黄沙で霞む常念岳
四十雀(しじゅうから)の巣作りが始まった。
巣材を口一杯に加えてせっせと運んでいる
できるだけ邪魔しないように気を使いながら観察している。
黄沙で霞む常念岳
四十雀(しじゅうから)の巣作りが始まった。
巣材を口一杯に加えてせっせと運んでいる
できるだけ邪魔しないように気を使いながら観察している。
この地に根を下ろして少なくとも40年は経過している古株だ。
近くの澤筋に何度か株分けしたけれど失敗した。
この本家筋は花こそ小ぶりになってきたけれど休まず咲続けている、
ツノハシバミ(ヘーゼルナッツ)の小枝に鮮やかな山繭を見つけた。
何故かつぶれている、烏にかまれたのかもしれない。
山繭とツノハシバミの雄花
山繭を持つかえってじっくり観察した。
これは安曇野特産 天蚕の野生種らしい。
常念坊雪形の薄墨が、朝の光の中に、かすかに現れてきた。
今年桜の開花は史上最速を更新するらしい。
日脚が伸びた空を、夕暮れが移動してゆく
全てが名残惜しいくらい、昨日あっけなく冬が去っていった
冬の境界線はどこに引いてあったか?
常念坊の雪形も黄昏に吸い込まれた
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3キロほど離れた田園の中に、5世紀ごろに作られたと伝えられている針塚古墳がある。
春の陽気に誘われて、水仙の匂う田んぼ道を、1時間もかけてゆっくり目指した。
針塚古墳は、土を盛り上げた墓墳に河原石を敷き詰めた質素なつくりだ。
5世紀といえば、今からおよそ千数百年前のことである。
衣服を変えたら、私たちと見分けがつかない人達が、多分同じことを考えて生活していたのだろう。
古墳に登ってみた、たった数メートルの高さだけれど眺望が大きく開らけた。
見える景色は往時も同じだろう、千数百年を経て変わったものは表面の薄っぺらなものに過ぎない、中身は何も変わっていないようだ。。
古墳頂部と美ヶ原王ケ鼻
フキノトウ
頂部に復元されている古墳内部模型
近くにある薄の宮神社
村内に霞山荘という皇族ゆかりの鉱泉宿があり,過日その跡地を尋ねた。
ロープを張られた広い更地の脇に、むかしを忍ぶ碑文がいくつか立っていた。
それらはかって鉱泉宿を所有していた企業が自社工場内に保存していたが、企業整理に伴い元の場所に寄贈移転した。
昭和22年の行幸については少し記憶がある。
学校の前を通る県道に生徒が並び、天皇を乗せた車列に向かって日の丸の小旗を振った。
「天皇陛下万歳」といったかどうか覚えていない。天皇の顔が見えたかどうかもである。
凍土が解けて小さな流れが復活した。
水が温んで相性が良い水芭蕉やワサビが活動を始めた。
水芭蕉 ワサビ 雪の下等
春は待つのが楽しい季節だから、今が一番。
龍雲山廣澤寺は信濃国守護小笠原氏の菩提寺である。
正面に雪の常念岳が形よく収まっている。
初めての参拝であった
人の絆が生まれた遍路でもあった。
ひっそりと咲くアズマイチゲ