快晴 日の出前新雪が淡い紅色に染まる
県歌信濃の国で「木曽の谷には真木茂り」と歌われる木曽の五木は「ヒノキ、サワラ、コウヤマキ、アスナロ、ネズコ」を指す。
近々建立する松工定時制閉過程記念碑の脇に、卒業生有志から高野槇を植樹していただけることになった。
長くしなやかな葉を茂らせる姿のよい針葉樹である。
五木の中のサワラは桶を作るのに最適の材で、我が家の空き地に見上げるほどの大木があった。生活必需品である桶を作るために、100年の歳月をかけて、先祖代々育てたものである。
その材は柔らかく加工しやすいうえに、水に強い性質を持ち漬物桶は大切に扱えば数十年はおろか数百年も持つという。
四角な小箱ですら満足にできない者にとって、板片を円形に組み、底をつけて水を漏らさない桶を作ることなど神技としか思えない。
昔々はそういう神様がどの集落にも一人はいたものだ。
県歌信濃の国で「木曽の谷には真木茂り」と歌われる木曽の五木は「ヒノキ、サワラ、コウヤマキ、アスナロ、ネズコ」を指す。
近々建立する松工定時制閉過程記念碑の脇に、卒業生有志から高野槇を植樹していただけることになった。
長くしなやかな葉を茂らせる姿のよい針葉樹である。
五木の中のサワラは桶を作るのに最適の材で、我が家の空き地に見上げるほどの大木があった。生活必需品である桶を作るために、100年の歳月をかけて、先祖代々育てたものである。
その材は柔らかく加工しやすいうえに、水に強い性質を持ち漬物桶は大切に扱えば数十年はおろか数百年も持つという。
四角な小箱ですら満足にできない者にとって、板片を円形に組み、底をつけて水を漏らさない桶を作ることなど神技としか思えない。
昔々はそういう神様がどの集落にも一人はいたものだ。
キンセンカ
昔々 どこの家でも畑から収穫した野沢菜を荷車に山と積んで小川まで運んだ。
小川に沿った岸辺には、大勢の女達が並び、冷たい清流に手を染めながら、楽しそうに話しながら菜を洗っていた。
洗った菜は家に運び、土間に据えられた大きな漬物桶に、家伝の技で漬けこまれ、熟成の時をを待つ。
正月が過ぎて、時間をもてあます冬の間、主婦たちはそれぞれの家を回り、渋茶で野沢菜漬けを食べながら、漬物談議に花を咲かせ、漬物の品定めに始まり、天下国家を論じた。
その結果、漬物の品質は年を追って向上し、信州野沢菜漬けは全国に知られ、その副産物は信州人の理屈好きに至った、という話を何度も聞かされた。
信州茶飲み文化発祥の礎である。
しかし 一旦空気に触れた野沢菜漬けは短時間で酸化変化し、二度と口にしたくない無残な味に変わってしまう。
今は添加物の進歩でそうゆうことはないだろうが、本来の野沢菜漬けは一期一会が基本である。
昔々 どこの家でも畑から収穫した野沢菜を荷車に山と積んで小川まで運んだ。
小川に沿った岸辺には、大勢の女達が並び、冷たい清流に手を染めながら、楽しそうに話しながら菜を洗っていた。
洗った菜は家に運び、土間に据えられた大きな漬物桶に、家伝の技で漬けこまれ、熟成の時をを待つ。
正月が過ぎて、時間をもてあます冬の間、主婦たちはそれぞれの家を回り、渋茶で野沢菜漬けを食べながら、漬物談議に花を咲かせ、漬物の品定めに始まり、天下国家を論じた。
その結果、漬物の品質は年を追って向上し、信州野沢菜漬けは全国に知られ、その副産物は信州人の理屈好きに至った、という話を何度も聞かされた。
信州茶飲み文化発祥の礎である。
しかし 一旦空気に触れた野沢菜漬けは短時間で酸化変化し、二度と口にしたくない無残な味に変わってしまう。
今は添加物の進歩でそうゆうことはないだろうが、本来の野沢菜漬けは一期一会が基本である。