常念が見える部屋から

ここから北アルプス常念岳が眺望できます。
季節の移ろいに写真を添えて発信します。

キモッタメシ(肝試し)

2015年08月14日 | 来し方

盂蘭盆の廻り灯篭が。外のガラス戸に写って、怪談じみた趣である。

昔のこども会は理不尽なほど階級制が厳格で、下っ端はいつもびくびくしていた。

その最たるものは夜間の肝試し(キモッタメシ)である。

行き先は、ヒトダマが飛び交う墓場や、巨人のような古木の陰に悪霊が潜む神社であり、漆黒の中に尾花の白い穂が誘う山沿いの小道である。

集会所に集まった子供がかたずをのんで正座している、電燈を消してろうそくに灯がともされ上級生によって怪談が語られる。

それだけで泣き出す子もいた。

恐ろしい語りが終わり、大将が行き先の発表をする、墓場の入口から五番目の石塔の前に木札が置いてあるから1枚持ってくること。

「近頃 土葬の棺桶が朽ちていて、そこから死人の手が伸びてきて足を捕まえ墓穴に引き込まれる、だから捕まらないように気を付けて行け」

あのころの夜は暗かった、星明りだけが頼りだ。自分の足音におびえながらなんとか目的地にたどり着く。

突然足首をつかまれた、悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。

提灯に灯りがともって「馬鹿野郎 俺だ」

 

実物

鬼火

 

 

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祭り灯篭」

2015年04月28日 | 来し方

村の鎮守の宵祭り

人っ子一人いない境内、祭り「灯篭だけが明るい。

かって宵祭りはこの境内が人で埋め尽くされて、夜店が並び、アセチレン灯のに臭いがただよっていた。

にわかつくりの舞台では地区スターのお披露目が続き、この舞台から東京に巣立った人もいた。

あの時の人たちはどこ行った?

五連灯篭

拝殿前につるされた祭り灯篭 電燈はLED

 

明日は本祭り 神主と役職だけのお祭り

指折り数えた村祭り 今は昔

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次の時代に残すために

2014年01月29日 | 来し方

 少し落ち着いた感じの針木岳

町会歴史研究会の末席に加えてもらっている。

時間が昔より早い速度で過ぎ去って行く、その時代に存在した者がその時々の事柄を書き留めておくことが必要ではないかということになった。

町会でも大正・昭和を知る人が急速に減って、その人が生きた時代の歴史がある日忽然と消えて行く。

ことは急がなければならない、まず町内の様々な分野の消えた歴史を掘り起こし小冊子にまとめることになった。

その1・紙漉きについて

山沿いの道を歩くと、山裾に広がる荒畑の土手斜面に、楮(こうぞ)や梶(かじ)の落葉低木を見ることがある。

これらの潅木はかつて自家用和紙の原料として栽培されていたものが野生化したと思われる。

昭和初期まで集落には副業として紙を漉く家があり、刈り取った楮を和紙に加工してもらうことができた。

ここでは〇〇さんの先代が、土間に紙漉機を据えて、農家から集まった楮を原料に、質の良い障子紙を漉いていた。

 

幾多の工程を経て作られる障子紙は厚く強靭で、その優れた断熱性は、障子一枚で冬の外気を遮断できた。

その時代を生きた人達の自給力は旺盛で、衣食住や光熱の多くを自給で賄っていた。

 

 

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鉛筆削り

2013年08月03日 | 来し方

 おびただしい量の筆記用具

 

退任のとき、引き出しの私物をごっそり段ボール箱に突っ込んで持ち帰った。

少し時の余裕が出たので整理を始めた、焼却場に直行させてもいいようなものばかりだけれど整理してみた。

驚いたのはボールペンなどの筆記用具の多量さである、ほとんどが販促品とか、催事の記念品などのおまけ品で 、引き出しの奥に眠っていた。捨てるには忍びなかったのかもしれない。

ほとんどインクが乾いて使えない。それでも中にはもらった時の情景を思い出す物が何本かあって、そんな巻き戻した時間にしばし浸たることができた

鉛筆も20本ほどあったのでこれはカッターナイフで削りなおし、芯をとがらせた。

 なんという不器用さであろう、鉛筆削りの下手さは昔とちっとも変っていない。

 

 

 

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水神様

2013年07月04日 | 来し方

今年生まれたアマガエル 

 山の行き帰りにはいつも途中にある水神様の清水で喉を潤した。

泉は先のとがった石の隙間から湧き出して、青苔の生えた木樋を伝わって1メートルほどの高さから落下する。

蕗の葉っぱを器用に丸めて椀替わりに使う、水が喉を通る時ほのかなフキの移り香がした。

その頃 山は、春の山菜採り、盆の飾り花、キノコや山の果物を探した秋等々、遊びのフィールドだった。

昨日 本当に久しぶりに水神様を訪ねた。

畑は森林に変わり、間伐された材木が放置されている。

地表に緑の色彩はなく、荒涼たる風景が続いていた。

シンボルの三角石は倒れて、泉は間伐の丸太で覆い隠されて昔日の面影はない。

これは見過ごすわけにはゆかないと、丸太を取り除くと 泉の痕跡があらわれた。

倒れた三角石は素手ではどうしようもない、近々泉の復活作業を行いたいと思っている。

何しろ時間はたっぷりある。

 

 

 

 

 

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テスター(回路試験機)

