『藤子・F・不二雄大全集』刊行決定の報から二日が経った。
個人ブログや掲示板を廻ってみると、基本的にみな全集の刊行を喜んではいるものの、不安な点として「セリフの書きかえ」がどうなるかを挙げている人が多いように見受けられた。
また、「全集」らしくF先生の作品全体を把握した編集が出来るかどうかも不安点として挙げられている。
これらの点は、実のところ私も気になっている。
と言うのも、2000年から2001年にかけて刊行された『藤子・F・不二雄 SF短編PERFECT版』が、まさにそれらの問題のために残念な内容となっていたからだ。
『PERFECT版』以前に単行本化されていた短編については、1996年あたりの版をチェックしないと、F先生の生前にどこまで改変されていたのかはっきりしないが、少なくとも単行本初収録の「ボノム -底抜けさん-」は間違いなくF先生の意向と関係なくセリフが改変されている(パン助→街娼)。
また、初出情報は「絶滅の島」リライト版の発表時期を10年間違えて、本来「最後の短編」であるはずの「異人アンドロ氏」よりもあとに配置するという情けないミスがある。
他にも、左開きの「絶滅の島」スターログ版を他の作品と同じく右開き仕様で収録したために読みづらくなるなど、この本は杜撰な作りが目立ち、「パーフェクト」を謳っているのに非常に不完全な本だった。
このような前科があるため、今回の全集に対しても、一抹の不安は拭えない。
もちろん、第一報の段階で心配ばかりしていても仕方がないのだが、せっかく「大全集」と銘打って出版するのだから、ベストとは行かないまでも、よりよいものを出して欲しい。
セリフの改変については、F先生の生前にすでに行われていたものは「著者の意向」を汲み生前の最終版を定本として、未単行本化作品は基本的に改変無しで収録するのがいいのではないか。
少し前に完結した『石ノ森章太郎萬画大全集』では、『サイボーグ009』のように何度も単行本化された作品は改変後のセリフになっているが、埋もれていたマイナー作品はセリフ改訂が手つかずだった為に、現在では「差別用語」とされるセリフもそのまま収録されているそうだ。
また、『手塚治虫漫画全集』の場合、第300巻までは手塚先生の生前に刊行された為に、かなり多くのセリフ改変が行われている。もっとも、手塚全集の場合、セリフがどうこうという以前に内容に手を入れて全集刊行時に「最新版」とされてしまった作品が多いのだが。改訂版『新宝島』は、その一番極端な例だろう。
手塚全集は刊行開始からすでに30年以上経っているため、初版と現在の版でセリフが異なっている場合もある。全集以降に再度別レーベルで単行本化されて、その時にセリフが変わった作品があるためだ。
いずれにせよ、著者が故人の場合は、著者自身の手による最終改訂版を決定版とするのが妥当だと思う。下手に初出に合わせると、『ドラえもん』のように設定変更のある作品の場合は、かえっておかしくなるし、何度かセリフが変わっている場合、比較してどれがいいかを第三者が決める事は出来ないだろう。
前述の「ボノム -底抜けさん-」を含め、F先生の没後に出た単行本で、明らかにセリフを第三者が変えているものがいくつか見受けられるが、これに関しては「大全集」では元に戻して欲しい。『ウメ星デンカ』で「ムシキング」なんて単語が出てきては、興ざめだ。差別問題と関係なく時代に合わせた改変であっても、F先生のセンスを第三者が真似する事は出来ないのだから、下手にいじって欲しくはない。
このように、セリフ問題一つ取っても、「全集」を出すのは実に大変な事なのだと思わされる。
一読者の私ですら、ここで書いた程度の事は考えるのだから、実際に全集の編集に携わるスタッフの方々は、もっと苦労される事だろう。
今回の『藤子・F・不二雄大全集』は、公式サイトや「映画ドラえ本」の記事を見る限り、並々ならぬ小学館と藤子プロの「本気」が伝わってくるので、本当に期待している。
内容に不満のある『藤子・F・不二雄 SF短編PERFECT版』ですら、文句を言いつつ全巻揃えてしまったが、今回の全集は文句の付けようもなく、毎月素直に刊行を楽しみに出来る内容であって欲しい。スタッフの皆さん、頑張って下さい。
