常念が見える部屋から

ここから北アルプス常念岳が眺望できます。
季節の移ろいに写真を添えて発信します。

資料探しが進まない理由

2008年08月31日 | 季節の便り
サギ草 雨に洗われた朝に似合う


資料探しが手間取る理由
どこで紛れ込んだのか30年も昔の娘の作文が出てきた。
『イソップ童話集の中で一番心に残った話は、ウマとロバの話しでした。
たび人といっしょにたびをしていた、ウマとロバの話しです。
「その日は、かんかんでりでした」というところを読んだらウマもロバもさぞ、くたびれただろうと思いました。
どんどん読んでいったら、一つの所に目すいついたようになりました、そこにはこんなことが書いてあったからです。
あまりのかんかんでりでロバがウマに「わたしの荷物を一つでもいいから持ってください」といいました。
わたしは、「なまけているんだな」と思いました。
ところがそうではなかったのです。
まだロバがいったことがあったのです。
「わたしは気持がわるいんです、少しでも楽になればまた元気がでると思います」といったのです。
ところがウマは「どっちだって重いのはあたりまえだよ」といってもってあげませんでした。
つめたいうウマだとおもいました。
少ししたら、またロバが「ウマさん一つでいいから荷物を持って下さい」というとウマは、「きみもわからずやだね、重いのはあたりまでだといったばかりだよ」といい返したのです。
ロバは二、三分がまんしましたが、ばったりたおれて死んでしまいました。
ろばが死んだら、たび人は、ロバのしょっていた荷物をみんなウマのせなかにのせました。
ロバの荷物をもってやらなかったばかりにウマは、もっと重い荷物を持つことになりました。
人に親切にしないと自分がいつかこまることになるということがよくわかりました。
親切は、いいことだと思いました。』
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来し方の記

2008年08月30日 | 季節の便り
念仏百万遍供養碑

来年創業90周年を迎えるに当たり、簡単な社史を編纂することになった。
年表を作り、その枝葉に関わる資料集めから始めることになり、自分が持っている資料の整理から始めた。
これが難事業である、理由は簡潔明瞭、道草が多くてまるで昔の小学生の通学みたいだ、いつ家に帰りつけるか判らない。
終日夏の名残の雨が降って、古い資料の虫になるには打って付の日和である。

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旅立ち

2008年08月29日 | 季節の便り
ツバメ

ツバメが越冬地に渡る準備を始めるらしい、親燕に引率された一家が電線に止まって賑やかだ。
まだ親から口移しで餌を貰っている子もいる、大丈夫かな。
曖昧な記憶だけれど確か教科書に載っていた。
ある年、北ヨーロッパに、例年にない早い秋が訪れて、渡り遅れた燕が多数寒さで地上に落ちたことがあった。
その時 心優しい土地の人たちは、落ちた燕を保護し、列車に乗せてアルプスをこえ、暖かい南の国に無事送り届けたという。
今日は亡き友の旅立ちの日である。
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ステントグラフト

2008年08月28日 | 季節の便り
百日紅

同級生である友人が解離性動脈瘤破裂で過日急死した。
それがどういうことか、多少なりとも理解していないと、医療機器ディラーの仕事は成り立たない。
大動脈血管は、内膜、中膜、外膜という互いに密着した三層で構成され、その強靭さを保っている。
何らかの理由で、膜間の結合が緩み、膜間に血液が流れ込む状態が動脈乖離である。
更に乖離が進行し、高い圧力の動脈血が薄い外膜を風船のようにふくらませて、瘤を形成する、これが解離性動脈瘤である。
瘤は常に破裂の危険性をはらんでいる。
 その治療法は薬物療法の他に,乖離した部分の血管を、人工血管に置換する手術があるが、心臓の鼓動を一時停止させて行う大手術である。
 最近解離性動脈瘤の治療にステントグラフト挿入術が広まってきた。
それは小さく折りたたんだ、底のない小田原提灯状のステントグラフトを、腿の付け根の動脈から、特殊な器具で動脈瘤のある場所に誘導し、そこで膨らませる。
 血管の内面から、瘤に流れ込む血流を遮断出来るのだから、効果の高い療法であると言われている。
この人工血管や、ステントグラフトは当社の守備範囲である。