2013年05月04日 | 来し方

 

部屋を占拠していた鉢植えの一部を外に出した。

低温が続いてちょっと早いとも思ったけれど、部屋の方付けもしなくてはならないので決断した。

ただし異常低温時にはそれなりの防寒対策を行うこととする。

退職を機に会社から持ち帰った私物を整理しないと足の踏み場がないほどである。

ほとんどが廃棄物なのだが、分別しないと回収してくれない、その分別に手間どった。

古い写真があったり、ノートあり、フロッピーディスクがあって、目をつむって廃棄分類箱に投げ込めばいいものをつい開いてみたくなる。

それはともかく、懐かしい計測器が出たきた。

会社で医療機器のサービスをしていた頃愛用したテスター(回路試験機)である。

電気器具の故障個所を発見するために欠かせない計測器で、目に見えない電気が見えるようになる万能計測器である。

 

 

 

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バリカンの思い出

2013年04月10日 | 来し方

 みのりトンボ印バリカン(ヘヤークリッパー)

合間を見ながら、少しずつ身の回りのかた付けをやっている。

もうとっくに無くなっていると思った物が出てくると、ついそちらに気を取られてしまう。

今日のバリカンもその類である。

まして 再会の喜びの余り分解など始めたらきりがない。

まあいいか 時間はあまるほどある。

散髪は親父がやってくれた。

腕はよかったのだろう、友達のような虎刈りにされたことは一度もなかった。

しかし決して愉快な時間ではなかった、とのかく痛かったことを覚えている。

散髪の間ずっとバリカンを力いっぱい頭に押し付けられた、その痛さを虎刈りで友達に笑われる恥ずかしさに比較して涙をこらえて耐えた。

もう一つの原因は刃が切れなくなって、髪の毛を引っ張らた時である、1本の毛が抜かれても痛いのに、数本が一時に引き抜かれる痛さは想像を絶する。

親父は道具にこだわって、職人が使うバリカンを専門店で調達しとても大切に扱っていた。

分解してみた、医療機器と同じで、1丁々職人の手作りであることは間違いないと思う。

手に握って動かしてみた、思ったより力がいる、握った時と同様、離した時も切るために固めのスプリングが必要だったのだろう。

これでは頭がひりひりするほど押しつけられても仕方がない。」

 

 

 

 

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来し方の記

2013年03月11日 | 来し方

福寿草 

私の初出勤は昭和32年(1957)の3月11日で、今日と同じ月曜日であった。

不思議な巡り合わせである。

昨日までの馬鹿陽気が一転し、霜柱が立ち ようやく咲いた福寿草は霜に打ちひしがれた。

3月11日の常念  御殿場の孤高の富士山も素晴らしかった

3月末の退職に当たり、社内誌への寄稿依頼により提出したものを要約する。

その1

『振り返ると、入社以来既に56年が過ぎていました。

昭和32年(1957)3月、松本工業高等学校定時制電気科を卒業し、有限会社中島尚誠堂医療器械店へ技術職として採用されました。

社長以下13人が家族のように寄り添う会社で、営業職以外の入社は私が初めてと聞きました。

時代は高度医療機器の黎明期で、心電計をはじめガストロカメラ(内視鏡)がようやく一般に使われる様になった頃です。

会社はアフターサービスをテコに新時代に相応しい医療機器の販売を目指したものと思います。

修理対象機器は診断、治療、研究、測定と多岐にわたりました。

宇宙開発から派生した新テクノロジーはいち早く医療機器に採用され、工業高校出の若僧にとって、とても新鮮で魅力的な職場でした。

各メーカーの研修会に参加し、試行錯誤を繰り返しながら、年を経て、なんとかユーザーやメーカーそして同僚の信頼に応えることができるようになりなました。

重い工具鞄を担ぎ、バスや汽車に揺られて県内のみならず、遠く上越まで出張した事を思い出します。』

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重機の威力 家屋解体工事

2012年12月18日 | 来し方

 家屋解体始まる

建屋に加えられた最初の一撃で、轟音とともに屋根が崩れ落ち、二階の床が抜けた。

何とたわい無いものか、まるで積み木崩しだ。

家を建てた人、棲んでいた人は皆な死んでしまった、見ていたら泣くだろう

住居の柱1本、床板1枚にも、住人の積年の常念が移りついているという。

幽霊の話は本当だったかもしれない、作業員に対して静かに工事を進めて欲しいという挨拶だったのだろうか

この屋の住人達との関わりを懐古していると目頭が熱くなった。

そんな感傷にかまわず、解体は小気味よく進む、現場は見る間に瓦礫の山である。

 

 

 

 

 

 

 

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街の灯

2012年11月10日 | 来し方

街まで約1里(4K)、歩いて1時間かかる。

子供の頃、街は異郷だった、秋祭りに合わせて広場にサーカスのテントが建った。

丸天井から下がった大ブランコに乗るのは、人さらいにさらわれた子供たちである。

見せる笑顔の裏で泣いている可哀そうな人なのである。

失敗したら、先の舞台で猛獣を打った大きな鞭でぶたれる。

無事に終わるのを見届けて肩の力を抜くとため息がでた。

テントの外は薄寒い、短い秋の日を背中に受けて家路を急いだ、長い影法師と道連れて

振り返ると街の灯がチロチロと瞬き始めた。

 

 

 

 

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