常念が見える部屋から

ここから北アルプス常念岳が眺望できます。
季節の移ろいに写真を添えて発信します。

8月31日

2010年08月31日 | 季節の便り
赤とんぼ


つい最近まで、肥料と日光を吸って青黒いほどに茂っていた水田に稲穂がのびて、小さな目立たない花が咲いた。
穂先がたわみ、日ごとにたわみが大きくなって、田の面は明るく輝き始めた。
2週間もすれば稲刈が始まるだろうと、農事技官の若者が言っていた。
連日の猛暑に、駆け足で過ぎてゆく夏を、つい見過ごしてしまう。
すっかり日が短くなって、聞こえるのは秋の虫ばかりである。
春に巣立ったヤマガラが山から戻って、窓のガラスをしきりに突きながら、秋を知らせてくれる。
週末から3日間、夏を見送りに北海道へ飛ぶ。
北の国に遅れてきた夏は、せっかちに帰ってゆくから、後ろ姿しか見えないかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眼科用巨大電磁石

2010年08月30日 | 来し方
茗荷 朝の食欲増進に重宝している。
子供のころは食べたくない野菜の筆頭だった。






k式巨大電磁石

昔 労働環境が整わない鉄工場で金属加工に従事していると、切削中の切屑が目に飛び込む事故が多かったという。

洗浄するだけで取り出せた軽症状から、鋭利な金属片が眼球に突き刺ささり、手術で除去する重傷例までがあった。

鉄片除去の一法として、磁石に吸着する方法も考案されたが、磁力が弱くそれほど普及はしなかった。

患者の苦痛を軽減するため、強力な磁石の出現を待ち望み、ついに自ら巨大電磁石の製作に挑む医師が現れた。

鉄の芯に電線を巻付け、電流を流せば電磁石は簡単に作ることができる。

又発生する磁力は、理論上電線を鉄心に巻く回数と流す電流によって、際限なく強力な電磁石が作れることになる。

試行錯誤の末、出来上がった電磁石は重量が20キロを越えた、仰臥する患者の眼球に接近させ、保持することは不可能に近い。

大型三脚の頂点から左右にアームを伸ばし先端に電磁石を取り付け、反対側にバランス用鉄塊を固定する天秤型で決着した。

実物を見たような記憶もあるが定かではない、当社が全国に向けて発売した最初の医療機器であり、「k式巨大電磁石」と考案者の名前を冠に付けて数台を売ったという。

どの程度の治療効果が得られたのか詳しいことは判らない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サギソウに涼を求める

2010年08月29日 | 季節の便り


8月も末というのに、会う人ごとに交わす挨拶は、毎日「暑い暑い」と決まっている。
昨日会社の取引先を交えたゴルフ会があった。
都会から参加した人達は口々に「涼しい」と言ってくれるけれど、無風で34度の直射に燻られて、足許から上がる草いきれに、涼しい筈ないのだけれど、もし本当なら大都市は当分地獄だと思った。
1升ほど冷水をこまめに飲んで、なんとか無事に乗り切った。
今日は涼しいうちに畑作業を終わらせようと思って、足の不自由なかみさんに代わって、収穫や草取り、灌水、土寄せ等の作業に従事した。
あれもこれもと欲張っているうちに、気がつくと何と最も気温が上がる時間帯に入っていた。
無理が熱中症の原因になる、そのうちに暑さを感じなくなるそうだ。
暑いと感じているうちに早々と退散した。11時30分だった。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神が与えたもうた休暇

2010年08月27日 | 季節の便り


飛び石に躓いて膝をついた時、立ち上げれないほどの激痛が右足首を襲った。

整形外科医は捻挫と診断し、本日より10日間の安静を言い渡された。

あれから6日が過ぎて、足首の腫れはひき、痛みは消えた、しかし家の中は杖を頼りに移動できるものの、一歩も外に出ることはできない。

丹精込めて育てた野菜の収穫が気にかかるけれど目をつむっている。

内出血の後遺症で患部は黒く変色し無残である。
まさか災難が、飛び石についているとは思わなかった。

夏休みもなく、毎日を分単位で忙しく飛び回っていた身にとって、神様がくれた特別休暇なのかも知れない。

私のことではない 我がかみさんの受難である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テグスを引く

2010年08月26日 | 季節の便り
あさがお


盆が過ぎて、草むらで虫が鳴き始めると、明け放した家の中に灯火に誘われて様々な種類の虫たちが集まってきた。

カブトムシ、コガネムシ、池の中からゲンゴロウまで低音を響かせて飛来し、不器用に灯の周りをまわって床に落ちたし、大きな蛾はパタパタと団扇で煽るような音を立て、壁ぶつかって鱗粉をこぼした。