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訃報

2008年08月27日 | 季節の便り
仙人草


竹馬の友が昨日解離性動脈瘤破裂で何も言わずに他界した。
数日前 互いの健康を確認しあった矢先の出来事である。
人が必ず死ぬことは充分承知しているつもりだけれど、突然の死を承服するためには時間が必要である。
同じ谷間の村落に、私より2週間早く生をうけ、爾来同じ学校で学び遊んだ。
無常の思いは尽きない。
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ものわすれ

2008年08月26日 | 季節の便り
みょうが


忘れることが多くなって、メモに残すことを励行しているけれで、10分後程度の約束は自分の記憶を信じてメモしない。
ところが最近それが危なくなってきた。
不要なデータを削除し、脳のメモリ領域を広げるために、物を忘れる妙薬と言われるミョウガをせっせと食べている。
功罪拮抗しているらしく、現時点では変化を感じない。
新鮮なミョウガを細かに刻んで、鰹節と醤油で食べる、いくら食べても飽きない。



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矢絣薄(ヤガスリススキ)

2008年08月25日 | 季節の便り

近所にある薄は、葉に矢羽の模様が浮き出して何やら因縁めいた古戦場の趣である。
カスリという布のことはよくわからないけれど、子供のころカスリという言葉はよく聞いた。
紺色の丈夫な綿布で、指で引っ掻いたような白い模様があったように思う。
母の野良着を思い出す。
今は絣の衣類を家の内外では見かけることは無くなった。
ネットで掲載写真のススキが「鷹の羽薄」という栽培種であることを知った。



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足るを知る

2008年08月24日 | 季節の便り
ネナシカズラ

根無草は、軽薄に風に任せて漂うように思うけれど、寄生宿主にがっちりとしがみつき、水と栄養を貰っているという。
従って根無草は、寄生宿主が枯れると自らも終わることになる。
だから宿主の光合成を妨げるような葉を持たないのだろうと思う、その上もしかしたら、宿主に何か、人間の知らない恵みを施しているのかもしれない。
「足るを知って共存する」人間の思考をはるかに超えた悠久の時を経て、根無草が到達した生き方なのだろう。
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アボカドの木陰で

2008年08月23日 | 季節の便り
アボカド

真夏の西日を避けるために、玄関にヨシズを張るのは、私の数少ない仕事の一つである。
その仕事が厭なわけではないが、わたしはヨシズで囲まれる事を好まない。
八ヶ岳の麓に広がる原村の正木さんから、緑のミニチァのような、アボガドの鉢植えを頂いて、幼木はもう3歳になった。
冬の屋内ではそれほど目立った成長は見えないが、夏の屋外では解き放されたように枝を張って気持良く繁った。
この妙案に気付くのに、それほど時間はかからなかった。
枝がひさしに届くほど伸びて、玄関は涼しい木陰に変わり、きらいな環境からも開放されて、今 気持はルンルンである。
   冬越しを考えなければ!!


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私の母校

2008年08月22日 | 季節の便り
秋色

秋の気配が一段と濃くなった
入山辺村立中学校は50年ほど前に統合されて消えた、しばらくして入山辺小学校も他校と統合された。
高校(松本工業高等学校定時制課程(夜間課程))は既に閉課程が決定し、平成22年3月在校生の卒業を待って母校がまた消えてゆく。
定時制課程4年間の通学をまっとうできたことは、それから後に遭遇する様々な場面において、精神的支えになったことは紛れもない事実である。
過日「閉課程を迎えるにあたり、伝統ある定時制の歴史を後世に伝えるための記念事業を行いたく、関係者の皆様にご協力をお願い申し上げる次第でございます」との文書が届いた。勿論協力するつもりでいる。



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