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来し方の記 (医科器械とともに53年)

2010年08月19日 | 来し方


[1919年(大正8年)中島次太郎氏により創業された医療機器販売業中島尚誠堂(現社名中日本メディカルリンク株式会社)は90年余の歴史を積み重ねて今日に至った。

振り返ると1957(昭和32年)縁あって入社以来53年の歳月が流れていた。

会社では90年の節目にあたり社史発刊を決定、老骨に鞭打ち時代の証人としてその手伝いをする事になった。

手繰る記憶の中から、特筆すべき出来事を軸に、社史とは別の角度から時代の輪郭を探ってみたいと考えている]

私が医療機器業界に入った、昭和32年ごろから、M・E(メディカル・エレクトロニクス)という言葉が市民権を得たように思う、電子工学と医学の融合による、新しい医療機器を総称していたのだろう。

医療機器とりわけ、M・E分野の発展による市場の拡大は、旧来の医療機器業者の扱い商品を大きく変えた。

追い風となったのは、国民皆保険制度の確立、電子技術の進歩があげられると思う。

当時の社長は、ME機器の保守点検を重要な社業と先見し、工業高校で電気を学んだ若造を一人採用した、それが私である。

昭和33年3月の地方医療関連紙に「心電計技術部新設」と銘打った、弊社企業広告が掲載されている。

それから15年間、長野県内医療機関のM・E機器保守点検業務に明け暮れた。

動かない器械を再生し、地域医療に貢献し、人命に関わる業務を遂行できることに大きな喜びを感じていた。

しかし、業界が活況を帯び、需要が供給を上回る時代、目先の利く先輩や同僚たちは退職し、競うように独立開業した。

 

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