孔雀サボテン 花色の晴々しいこと
ワイズメンズクラブの役職が今日で終わる、会計担当と1年間の収支を締めて決算書をまとめた。
午後から甲府市に出向き監査役の監査を受ける。
それで名実ともに放免される。
孔雀サボテン 花色の晴々しいこと
ワイズメンズクラブの役職が今日で終わる、会計担当と1年間の収支を締めて決算書をまとめた。
午後から甲府市に出向き監査役の監査を受ける。
それで名実ともに放免される。
民間万能薬 どくだみ どくだみにお世話になる事もなくなった。
つい最近まで、原発等から核分裂により発生する放射性物質や放射線は、人が自由にコントロールできるもと安心していた。
仮に電源が遮断されても、発電所としての機能が停止するだけで、核燃料がフェニックスのように炉内で生き返るとは思わなかった。
多くの人は原発建屋が水素爆発で吹っ飛ぶ情景も見ても、その重大性に微塵も気付かなかった。
広島平和文化センター理事長のスティーブン・リーパー氏の講演会が松本で開催される。
地球温暖化を危惧する国や団体・人は多い、しかしもっと悲惨で直接的な脅威である原発や核兵器に対して、何故こんなに寛大になれるのだろう。
私は原発の再稼働に反対しない、しかし それは原発全廃に向けた一里塚でなければならないと思っている。
リーパー氏が提唱する核廃絶の道筋を示す国際協定「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に共感する。
初夏に向かうヤマボウシ
鳳が飛び立った後のように静寂が戻った。
何も変わっていないように思う反面、もう以前には戻れない思うと倦怠感がつのってくる。
私に 故人家族の心の痛みが解るだろうか (柱とも頼む跡取りを突然奪われた姉夫婦
故人を頼りに山里に移り住んできた娘夫婦) 多分私には解らないだろう
しかし 住む場所は離れてはいるが、一隣人となって支えたいと思う。
講演する五代目佐助 平川康弘氏
鋏を医療機器では剪刀(せんとう)と呼ぶ。
医療用途に限ると、用途、形状、サイズ別に、数千種類の剪刀が存在すると思う。
医療機器業界に身を置く者として、鋏鍛冶の講演を拝聴できることが、堺市に来た目的の一つであった。
刃物の切れ味、使い勝手、耐久性等を極め、超越しさらなる奥義を探究する求道者を思った。
昨日朝 甥の訃報が届いた。
川岸で喫煙していて川に転落したという。
家族によれば夕食後、家の前の川岸で吸う一服が至福の時であった。
一昨夜も川岸の縁石に腰をおろして喫煙する彼の姿を目撃した人がいる。
縁石を支える石垣は河原からほぼ垂直に積み上げられ、2メートル程の高さがあった。
何らかの理由で後向きに落下して、頭を強打し意識不明のままこと切れたらしい。
朝になって家族が不在に気付き、流れの中に冷たくうつぶせに倒れている姿で発見された。
58歳 余りにも早い別れである。
大阪 堺市へ
正面に掲げられた高札
緑の濠に囲まれて鬱蒼と茂る御陵
堺市に提携クラブの慶事があって何人かでお祝いに駆つけた。
宿泊ホテルのの近くに仁徳天皇の前方後円墳があると聞き、早起きして出かけた。
御陵(みささぎ)をぐるりと回る約3時間の行程であった。
ホテルに帰ってから地元の方に聞いた話。
歴史学者にとって天皇のご稜は興味の尽きないところである。
頻繁に盗掘に晒された古墳と違い、天皇家のご稜は保存状況が特段に違う。
ある高名な大学教授は、誘惑に抗しきれず、有る夜 下帯姿で緑の濠を渡り聖域に忍びこんだ。
広大な前方後円墳の、しかるべきポイントを歩幅則で探り当て、発掘(盗掘)した。
しかし 当たり前のことだけれど、その成果は公表されなかった。
ひところ極端に少なくなったホタルブクロがほうぼうで見たれるようになった。
減少した理由は乱獲によるものと云う人がいる、それでは増えてきたのはなぜだろう。
ホタルブクロというハイカラな名前を知らず、アメフリバナで通った。
手折ると雨が降るという。
今日は大雨の予想が外れて梅雨は中休み。
台風が過ぎた朝 遠くの景色が近く見えた。
手前の鍋底状の山を鍋冠と呼ぶ、左手には薄雲をまとった常念がぼんやり見える。
朝方 鍋冠の向う側の谷間に淡い虹が出た。
虹は台風が置き忘れた薄い雲に架かって、風と共にオーロラのように動くようでもあった。
七色の光は虹に違いないのだが、忙しく濃淡が変わって、やがて灰色雲に同化した。
朝の虹は気持ちが高揚する、良いことがあったわけではないが、悪いこともなかった、だから朝の虹は吉兆である。
小さい風車
韋駄天台風が一気に駆け抜けた。
雨も風も、それと気づかないうちに過ぎ去って、平穏に夜が明けた。
窓を開けて、沙羅の葉越しに望遠レンズでヤマボウシの白い花を狙った。
花は台風の風と雨に掃き清められ、いつになく清々しい。
昨夜 大待宵草が咲いた
バスのドライバーさんが「走行距離1,340キロです」といい、「法律が改正されるのでこれからは一人では走れません」と付け加えた。
7時間を走るバス旅行は、ただ乗っているだけなのに体の芯に疲れが澱のように蓄積する。
被災地の重い現実も重なったその澱は、日常生活の中で旅の余韻と共に少しづつ溶け出して消えてゆくのだろう。
35年前に訪れた、高台の城址や松島に、当時の思い出のカケラも見つけられなかったように。