誘われて飛来する蛾の中にひときわ大きなクスサン(楠蚕)がいた。

クスサンの幼虫シラガタロウはシナンドロという妖怪の様な名前で呼ばれていた。

この幼虫が繭(スカシダワラ)をつくる直前に10センチ近く成長し、緑の全身を覆う銀毛を光らせながらモックラモックラとすさまじい食欲で樹木の葉を食べつくした。

この頃からシナンドロは体の中に繭の原料となる、ある種の蛋白質を貯え始める。

それは蛙の卵を包んでいる、あの寒天ゼリーに良く似た弾力性の強い物質である。

その蛋白の塊を、食酢に付けてころあいを見計らって、引き上げると、糸状に伸びて丈夫なテグスができた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テンサンの羽化

2010年08月25日 | 季節の便り



ヤママユガ(天蚕)

羽を持たない、テンサンの幼虫が、どんな経路で庭の樫の木に辿りついたのか、解明が進まないまま時間が過ぎていった。

時が流れる中で、すっかり固くなった樫の葉に守られた緑色の繭は、変化せずに宝石のように輝き続けていた。

8月下旬になっても、最高気温は異常値を更新し、衰える兆しを見せない残暑が続いていたある朝、季節の動く気配に目覚めて、明け放した窓から入り込む涼風に、思わずはねのけていた薄手の夜具を引き寄せた。

その朝は サギソウが咲いて、百日紅の零れ花が地面を紅く染め、テンサンの繭は光沢のある色彩を放ち、その横に羽化したばかりの大きな蛾が静かに、枯れ葉のように羽を休めていた。

 この模様には見覚えがあると、遠い記憶を呼び戻す、明りを求めて薄暗い灯火に集まった古の虫たちの模様である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道へ

2010年08月24日 | 季節の便り
オリヅルラン


来週FDA(フジドリームエアライン)にのって北海道に行くことになった。
視察研修である。
日航再建のあおりを受けて、松本空港から飛び立つ定期便が無くなる危機を救ったのはFDAであると県知事が云った。
FDAに表敬の意味を含めた2泊3日の旅である。
松本を9:30分に飛び立つと新千歳に11:05に着陸する。
東京に行くより、名古屋に行くより早い。
札幌で1泊、登別温泉で1泊 札幌市内、サッポロビール園、小樽運河、アイヌ民族博物館、昭和新山、地獄谷を観光ではなく視察研修する。
夕焼けが見られるチャンスと、朝焼けを拝するチャンスが二度づつある。
帰りは11:35分の乗って、13:05分暑い盛りの松本空港に降りる。
凄いのは雨天の場合、発着地が東京羽田に変わることである。
どうか雨が降りませぬように。








コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏蕎麦の悲劇

2010年08月23日 | 季節の便り

5月から戸外に置いた鉢植えのハイビスカスが咲いた。

石垣島から枯れ木のような棒状の挿し木を購入し5年ほど経つ

猛暑に似合う花である。



日曜日 炎天下で蕎麦の収穫作業をした。
昨秋の収穫時にこぼれた実が見事に発芽し、6月末に白い花が畑一面に咲いた。
今年は大した苦労をせずに収穫できると、同好の士達は皆喜んだ。
その花が実ったので取り入れということになったのだ。
蕎麦畑は、背丈ほどに伸びた雑草畑に変わり、蕎麦の姿を覆い隠していた。
炎天下、蕎麦の紅い茎を探し出すように刈り取りを進めた。
32度を越える、いまどき日中の農作業は普通の人はやらない、長袖の作業衣を汗でぐっしょりと濡らして黙々とやった。
熱中症を慮って、水をのみ、塩をなめた。こんな過酷な労働は近頃例を見ない。良く耐えたものだ。
刈り取りが終わって脱穀に移った、しかし脱穀機の下にたまった収穫物がを握ってみると、手ごたえが無い。
6月の白い花はほとんど結実しなかったのである。
一同落胆し、疲れがどっと噴き出した。
12名が4時間かけた、炎天下の戦いの成果はまだ不明である、脱穀した実を乾燥選別して見なければわからない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天国からの手紙

