嵐の前 少しずつ空が暗くなる コスモスはアンテナを全開する
四方を山に囲また地形が幸いして松本は災害の少ない土地柄である。
しかし 今度の17号に対しては強い危機感を感じている。
特に収穫期を間近に控えた林檎農家は神に祈る思いだろう。
台風の最接近は真夜中と予想される、風害と水害が懸念されるので、懐中電灯、雨具、スコップ等を用意した。
何事もなければよいのだが。
嵐の前 少しずつ空が暗くなる コスモスはアンテナを全開する
四方を山に囲また地形が幸いして松本は災害の少ない土地柄である。
しかし 今度の17号に対しては強い危機感を感じている。
特に収穫期を間近に控えた林檎農家は神に祈る思いだろう。
台風の最接近は真夜中と予想される、風害と水害が懸念されるので、懐中電灯、雨具、スコップ等を用意した。
何事もなければよいのだが。
金平糖に似た清純な花
別に育てたわけではないが、小さな流れを覆い尽くしてミゾソバの花が咲いた。
圃場整備が行われる以前、夏から秋にかけて、地下水が浸み出す湿地帯を、ミゾソバは見渡す限り緑の草原に変えた。
草の茂みに惑わされて、陸地と湿地帯の境界を越えてしまう事がある、ミゾソバの茂みを簡単に踏み抜いて膝小僧まで泥に吸い込まれてしまう。
大人たちは面白がって底なし沼の恐ろしさをでっち上げる。
どこそこの、だれ誰さんの馬が、湿地にはまり、もがきながら沈んでいった、そして翌朝白い馬の骨だけが湿地に戻ってきた。
子供心に、この底なし沼の恐ろしさは、すべての恐怖の根源になったように思う。
秋冷常念
標高ははっきり判らないけれど、私が暮す地域の最高地三城では昨日の最高気温が10℃だったとそこの住人が云っていた。
信州原村で4℃まで気温が低下したからと、メール通信で体調管理注意報をいただいた。
朝日の照らされて槍ヶ岳は暖かそうに見えるけれど、岩の窪みの雨水は凍っているかもしれない。
街でマスクを付ける人が多くなった。
半数は風邪で残りは花粉症らしい、花の終わる季節に花粉症?と思ったが、これから盛りを迎えるキク科の中には悪者が多い
瞼がかゆいのは花粉のせいかもしれない。年齢と共に感受性が変わるのだろう。
昨夜 農家組長会の会合があり、農水省が進める『人・農地プラン』について進捗報告があった。
このプランは、存続の危機に晒されている農村再生の切り札として打ち出されたものである。
農地を集積拡大し、「中心経営体」なる組織を作り農業を経営させる、必要資金を給付金とか補助金名目で最長5年間に渡って助成する。
しかし 当地のような中山間地では、要件を満たす農地集積が不可能であり、このような立地では農業経営を志す壮年者は不在である。
農業を産業と捉えると同時に、農業が高齢者の健康と生きがいの根源であることに目を転じて欲しい。
きのこ 名前の判らない茸
今年の茸は不作だろうと皆が云う。
茸菌糸が続いた酷暑と日照りに痛めつけられて、瀕死の状況だと、見てきたように云う。
菌糸を見くびってはいけない、ひとたび条件が整えば火の鳥のように再生し席巻するという人もいる。
先日から適度に雨が降り、秋冷が進んで山の条件は整った、山を見回りたいと思うのだが、変形性膝関節症の左膝は大切に扱わなければ後がない。
庭先に吹き寄せられた朽葉の中から茸が顔を出した。
多分毒にも薬にもならない茸だろうが、食べる勇気はない。
昔 このようにゴミから生える茸をまとめて「馬糞茸」と呼んだ。
今の人は馬糞を見る機会がないから「馬糞茸」の意味は判らないだろう。
近所に乗馬を趣味とする人がいる、何人かで厩舎を持ち愛馬を飼育している。
厩舎では毎日愛馬が馬糞を生産する、今どきのことだから馬糞の処理に苦労していると思いきや、園芸用に引く手あまただと乗馬家が云った。
馬糞は清潔感が漂う最高の有機肥料であり、花壇では最上の花を咲かせ、家庭菜園では類を見ない美味な野菜の収穫が期待できるという。
ヘブンリーブルーのお花畑
気温13℃
あまりの寒さに、ヘブンリーブルーの花畑が気になったので見てきた。
お花畑は、通勤路にあり、初夏にポピーが咲いて、夏の終わりにはサンゴ礁のようなヘブンリーブルー一色に変わる。
私は複数の通勤路を気分や天候によって通い分けている。
