常念が見える部屋から

ここから北アルプス常念岳が眺望できます。
季節の移ろいに写真を添えて発信します。

秋の夜長 オーディオを創る

2009年09月30日 | 季節の便り
アンプキット

パソコンからもっと良い音が出たら、という思いと、母校松工定時制の製作実習がマッチして、オーディオ製作を始めた。
最初に手掛けたスピーカーボックスは、苦難の末なんとか完成を見た。
使用したスピーカーが特別な性能を持っていることを、今日は初めて教わった。
このスピーカーは、前面から透明感のある高音を出し、後面から伸びのある低音が出る設計になっている。
作成したスピーカーボックスは背面に放出される低音を、ボックスの前面にうまく誘導する仕組になっている。
今日からいよいよ電装品の製作に取り掛かることになった。
パソコンから音を取り出す部分、その音を増幅するアンプ、アンプに電力を供給する電源の三部作である。
最初に一番難しいといわれるアンプの製作から手をつけることにして まずキットを購入した。


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現在の小学生6名

2009年09月29日 | 季節の便り
子宝弁慶草


町会の戸数は70戸であり、町会としての規模は標準より少し大きい。
町会には氏神様があって、公民館があって、きちんとした組織の下に健全に運営されている。
現在の小学生は合わせて6名である。
町内の道を歩いても通学時以外小学生に出会うことは滅多にない。
町内に同学年の子供が10人いたことなど、もう伝説に近い。
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秋の匂い

2009年09月28日 | 季節の便り
みずひき


金木犀が匂って来ると疲れた足取りが軽くなる。
香りは不思議な力を持っているといつも思う。
今年の気候は多少の不順はあったとしても、それは穏やかな日々であった。
秋の長雨が続くと増水した川が茶色の帯になった荒れた。
石のぶつかり合う堅い音が腹に響いて、えぐられた山から流れに落ちた生木が葉を揺らせながら流れて行った。
その時あたり一面に洪水の生臭い匂いが漂っていた。
川が荒れなくなって久しい、子供のころは少しの雨量で川は荒れた。



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山の辺の道

2009年09月27日 | 季節の便り
なつはぜ


昭和のころまで、山畑に通じていた細い阪道を歩いた。
小さな流れの沢筋に添って、急な坂道が続き、突然道が消えた。
人に踏まれて黒光りしていた粘土質の道は、草や落ち葉に覆われ、山の傾斜に取り込まれてしまっていた。
昔の感を頼りにひたすら登った、かって手入れが行き届いていた桑畑は、植林され山林に還り木々が鬱蒼と茂っている。
人手が行き渡らない放置林は、過密からおびただしい風倒木が発生し通交を遮断し、畑、道、流れが混然として原始の様相である。
藪を漕ぎながら急斜面を喘ぎながら登りつめ尾根に立った。
尾根はかっての村境であり、現在林道が開通している。
林道の趣は時代劇に見る峠道である。
紅葉のころ機会があればゆっくり歩きたいと思った。
ナツハゼの紅葉が始まった。

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旧山古志村視察見学

2009年09月26日 | 季節の便り
越後角突き牛のスター


流されて草叢に残された家屋
山の崩落で出現したダムは、水が引き現在は草原になっている。


新潟県中越大震災旧山古志村視察見学
町会福祉防災事業の一環として旧山古志村を訪問した。
一時壊滅的と伝えられた災害の傷跡も、今は美しく癒えて、行き交う人々の表情も明るかった。
特産錦鯉の生産は順調だけれど、「不況のため販路が思うように拡大できない」と世間並みなことが言えるようになったと云って笑った。
闘牛と呼ばれる牛の角突きは観光の目玉となって以前に増して隆盛を誇り、牛舎には50頭の猛牛が悠然と反芻していた。
説明を聞く中で、災害がある限界を超えてしまえば、自主防災組織など無意味に思えることもあった。

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オート三輪

2009年09月25日 | 季節の便り
飛騨高山のオート三輪




飛騨高山で働くオート三輪を見た。
通り過ぎた街角で聞きなれないエンジン音に振り返えるとマツダ車が止まった。
所々に傷が見えるもののきちんと整備された力強いフォルムは昔の憧れのままである。
ドアが開いて颯爽と小父さんが降り立った。

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飛騨高山

2009年09月24日 | 旅先の風景
賑わい


福地温泉のシオン




安房トンネルを抜けて飛騨高山までおよそ2時間で走れる。
高山は明治初期、松本を県都とする筑摩県に属した。
高山の古い街並みを散策し、夜は福地温泉で露天風呂に浸り炉ばた料理を堪能した。
今年7月に任期が終わった団体役員の慰労を兼ねた家族旅行である。
高山を訪れている観光客の多さに驚かされた、老若男女、外国人の姿も多い。
この街が醸し出している、人を引き付ける力とは一体なんだろう、
奥飛騨温泉郷 福地温泉の「日本の秘湯を守る宿」は松本から見える北アルプスの向こう側岐阜県にある。
だから今朝は北アルプスから日が昇った。

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街の灯

2009年09月23日 | 常念100景


常念の山並みに日が落ちて、空の茜雲が少しずつ色あせる頃、街の灯りが瞬き始める。
ずっと昔、ここから市街地まで約1里(4k)の行程は大人も子供ももっぱら足に頼って歩いた。
たった1時間の隔てなのだけれど「まち」別世界の趣があって、「まちに行く」は子供心に特別な意味を持って響いた。
そこは異国であり、憧れがあふれ、人さらいの恐怖も混じり合っていた。

農業組合から繭の代金が入って農家の懐が少しだけ暖かくなり、秋の農繁期にはしばらく間があいたこの時期、楽しみは「シントまつり」(神道祭)である。
祭りに合わせ家族が揃って街に繰り出した。年に一度だけのささやかな遊山である。
街じゅうが人であふれ、広場のサーカス小屋から、うら淋しい悲しい曲が流れると、短い秋の日は容赦なく暮れて行く。
楽しみの後で、家路に向かう黄昏の道程は長かった。
振り返ると、遠ざかる街に狐火のような灯がちらほら。


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里の秋

2009年09月22日 | 季節の便り
里芋 近頃にない出来栄えである


里に秋が来て、澄んだ月夜に影踏み遊びをした。
広場に4,5人の子供が集まって互いの影を踏み合う、歓声を上げて逃げたり追いかたり忙しく駆け回る。
踏まれるのは影である「アキちゃんの影踏んだ」踏まれた影はさっと逃げて相手の影を追いかける。
立ち止まることは許されない、絶えず動きまわって、息を切らせて、物陰に避難する、月の光が遮られてここは安全地帯である。
風に乗って里芋の煮える匂いがする。
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視力

2009年09月21日 | 季節の便り
ムラサキ式部

読書の秋である。
久しぶりに視力検査をして右目の視力低下に驚いた。
日常不便を感じなかったのは、左目が補って助けていたらしい。
先生は年相応の進み方で、今更特段心配はいらないと云い、視力が更に低下したら手術すればよいからと軽く云った。
今更という言葉に引っかかったが、先生の口癖で特段意味はないらしい。
夜寝るのが早いから、朝4時過ぎに目が覚める。
この時間 東の空に明けの明星金星が、それこそ茶碗の程の大きさに輝いて、間近い夜明けを告げている。
金星の右側にほとんどくっ付く程近くに、今朝 針のメドの半分ほどの小さな青い星を見つけた。
私の視力もまだ捨てたものではないと一人合点した。

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