された。手記という限り、彼の本音が語られているのだろうが「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは云々」のくだりにおいては、このような人物に翻弄された国民は堪らないだろうし、戦死された魂は浮かばれない。なお、この手記が書かれたのは終戦の5日前である。

 今日のじょん:モモ来る

 じょんのび中毒の谷村夫妻と愛犬モモが来じょん、京都からもう4,5回の来じょんである。じょんのび村の魅力に取り憑かれた患者さんである。愛犬モモは紀州犬ミックスの10才の雌で都会育ちのおしゃれな姉さんである。じょんは兄姉3匹以外にもお兄犬二匹と暮らしていたので大の犬好き、どこの犬にあっても尻尾を振って近づいてゆく。ところが世間の犬はそれほど友好的ではない。うなられて、噛みつかれてしょぼんとしている。なんとかお友達になってくれる犬は居ないかと思っていたのだが、やはりモモにもうっとうしがられていた。Img_0823 Img_0827 それでもしつこくつきまとっていたら、モモちゃんも「しゃーないなあ」って感じで相手してくれていたようだ。
モモちゃんが帰ってしまったらしょぼんとしてしまった。

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