しばらく見ることがなかったヘブンリーブルーは、ここ両日の急激な寒さに打ちひしがれていたが、その色彩は一層冴えているように感じられた。
風の立つ秋から、過ぎてゆく秋に変わった、週末には仲秋の満月が見られる。
山に辺の路
暖房モードに切り替えて山沿いの路に入った。
東雲の光が薄ののシルエットを浮き出させて、もうすぐ朝日が昇る。
道路に沿って鹿除けのフェンスが続いて、時おりフェンスの外側を通る鹿の群れに出会うことがある。
今朝もそんな幸運を期待したが実らなかった。
冷房モードから暖房モードまで三日。三日の間の気象変化に茫然
長野県東筑摩郡錦部村刈谷原は、かって善光寺街道の宿場町であった。
私が子供のころ、岡田の宿から刈谷原峠を越えると、なだらかな下り坂の両側に宿場格子の古い家並が静かに息づいていた。
母の姉がその町の山持ちの家に嫁いでいて、季節になると持山で採れた松茸が、我が家にも沢山届いた。
今では30分も車を走らせれば着く距離なのだが、昭和初期、歩く以外の方法はかった。
大きなリュックを背に、刈谷原の伯父さんはいつも大声で突然やってきたように思う。
足に脚絆を巻いて、30キロを超える道のりを峠を越えて歩いて来たのだ。
現在歩く行事や目的がなければ、日常の移動に足を使うことは殆どないのだが、当時は足だけが頼りだった。
伯父がリュックを開けると松茸の香りが家中に満ち満ちた。
伯父は翌朝「来年は松茸を採りにこいや」と云って帰って行った、しかし今日までそれは実現していない。
時を経て代が変わり、従兄弟たちとの交流も既になく、あの人たちの生死さえも探る術を知らない。
種から咲いたダリア
ダリアは霜が来る前に球根を掘りとって、暖かい場所に保管して越冬しなくてはならない。
昔は家の中に球根が越冬できる暖かい場所はなかったので、野菜と一緒に地下に掘った室(むろ)に入れた。
寒さに弱いダリアの球根を、みかん箱に詰めた籾殻の中央に収めて特別扱いした。
それでも殆どの球根、わけても八重咲大輪はほぼ全滅した。
そんなことも原因だったのだろう、ダリア栽培はすたれてしまい、庭先の花壇で豪華な色彩を見ることは無くなった。
春 家内がダリアの種をまいたという「球根だろ」というと、種子の入っていた袋を見せてくれた。
その実生のダリアが、色とりどりに今を盛りと咲いている、しかし球根から育てた八重咲大輪はなく、全て一重咲きである。
一重咲きの風情が、すっかり淡くなった秋の陽に本当によく似合っている。
貴船菊
昼まで雨が降り続いて、衣類を2枚重ね着するほど急激な温度低下があった。
高山は雪かもしてないと思いながら、急いでやり残した夏の雑事を片付け始めたのは良いけれど、それは一夏や二夏の残量ではなかった。
その上に「これって本当に片付けなければいいけない事?」といつものパターンが回り始める。
このものぐさが健康の秘訣かもしれない。
残暑の日々に待ち焦がれていた貴船菊がひっそりと咲いた
住む人がいなくなった家はどうなるだろう。
ほっておけば自然に朽ち果てるのだろうが、放っておけない諸般の事情がある。
住んでいればこそ家屋は資産といえるけれど、将来にわたる空き家は負債の部類に入る。
住んでくれる人がいたらタダでもよいのだが、過疎集落では難しい。
急死した遠縁にあたる人の家屋は解体される公算が大である。
建築関係の知人に解体業者を紹介して貰い、費用の概算見積をお願いした。
青紫蘇
夏の間、素麺料理に重宝した青紫蘇だが、いつの間にか季節が変わってトウが立ち、花が咲き種子が実り始めた。
未熟な種子をしごき取って、水洗いし布袋に入れ味噌樽の中に埋めておくと、美味な紫蘇の実の味噌漬が出来きあがる。
海苔茶漬け、鮭茶漬けがなかったころ、茶漬けは、紫蘇の実の味噌漬けか、古い沢庵漬であった。
口の中に紫蘇の香が広がって、時折 種を奥歯で噛んだ感触が快かった
朝ひとしきり強い雨が降って暑さを洗い流した。
猛威をふるった残暑も終わってみれば懐かしい思いがする、早くなった日暮れと、途絶えてしった蝉の声、南に移動してしまった鳥たち。
過ぎてゆくものは日々新鮮である。
その香は高貴な薬草か 青紫蘇の若実をしごく秋日和