個人ブログや掲示板を廻ってみると、基本的にみな全集の刊行を喜んではいるものの、不安な点として「セリフの書きかえ」がどうなるかを挙げている人が多いように見受けられた。
また、「全集」らしくF先生の作品全体を把握した編集が出来るかどうかも不安点として挙げられている。
これらの点は、実のところ私も気になっている。
と言うのも、2000年から2001年にかけて刊行された『藤子・F・不二雄 SF短編PERFECT版』が、まさにそれらの問題のために残念な内容となっていたからだ。
『PERFECT版』以前に単行本化されていた短編については、1996年あたりの版をチェックしないと、F先生の生前にどこまで改変されていたのかはっきりしないが、少なくとも単行本初収録の「ボノム -底抜けさん-」は間違いなくF先生の意向と関係なくセリフが改変されている(パン助→街娼)。
また、初出情報は「絶滅の島」リライト版の発表時期を10年間違えて、本来「最後の短編」であるはずの「異人アンドロ氏」よりもあとに配置するという情けないミスがある。
他にも、左開きの「絶滅の島」スターログ版を他の作品と同じく右開き仕様で収録したために読みづらくなるなど、この本は杜撰な作りが目立ち、「パーフェクト」を謳っているのに非常に不完全な本だった。
このような前科があるため、今回の全集に対しても、一抹の不安は拭えない。
もちろん、第一報の段階で心配ばかりしていても仕方がないのだが、せっかく「大全集」と銘打って出版するのだから、ベストとは行かないまでも、よりよいものを出して欲しい。
セリフの改変については、F先生の生前にすでに行われていたものは「著者の意向」を汲み生前の最終版を定本として、未単行本化作品は基本的に改変無しで収録するのがいいのではないか。
少し前に完結した『石ノ森章太郎萬画大全集』では、『サイボーグ009』のように何度も単行本化された作品は改変後のセリフになっているが、埋もれていたマイナー作品はセリフ改訂が手つかずだった為に、現在では「差別用語」とされるセリフもそのまま収録されているそうだ。
また、『手塚治虫漫画全集』の場合、第300巻までは手塚先生の生前に刊行された為に、かなり多くのセリフ改変が行われている。もっとも、手塚全集の場合、セリフがどうこうという以前に内容に手を入れて全集刊行時に「最新版」とされてしまった作品が多いのだが。改訂版『新宝島』は、その一番極端な例だろう。
手塚全集は刊行開始からすでに30年以上経っているため、初版と現在の版でセリフが異なっている場合もある。全集以降に再度別レーベルで単行本化されて、その時にセリフが変わった作品があるためだ。
いずれにせよ、著者が故人の場合は、著者自身の手による最終改訂版を決定版とするのが妥当だと思う。下手に初出に合わせると、『ドラえもん』のように設定変更のある作品の場合は、かえっておかしくなるし、何度かセリフが変わっている場合、比較してどれがいいかを第三者が決める事は出来ないだろう。
前述の「ボノム -底抜けさん-」を含め、F先生の没後に出た単行本で、明らかにセリフを第三者が変えているものがいくつか見受けられるが、これに関しては「大全集」では元に戻して欲しい。『ウメ星デンカ』で「ムシキング」なんて単語が出てきては、興ざめだ。差別問題と関係なく時代に合わせた改変であっても、F先生のセンスを第三者が真似する事は出来ないのだから、下手にいじって欲しくはない。
このように、セリフ問題一つ取っても、「全集」を出すのは実に大変な事なのだと思わされる。
一読者の私ですら、ここで書いた程度の事は考えるのだから、実際に全集の編集に携わるスタッフの方々は、もっと苦労される事だろう。
今回の『藤子・F・不二雄大全集』は、公式サイトや「映画ドラえ本」の記事を見る限り、並々ならぬ小学館と藤子プロの「本気」が伝わってくるので、本当に期待している。
内容に不満のある『藤子・F・不二雄 SF短編PERFECT版』ですら、文句を言いつつ全巻揃えてしまったが、今回の全集は文句の付けようもなく、毎月素直に刊行を楽しみに出来る内容であって欲しい。スタッフの皆さん、頑張って下さい。