はなバルーンblog

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『のび太の宇宙開拓史』原作と旧映画を振り返る

2009-03-21 19:30:41 | 藤子不二雄
※エントリ後半で映画『ドラえもん 新 のび太の宇宙開拓史』の内容に触れています。未見の方はご注意を!!


 今日は、1981年公開の劇場版『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』を久しぶりに全編通して観返してみた。
 なお、当然ながら今回は、EDを劇場公開時と同じに直した自作の復元版を観た。これを昨年末に作って以来、通して観たのは初めてだ。映像と曲を合わせるために、EDだけは何度も繰り返して観ていたが。



 さて、改めて旧作映画を観てみると、こちらにもいい点も、悪い点もある。

 個人的に残念に感じるのは、原作で描かれていたドラとのび太のコーヤコーヤ星での日々が、4分割画面でダイジェスト的にまとめられてしまっている点だ。描かれている内容はほぼ原作通りなだけに、さらっと流したのはもったいない。せめて、タマゴ鳥の巣を作る場面と、ドラえもんがチャミーに「地球で一番うまい食べ物」ことドラ焼きをあげる場面は、じっくり描いてほしかった。
 このように、原作では中盤に描かれるコーヤコーヤでの日常場面が短くなったせいもあり、旧作映画はどちらかと言うとアクションを主体にして作られた印象がある。

 また、原作の前半部分に尺を使いすぎて、後半がやや駆け足気味の描写になっている点も、ちょっと気になるところだ。火山の噴火の後は、原作のようにコーヤコーヤの住民が逃げ出す場面があれば、さらに危機感が高まったと思う。このあたりは、今回の新作でもあまり描き込まれてはいなかったが。
 前述の日常描写の分も含めて、もう10分、いやせめて5分尺が長ければ、旧作はさらに完成度の高い作品になったのではないかと思う。


 このように、気になる部分があるとは言え、旧作映画は今観ても十分に鑑賞に耐える作品だ。
 今年の新作映画と違って決闘シーンはないのでその比較は出来ないが、そこを抜きにしても場面ごとの演出はちゃんとメリハリがついており、観ていて引き込まれる映像となっている。

 よかった場面はいくつもあるが、何と言っても一番印象に残っているのは別れのシーンだ。主題歌「心をゆらして」が流れる中で、遠ざかっていく扉の出口と、コーヤコーヤ星の人々。そして、思い出される楽しかったコーヤコーヤ星の日々…。中でも、クレムがあやとりを、のび太が雪の花を互いに見せ合う場面は特に胸にくるものがある。
 この別れのシーンは、歌が流れ始めてからはセリフが入らないが、それでかえって映像としての印象が強くなっている。作り手の伝えたい事がきちんと表現できていれば、余計なセリフなど要らないと言ういい例だと。
 先ほど、「後半が駆け足気味」と書いたが、そんな中できちんと描くべき部分は時間をとっているのだから、作り手が「何を見せたいか」を明確に打ち出して作られた作品だと言う事が分かる。

 また、見過ごしがちな部分だが、最初にドラとのび太がロップルくん達と出会って、宇宙船を修理したあとにのび太の部屋に戻る場面にも、別れの寂しさが漂っている。
 もちろん、この時点では偶然出会って、たまたま宇宙船を修理しただけの関係ではあるが、それでものび太・ロップル両者が「もうこれで二度と会う事はないだろう」と残念に思っているであろう事は伝わってくる。
 物語序盤でそのような描写があるからこそ、最後の本当の別れのシーンは、観ている側にも「今度こそ、本当にもう二度と会えないんだ」と言う寂しさが強く伝わってきて、それ故に心に残る名場面となったのだろう。


 と言うわけで、久々に全編通して観たが、あっという間の90分だった。
 やはり、楽しい時間は短く感じる。だからこそ、22世紀では「時間ナガナガ光線」のような道具が発明されたのだろう。もっとも、つらい時間や苦しい時間にこれを使われると、道具の発明意図とは逆に拷問のような状態になるのは、「のび太のなが~い家出」でママが体験した通りだが。
 この光線を浴びた上で今年の映画を観たら、どうなっていた事やら。



 しかし、旧作映画もいい作品だが、何と言っても一番はやはり原作だ。
 こちらも、三日ほど前にてんコミ版および初出に準ずるカラーコミックス版の両方を読み返した。あらためて両者を見比べながら読むと、特にてんコミ版は本当に完成された作品なのだとよくわかる。

 中でも決闘シーンはてんコミでの描き足しにより、ぐっと完成度が上がっている。
 以前にも触れた事があるが、ギラーミンがブルトレインから出てきて、決闘の決着までがカラコミでは3ページなのに対して、てんコミでは5ページになっている。これが単なる水増しではなく、追加されたコマによって決闘の緊張感がより高められている。中でも『ヴェラクルス』へのオマージュとなったギラーミンの「ニヤリ」追加は特筆すべき点だろう。
 また、決闘部分に限らず描き足しは終盤を中心に行われており、てんコミでは154ページ以降にあたる連載時の最終回部分は、カラコミ版の27ページから、てんコミでは37ページへと合計10ページも増えている。現在ではてんコミが決定版として読まれているので、これと比較する事で旧作映画の後半部分は公開当時よりも更に駆け足に感じてしまうのかもしれない。

 これだけ念入りに加筆されているだけに、今年の映画ではてんコミ版を元にした、より原作に近いクライマックスシーンを期待していたのだが、結果は前回のエントリで書いたとおり。
 今更こんな事を言ってもどうしようもないが、旧作映画はてんコミ版原作と異なる部分が結構あったのだから、新作映画は余計なオリジナル要素を入れなくても、てんコミ版原作に忠実に作るだけで十分に旧作とは違う作品になっただろう。
 もっとも、「映画ドラえ本 新・のび太の宇宙開拓史 公式ファンブック」の真保裕一氏インタビューによると「ギラーミンとの対決は、まんがで読むと面白いけど、映画にすると少し弱いのではという意見があった」そうだ。今回のスタッフは原作をこのように受け取っている人達なので、「原作通り」は望むべくもない事だったのだろう。



 それにしても、新旧通して映画ではギラーミンの扱いがよろしくない。これは実に残念だ。
 ここまでお読みの方はおわかりかもしれないが、思い入れが強いせいもあって、どうしても旧作映画に対しては、批判するにしても新作に対してよりは甘くなってしまうのだが、ギラーミンの件だけは新旧共に映画の方は不満だと言わざるを得ない。

 旧作映画では出番自体が少なくて陰が薄く、ロップルに撃たれたあとはどうなったかも描かれていない。はっきり言って、旧作映画の筋立てではギラーミンがいなくてもそれほど話に影響は無かったと思う。ロップルが対峙するわかりやすい対象として必要だったのだろうが。あと、なぜか『のび太の恐竜』の黒い男のようなマスクをしているのも格好悪くて好きではない。
 そして、新作映画でのギラーミンの改悪ぶりは前回のエントリに書いたとおり。なので、敢えて繰り返しはしない。

 あらためててんコミで原作を読むと、ギラーミンは実に魅力的な悪役だ。
 惑星爆破が目前に迫り、脱出しなければ自らの生命も危険と言う状況にも関わらず、あくまでも「腕ききのガンマン」のび太との対決にこだわって決闘を挑む様は、悪人なりの信念に基づいており、行動にブレはない。敗れた後は「お前の……勝ちだ」と素直に負けを認めるところも格好いい。

 実は、このギラーミンのキャラクターも、てんコミの描き足しにより完成されたものだ。カラコミ版でのび太に決闘を挑む際は、





こんな感じで、てんコミ版に比べると少々ガラが悪い。

 また、カラコミ版では、こんな言動もあった。





 このセリフがてんコミで変更されたのは、さすがにギラーミンが「カラスのかってだ」はないという事なのだろう。

 それはともかく、大長編ドラにおける「人間の悪役」の中では、ギラーミンはもっとも魅力的なキャラだと思う。まあ、次作の『のび太の大魔境』以降は、敵が犬人間やら魔王やらになり、しばらくは「人間の悪役」自体が登場しなくなるのだが。

 これだけ魅力的な悪役が、今回の映画ではセコい小物になってしまったのだから、本当に残念だ。
 突き詰めると、新作映画のギラーミンのキャラでは決闘をやる事自体に無理があった気もする。原作と違って、コア破壊装置のスイッチを持ち、自らが主導権を握ったままで決闘(もどき)を行うギラーミンに魅力は感じられない。
 スタッフに、「このギラーミンはどうなんだろう」と、疑問に思った人はいなかったのだろうか。原作を読んだ上でこんな改悪が出来るという事が、どうしても信じられない。



 最後は新作映画批判になってしまったが、それも、てんコミ版原作が素晴らしい故だ。原作を読み返すと、今回の映画に対しての不満がどんどん出てきてしまう。
 現在、普通に読める原作はてんコミ版のみ(文庫も内容は同じ)だが、機会があればぜひカラコミ版も読んでいただきたい。てんコミ版と比べると、描き足しで作品がよりよくなっている事が分かると思う。旧作映画に合わせて、別れのシーンで「心をゆらして」の歌詞が入っているのも描き足しであり、F先生にとってもこの演出が印象的だったのではと伺えて、興味深い。

 もっとも、私自身はカラコミ版から入って、てんコミ版を読んだのはずっと後だったので、どちらのバージョンにも愛着がある。他の初期大長編も同様だったので、『のび太の恐竜』などは描き足しが多すぎて、てんコミ版を初めて読んだ時はとまどったものだ。
 とにかく、原作と旧作映画の『のび太の宇宙開拓史』は、私にとっていつまで色あせない傑作だ。今回、それを再確認できた事はよかった。