2010年08月22日 | 横浜物語
2004年元気だった義兄より

1日涼しくなっただけで酷暑の日がつづきます。お元気とのこと、何よりです。
小生も何とか暑さを切り抜けています。
本日ブドー沢山頂戴し、恐縮。 有難うございました。いつもお気遣いくださり、厚くお礼申します。
みち子に供えました。 好きでしたからね。 
お躰ご自愛下さい。ムリはいかんですよ。 ご家族様によろしくお伝え下さい。
涼しさを待望しつつお礼まで  2004年8月18日



天国から届いた手紙

突然一身上の事についてお知らせする失礼をお許しください。

小生

さきごろ、昭和5年に生を享けた一生を終えました。

長い人生でしたが、その間、親身におつき合いくださった親戚の皆様、心美しき近隣のかたがた かてて加えて親しい友や知己の皆様にとても良くしていただきました。優しい両親やきょうだい、それに小生には過ぎた伴侶や息子夫婦にも恵まれました。

誠に心豊かな、ハッピーで素敵な生涯でした。

わがまま人間の小生にはもったいないことでありました。そんなわけでこれ以上望むものもない身であります。

そこで有難い読経と、愛する家族だけに送られて、伴侶の待つ西方へ密かに旅立つことにいたしました。

したがいまして、勝手ながら通夜、葬儀を欠礼、香典。供花、焼香など一切をご遠慮し、固くご辞退申し上げた次第です。

生前のご交誼におこたえする術を得ずして逝きましたこと、どうかお許しくださいますように。

ほんとうにお世話になりました。ありがとうございました。お礼の言葉もありません。

皆様のご健祥と、ご多幸をお祈り申し上げます。

最後に、残る家族への変わらぬご厚誼を伏してお願いいたします。

ご機嫌よう、さようなら。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自力更生の道  再会

2010年08月21日 | 来し方
サギソウ
今年は鷺草の育ちが良くて、管理指導を受けている茂木さんに褒められた。
15鉢の中から、一番と自負する一鉢を下げて、ある人を訪ねた。
それはN常務である。
会議の途中で席を蹴って退席され、それ以後23年間交流は途絶していた。
清流 梓川の近く、あの当時と変わらない閑静なお住まいである。
長い歳月の中、その人は、多く変わり、多くは変わらずに立っていた。
持参したサギソウの鉢を玄関の飾り台に置くと、殺風景な空間が一変する思いがした。
戸惑い気味だった主の顔に幾分笑みがさした。
以前はこの飾り台には必ず季節の花が飾られていたのだが




来し方の記

程なく、社命により技術職から営業職に転じ、私の勤務環境は大きく変化した。

工具鞄を持った訪問は、どこからも歓迎されたけれど、書類鞄が歓迎されることはなかった。

そのような中で、会社は再建に向け大きくかじを切った、様々選択肢の中から自力更生を選び、社長同士が昵懇であったN社の好意で同社のN常務の派遣を受け、月1回のペースで更生指導を受けることとなった。

月1ないし2回とはいえ、ぬるま湯に慣れきった我々にとって、妥協が許されないすさまじい時間帯であった。

会社の恥部を公開することに躊躇する役員に向かって「企業の健康診断に必要なことは、正確なデータに基づく冷酷な分析である、そのことが理解できない人間はここにいる必要はない 出て行け」と一喝した。

しかし 長い停滞期に澱のように溜まった不良資産の全容把握は困難を極め、そのうえ新たな不良債権の発生を抑止できなった。

N常務は帳票類を丹念に精査し、疑問点を書き出し、発生事由、解決法、解決期限を厳しく求めて来た。

 苦し紛れの生半可な回答は許されない、N常務のノートに記録されたその日が来ると必ず確認の電話が鳴った。

N常務の本業は、県内屈指の企業N社の常務取締役である、日常業務は多忙を極めていたことは想像に難くない。

その上当社への経営指導は全くの無報酬であった。

無関係ともいえる企業再建に注ぐその情熱は少し時づ社内に感染を広めていった。

それでもN常務の経営哲学が社内に定着するのに約10年を要した。

しかし それは企業にとって大きな財産となって後年花開くことになる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする