映画『ドラえもん 新 のび太の宇宙開拓史』感想

 近年のドラえもん映画は公開翌日に藤子ファン仲間で集まって観に行っていたが、今年は日程の都合で公開日翌週の鑑賞となった。以下に、例年通りに感想を書いておく。
 念のために文字は反転させておくが、当然本編のネタを割っているので、未見の方はご注意を

 なお、以前にも書いたように、私は数あるドラえもん映画及び原作の大長編の中で『のび太の宇宙開拓史』が一番好きであり、今回のエントリはあくまで原作及び映画旧作に強い思い入れのある人間による感想だと言う点にご留意の上で、お読みいただきたい。そこのところ、よろしくお願いします。




 前置きが長くなったが、本題の映画感想に入る。
 と言っても、何から書いたらいいのやら。上でもちょっと触れたが、昨年この映画のスタッフが発表になった時に、「監督と脚本に期待する」と書いた。それを踏まえた上で、一言で感想を書くと「見事に裏切られた」。こうとしか言いようがない。


 それほど、今回の映画は脚本も演出も酷かった。
 まず脚本についてだが、原作の流れにオリジナル要素を無理に接ぎ足したようで全体の構成が非常に不自然な上に、一回観ただけでも設定上の矛盾点がボロボロと見つかり、とても『新 魔界大冒険』と同じ人が書いたとは思えない。

 『新 魔界大冒険』は、オリジナル要素を物語の核として全体のストーリーが作られており、唐突なドラミ登場など原作で無理のある点もフォローされていた。その結果として出来上がった物語に対する好みはともかく、一つの作品としてきちんと成り立っており、さすがに『ドラえもん』に思い入れのあるプロの小説家だと思わされた。
 それが、今回はどうだったかと言えば、オリジナルの新要素だったモリーナの物語は、はっきり言って邪魔にしか感じなかった。『新魔界』は元々ゲストのメインキャラだった美夜子さんのエピソードを膨らませていたので無理は感じなかったが、今作は「のび太とロップルくんの友情」と言う作品の核がすでにあるのに、それに加えてもう一人ゲストを登場させた事で焦点がぼけて、ロップルにもモリーナにも感情移入できないまま話が進んだ印象だ。

 話を部分毎に分けて観てみると、それぞれのエピソードはかなり原作に忠実な形で描かれてはいる。逆に言えば、原作パートが原作に近いだけに、オリジナルパートが浮いてしまったのだろう。
 そして、よりによって個人的に一番観たかった「のび太対ギラーミン」の決闘が、最悪の形でオリジナル部分の影響を受けてしまった。
 表面的な映像を観れば、決闘シーンはそれなりに原作に近い形で描かれている。しかし、本来なら決闘は観客(原作なら読者)がコア破壊装置の進行による危機を忘れて見入ってしまうほどに盛り上がる、物語最大の山場だったはずなのに、今回は決闘決着の後にギラーミンが未練がましく銃を撃ったり、「コア破壊装置は止まらないぞ、ワハハ」と捨てぜりふを吐いたりと完全に小物化して決闘の価値を著しく下げた上に、オリジナルでコア破壊装置を止める展開が続き、むしろそちらが山場となっていたため、決闘は完全にストーリーの流れに埋もれてしまった。
 これは一番酷いと思った部分だが、このように原作のいいところをオリジナル展開の追加で殺してしまっており、原作を読み込んでいる(はず)の人間が、原作の面白さを理解した上で脚本を書いたとは思えない。

 また、舞台となるコーヤコーヤ星の設定が実にいい加減で説明不足であり、観ていて首を傾げたくなる部分が多かった。
 たとえば、原作通りの洪水があるのに、その直後に草の茂ったモリーナの牧場が出てきたり、市街地らしき場所まで出てきて「ここはトカイトカイ星の描写なのか?」と思わされたりと、スタッフが作品の基本設定を理解していないのではないかと疑わざるを得ない。
 開拓途中の荒野ばかりの星だから「コーヤコーヤ」なのであり、今作でもはっきり「入植して7年」と言っているのだから、きちんと整備された市街地があるのは変だし、そもそも作品世界のイメージにそぐわない。だいたい、洪水の時は市街地ごと全て地下に潜っているのか?…まだ、開拓途中で街が出来ていく描写が少しでもあれば、もう少し説得力があったのかも知れないが、今回の内容では無理がある。


 そして、オリジナル要素について。
 第三の星を登場させたのは、作品の根幹に関わる設定を破壊しており、これが決闘を差しおいてクライマックスになったのは、決闘の改悪と並んで今回もっともガッカリさせられた部分だった。
 本来、宇宙船とタタミの下がつながる事が、とんでもない偶然でめったに起こる事ではないからこそ、のび太とロップル、コーヤコーヤの人達との出会いが大きな意味を持ち、また別れのシーンは「もう、二度と会えない」ことが胸に迫ってきて、自然と感動できる場面となっていた。
 それが、今回は地球ともコーヤコーヤとも関係のない第三の未開の星への枝道が登場した事により、「その気になれば超空間はどこへでもつながっているんじゃないか」と言う感じになって、のび太とロップルの出会いの不思議さも薄められてしまった。

 さらに、オリジナルキャラのモリーナは、彼女自体「いらない子」だった。
 第一印象では「一件冷たい態度を見せながら、ロップルを見守るお姉さん的存在」なのかと思ったのだが、実際には思い込みでコーヤコーヤの大人を勝手に恨んだあげくにギラーミンにコロッと騙されて危機を招く、単なる頭の悪い女であり、全く魅力が感じられなかった。
 そんな感情移入できないキャラの父との再会を最後に持ってこられても、全く感動できない。それどころか、「あの星はどこにあるんだ」「その気になればもっと早く見つかったんじゃないか」「いくらなんでも一人で宇宙船を作るのは無理だろう」と、モリーナの父に関する設定にも突っ込みどころが多すぎて、観ていてすっかり醒めてしまった。
 とどめに、のび太の「もう一つの宇宙開拓史があったんだ」。第三者視点のナレーションならまだしも、当事者ののび太にこんな事を言わせては、最後の最後にドッチラケだ。

 あとは、コア破壊装置の無茶苦茶な処分方法(惑星の中心まで行っている装置があんなに簡単に引っこ抜けるのか、それに抜いただけで惑星の変動がおさまるのか)も、観ていて「これはないだろう」と思ってしまった部分だった。
 タイムふろしきにばかり頼っては能がないと考えたのだろうが、それに代わるだけの展開ではなかった。



 今回の設定のいい加減さや無理矢理さは、末期大山ドラ映画のそれを思い起こさせられた。どうしても、F先生のセンスを分かった上で新たな面白さを生み出すのは無理なのだろうか。

 結局、今回のオリジナル要素追加については、「蛇足」の一言で全て言い表せてしまう。
 あらためて、原作の『のび太の宇宙開拓史』がいかに完成度の高い名作であるかがよくわかった。
 しっかりと完成されたものに、何を加えてもそれは余計なものでしかなく、それどころか元の作品の価値を低めてしまう事になりかねない。



 さて、ここまでは主に脚本面での問題点を指摘したが、演出も酷かった。
 何が問題かというと、全体的に平板すぎて、映像として「ここは盛り上げよう」と言う作り手の意志が画面から全然伝わって来ず、退屈で気分が盛り上がらなかったのだ。
 これは、既に原作を知っているからと言う問題ではない。『ドラえもん』に限らず、読み込んでよく知っている漫画の映像化作品はこれまでに数限りなく観てきたが、ツボを押さえた演出であれば、話を知っていても思わず画面に見入ってしまうものだ。

 ただ「ダメだ」と言うだけではフェアでないので、実際にダメだと思った場面の一例を挙げておく。
 非常に残念な事に、一番分かりやすい「ダメ」な場面となると、またしても決闘シーンを取り上げざるを得ない。
 のび太とギラーミンの対峙、打ち合い、倒れるのび太、そして倒れるギラーミン…。これらの要素だけを観れば「ほぼ原作通り」なのだが、場面場面の切り替えに「溜め」が足りず、あまりにスピーディーに決闘が終わってしまうため、観ていて緊張感が全くないのだ。
 撃ち合いがすぐに始まってしまうので観ていて緊張する間もないし、のび太が倒れた直後にギラーミンも倒れてしまうので、「のび太がやられたのか?」とハラハラする事もない。更には、原作で非常に印象的なギラーミンの「ニヤリ」もなければ「お前の…勝ちだ」もなく、「のび太が数少ない特技で強敵を倒した」と言う一世一代の見せ場らしい盛り上がりが全然感じられない。
 漫画で読んでいてすら息詰まる決闘シーンをここまで緊張感なく描けてしまうのだから、逆の意味ですごい事だと言えるかも知れない。
 決闘シーンだけでなく、どの場面もこんな感じでメリハリに欠けており、何を盛り上げて何を見せたいのか、さっぱりわからなかった。

 もっとも、前述のようにギラーミンは決闘に負けた後も未練がましく攻撃を仕掛ける小悪党に改変されているので、キャラ的に「お前の…勝ちだ」なんて言ったらかえっておかしいだろう。
 それにしても、大長編ドラ史上一、二を争う魅力的な悪役だったギラーミンを、ここまでの小物にしてしまうとは、スタッフが何を考えているのか理解しがたい。この方が格好いいと思ったのだろうか。最後、ガルタイトの連中と一緒に逮捕されて捨てぜりふを吐く場面は、目を覆いたくなってしまった。



 今作の全体的な評価としては、ドラ映画の中でワースト2にせざるを得ない。ワースト1は言うまでもなく去年のアレだ。
 ただ、去年は大長編原作が無く短編ベースのオリジナルだった事を考慮すると、原作付き映画の中ではワースト1になる。原作が素晴らしいだけに、ここまで改悪する事が出来るスタッフの手腕には、ある意味脱帽だ。
 しかし、正直言って不思議な事ではある。腰繁男監督も脚本の真保裕一氏も力のある人だと思っていて、それ故にある程度は期待していたのだ。だから、ここまで酷い出来になるとは予想外だった。今回のスタッフには、題材が全く向いていなかったのだろうか。


 最後になるが、すっかり恒例になったゲストの芸能人・声の出演者(断じて「声優」では無い)の感想も書いておこう。
 案外まともだったのは、チュートリアルの二人。悪役らしい凄みには欠けるが、凸凹コンビのおっさんとしてはそこそこの演技だった。モリーナは、演技自体は上手いとは言えないが、キャラクター自体がやさぐれている感じだったので、イメージには合っていてそれほど気にはならなかった。
 一番酷かったのはクレム役だった。クレムが3歳児くらいの設定なら我慢できるが、あの外見であの声はきつい。「おゆうぎ会に出た子供」でしかなく、クレムのセリフが聞こえてくる度に苦痛だった。


 あと、全く批判ばかりというのも何なので、よかったところも挙げておこう。
 本編冒頭、のび太と空き地を占領した中学生とのやりとりは、テンポがよくて楽しめた。また、「カーペットは洗濯に出しました」と張り紙を画面に映して、いつもと違ってタタミになっている事をわざわざ言い訳しているのはちょっと笑った。
 と、評価できるのが最初の方しかない。実に残念だ。思えば『緑の巨人伝』も最初の30分くらい、生活シーンはそれなりによかったなあ。



 繰り返しになるが、私は原作&旧映画への思い入れが非常に強いので、そのせいで余計に今回の映画については辛口になっていると思う。
 最初は、淡々と感想を書こうと思ったのだが、書いているうちに「あの名作をこんな事にしてしまうなんて」とだんだんと怒りがみなぎってきて、抑えられなくなってしまった。一応、アップロード前に見直して、あまりにも過激な箇所は削ったつもりだが、それでもまだきつい部分は残っているだろう。
 F先生の描かれた大長編ドラおよびそれを元にした映画のうち、初期は特に私にとって思い入れの強い作品が多いが、そんな中でも『宇宙開拓史』は別格なので、どうしても感情的になってしまう。

 もし、映画未見でここを読んでいる方がいらっしゃったら、「どうかご自分の目で判断してください」と言いたい。悪い方向での先入観を植え付けられただろうから難しいかも知れないが、私が気付かなかった面白さ、魅力があるのかもしれないから、そういったところは、ぜひ教えていただきたい。

コメント ( 11 ) | Trackback ( 4 )
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コメント
 
 
 
ははははは…。 (Annabel Lee)
2009-03-16 22:00:28
小生は今回の映画を「なかなかの出来。わさドラとしての映画ドラではベスト」と評しましたが、おおはたさんにここまで辛辣に批評されては立つ瀬がありませんな。
 はっきり言って、小生もドラミは出す必要がないと思いました。モリーナも要らないというのも考えとしてはわかりますが、前作と全く同じ筋立てでやるのもどうかというのもわかるので、なかなか難しいですが。
 長編ドラでは宇宙開拓史が一番好きというのは小生も同感ですが、小生が宇宙開拓史が好きなのはのび太たちがコーヤコーヤ星でのびのび遊ぶところで、のび太とギラーミンとの決闘などはむしろどうでもいいと思っていましたけどね。そのへんが小生とおおはたさんの感じ方の違いになったのかもしれません。ガルタイト鉱業が川に毒を流しているのに、のびドラがその川に飛び込むのはさすがにどうかと思いましたが。
 
 
 
Unknown (加嶋)
2009-03-17 01:00:10
個人的な所見ですが……。
新シリーズ移行後の映画は、よく喋る、よく動くといった具合で、私も含めて「ドラの現役世代」を離れた年長者にはいささかリズムの速さがきつい作品という印象を持っていました。
今回の『新宇宙開拓史』もこの路線を踏襲しており(従来よりさらにテンポアップしていた印象です)、ある程度は「事前の予想通り」の作品だったと考えています。

ただ、『魔界大冒険』がある程度は激しいアクションにも馴染む原作だったのと比べて、『宇宙開拓史』で同じことをやったのは失敗だったかなぁ……というのが、私の正直な思いです。
私のサイトに載せた感想で、【『ドラえもん』キャラの絵と声を使って宇宙開拓史のお芝居をやってた(ような違和感)】という言葉を使いましたが。
http://animei.info/diary/anime/09-0315.htm

そもそも原作でF先生が意図しているテンポと、『新開拓史』の演出方針との間にはミスマッチがあった気がします。
“リメイク”というのは本来、そうした意図の違いを踏まえて新スタッフが自分なりに新たな味付けをし直す作業だと思います。(ザ50回転ズの「ゲゲゲの鬼太郎」が、原曲とは違う特徴を持ちながらもしっかりした楽曲になっているような感じです)
それなのに、『新開拓史』ではシナリオが原作と同じ場面設定・話の流れに拘りすぎており、結果として歯車が噛み合わないまま進んでしまったように見受けられました。

モリーナさん絡みの一連の話は、中途半端に「追加する」のではなく、「思いきって原作の内容を変える」くらいの比重でちょうど良かったのではないでしょうか?……と。
終わってしまったから何でも言えるだけなのかも知れませんが、この映画が何をやりたいのかは伝わってきただけに、適切な手順を踏みきれていなかったのが惜しかった気がします。

ゴチャゴチャした文章で、失礼しました。
 
 
 
Unknown (ルチャ・ティグレ)
2009-03-17 03:43:21
私にとっての「テレビまんが ドラえもん」は、
昭和54年から59年までです。
多くの藤子ファンが、最も好きな劇場版ドラに、
「のび太の宇宙開拓史」を挙げますが、私も同じです。
私が、初めて劇場で長編映画を観たのもこの作品です。(東映まんがまつりは除く。)
同時上映だった怪物くん「怪物ランドへの招待」も、怪物大王、怪物王城、モンスター号などの圧倒的スケールと、ヒロシとの友情、とくにラストでの寂しそうなヒロシを思いやる怪物くんに心打たれて、
今でも一番好きな映画です。

この2作品が作られた昭和55年は、昨年からスタート
した「テレビまんが ドラえもん」の作画も安定し、
更に「テレビまんが 怪物くん」も始まり、
世間のドラブームとの相乗効果で、藤本先生や、テレビまんがに係わっていたスタッフも勢いに乗っており、また、時代もそれを求めていました。
よって、この時につくられた「のび太の宇宙開拓史」
は、原作、脚本、作画、音楽、キャスト...
どれをとってもパーフェクトなんです。
絶頂期に作られた作品をいくらリメイクしても、
絶対、それ以上の作品は生まれないと思います。

また、昭和55年の私は、丁度のび太や、ヒロシと
同じ年頃。
それを観た年齢も重要なんですね。
もしかしたら、今度の映画を観た小学4、5年生に
とったら最高傑作なのかもしれませんよ。

最後に、

挿入歌の「こころをゆらして」を聞くと、
今でも自然と涙が出てきます。

 
 
 
初コメント致します (メカプリン)
2009-03-18 15:25:21
おおはたさん初めまして、メカプリンと申します。
以前、藤子作品関連でサイト巡りをしていたときに、偶然貴サイトに辿り着き、以来、過去の記事なども拝見させて頂いております。

私は80年代の藤子アニメ全盛期で幼少を過ごした世代で、成長とともに一時期「卒業」しましたが、再びハマり出し、現在では往年の藤子アニメ作品を2人の甥と楽しんでおります。

さて、今回の記事にありました「新・宇宙開拓史」についてですが、あいにく私はまだ観ておりません。
旧作の「宇宙開拓史」は(確か)ビデオで観た記憶がありますが、どちらかといえば何度も読み返した原作漫画の方に思い入れがあります。

「畳」を介して「日常(テレビ)の世界」と「非日常(映画)の世界」を繋ぐという設定や、のび太が劇中で「映画ヒーローのように活躍できる理由」については、極めて藤本氏的なアイデアとセンスを感じました。
ですから、個人的に好きなドラ映画は「鉄人兵団」だったりしますが、歴代で最も“ドラ映画ofドラ映画”だった作品は「宇宙開拓史」だと認識してます。

今回の記事を読んで、おおはたさんの落胆振りは共感できました。
私は今回の映画を「生ハムを乗せたメロン」と解釈しました。
「メロンだけでいい」という人には生ハムは不要なものですが、好きな人は「好き」なんでしょうね、ということです。

リメイクというのはどんな作品でも好評を得ることは難しいと思います。
リメイクには「リメイクする」ことの「意味(意義)」が付き纏いますから、「リメイクする意味を持たせるため」にリメイク作品を作ったとすれば、それこそ本末転倒な話です。
(白黒作品の『カラー化』が意義の場合は言い訳が楽でしょうけど)

「原作の良さを映像化する」ことに映像作品の意義があるとすれば、今回のリメイク作品もその部分に関してはブレて欲しくはなかったです。
ですが、おおはたさんの記事を読んだ限りでは意義を見失っていた、若しくは「本来の意義」が二の次以下に成り下がった、という感が見受けられた上に、同じ会社が作っているという点においては寂しさも感じました。

色々書きましたが、実は、本作を「スタンダード」とする今の子には本作は「面白かった」になる可能性はありますし、むしろ旧作を観たときには「古臭さ」ばかりが目に付くかもしれない、という予感もあります。
しかし原作の素晴らしさは時代で色褪せることは無いと思いますので、新旧のどちらのアニメがきっかけでも「原作漫画」が今の子にも愛されれば、私はそれが一番嬉しいです。

今回、初コメにも関わらず長々なコメント失礼致しました。
今後もおおはたさんの日記楽しみにしております。
 
 
 
お返事です (おおはた)
2009-03-21 19:27:36
 毎年、ドラ映画の感想を書いていますが、今回は昨年に続き、コメント欄での反響が多くありました。
 それだけ、『宇宙開拓史』は注目されている人が多かったと言う事なのかも知れません。皆様、コメントありがとうございます。遅くなりましたが、お返事です。



◆Annabel Leeさん:
> はっきり言って、小生もドラミは出す必要がないと思いました。モリーナも要らないというのも考えとしてはわかりますが、前作と全く同じ筋立てでやるのもどうかというのもわかるので、なかなか難しいですが。

 ドラミは本当に無理矢理でした。登場理由がまたも「定期検診」というのも芸がなく、また「新魔界」と違って原作の弱い部分を改善したわけでもありませんし。

> 長編ドラでは宇宙開拓史が一番好きというのは小生も同感ですが、小生が宇宙開拓史が好きなのはのび太たちがコーヤコーヤ星でのびのび遊ぶところで、のび太とギラーミンとの決闘などはむしろどうでもいいと思っていましたけどね。そのへんが小生とおおはたさんの感じ方の違いになったのかもしれません。

 そうですね。長編作品で、どの部分に魅力を感じるかは人それぞれですから、Annabel Leeさんの受け取り方も分かります。旧作映画ではコーヤコーヤの日常がダイジェストになっていましたから、その部分を原作に沿って描いた場面は、悪くなかったと思います。のび太がロップル君達と過ごした日々があってこそ、別れの寂しさが際だつわけですから。
 その「旧作映画で描かれなかった」点では決闘も同様なわけで、それだけに今回は期待しており、作品全体の中での決闘の扱いの悪さにガッカリしてしまったという訳です。

 いずれにせよ、映画は「楽しめた者がち」だとすると、今回楽しめなかった私は損をしたのかも知れません。



◆加嶋さん:

 加嶋さんの感想は、前回のエントリをアップした後に拝見しました。
 映画を観るまでは先入観を持たないように、どのサイトも感想も読むのを避けていました。

 「『ドラえもん』キャラの絵と声を使って宇宙開拓史のお芝居をやってた」と言う表現は、なるほどと思いました。「恐竜2006」以降の3作で、わさドラ映画の作風はある程度確立されてきましたが、『宇宙開拓史』である程度原作に沿いながらわさドラのキャラ付け・展開を入れたために、無理が生じてしまった部分があるでしょうね。

>モリーナさん絡みの一連の話は、中途半端に「追加する」のではなく、「思いきって原作の内容を変える」くらいの比重でちょうど良かったのではないでしょうか?……と。

 私もエントリ本文で少し触れましたが、今回の新設定は『新魔界』なみに作品の根幹に据えて、全体として新たな『宇宙開拓史』になっていたなら、そちらの方が納得できたと思います。
 今回は、その気になって編集すればモリーナ絡みの部分をばっさりカットできそうなくらいに「継ぎ足し感」があり、そのちぐはぐさのために最後まで違和感がありました。



◆ルチャ・ティグレさん:
>同時上映だった怪物くん「怪物ランドへの招待」も、怪物大王、怪物王城、モンスター号などの圧倒的スケールと、ヒロシとの友情、とくにラストでの寂しそうなヒロシを思いやる怪物くんに心打たれて、
>今でも一番好きな映画です。

 「藤子アニメ2本立て」は、『宇宙開拓史』『怪物ランド』の1981年が最初でしたね。
 今にして思えば、実に豪華な組み合わせでした。『怪物ランドへの招待』は短編の原作2本を思い切って再構成していますが、それで「友情」「親子」をテーマとした芯の通った1本のストーリーになり、こちらも見応えのある作品でした。

>絶頂期に作られた作品をいくらリメイクしても、
>絶対、それ以上の作品は生まれないと思います。

 まさに、今回の新作に分が悪い点があるとすれば、それは原作・旧作映画共に完成度の高い名作であると言う事でしょう。
 原作や旧作に不備な点があれば、そこを改良する見せ方があったでしょうね。個人的には「決闘シーンの初アニメ化」がそれにあたると期待していたのですが、それは残念な結果となってしまいました。

>もしかしたら、今度の映画を観た小学4、5年生に
>とったら最高傑作なのかもしれませんよ。

 わかります。「いつ、その作品を観たか」という点は、子供時代には特に大きな意味を持つ事でしょう。
 原作を知らず、まっさらな状態で今回の映画を観た子供に、感想を聞いてみたいと思っています。



◆メカプリンさん:
>旧作の「宇宙開拓史」は(確か)ビデオで観た記憶がありますが、どちらかといえば何度も読み返した原作漫画の方に思い入れがあります。

 はじめまして。
 私も、原作と旧作映画、どちらがより好きかとなると、やはり原作です。公開当時は、映画はそうそう何度も繰り返して観られるものではなく、テレビ放送以降は、我が家にビデオデッキが来るまでは観返す機会はありませんでした。
 原作は、公開当時に買って貰ったカラーコミックス版を、それこそボロボロになるまで読み返しました。おかげで、現在手元にあるカラーコミックスは、最近になって買い直した2代目です。初代は表紙も取れてしまい、今は実家の物置で眠っています。


>色々書きましたが、実は、本作を「スタンダード」とする今の子には本作は「面白かった」になる可能性はありますし、むしろ旧作を観たときには「古臭さ」ばかりが目に付くかもしれない、という予感もあります。

 それは、当然考えられる事だと思います。
 また、「古くささ」は感じるかも知れませんが、今回の新作をきっかけに、今まで観た事もない人も原作や旧作映画に手を出してくれれば、と言う気持ちもあります。
 何度もリメイクされる作品には、時代によって変わっていく部分もあり、またスタッフが「以前の作品になかった新しい良さ」を加えようと考えるのも当然でしょう。その点で、個人的には今回の映画は残念な出来でしたが、今後のドラ映画においても、「より面白いものを作ろう」と言うチャレンジ精神は無くして欲しくないと思います。
 
 
 
ギラーミン (hebitaro)
2009-03-26 20:58:42
子供のころに旧作を観たボクらの年代としては、新作にはどうしても厳しくなってしまいますよね…。

で、ギラーミンひどかった。w
負けたあとに不意打ちするなんて、ギラーミンじゃないですよ。
そんな汚いヤツなら、そもそも一対一で決闘なんてしないし。

で、やはりボクも思うんですが、モリーナいらなかった。w
 
 
 
やはりダメです (おおはた)
2009-04-05 01:29:46
 この映画には色々と気になった点がありましたが、やはり改めて振り返ると、ギラーミンのキャラ改悪だけはどうしても許せません。
 一万歩くらい譲って今回のオリジナル要素をすべて認めたとしても、ギラーミンがあれではぶち壊しです。ガルタイトの連中は旧映画と違って原作に近いキャラクターデザインになっていただけに、中身が原作とかけ離れていた事は、かえすがえすも残念でした。
 繰り返しになりますが、どうしてこんな事になってしまったのだろう、と思わざるを得ません。
 
 
 
新宇宙開拓史の矛盾点 (シュン)
2009-08-16 20:12:47
新宇宙開拓史をレンタルDVDで観賞した所管理人のおおはたさんの言う通り駄作でした。
おおはたさんが挙げた矛盾点以外で挙げるとのび太達が毒水に入ったにもかかわらず何の変化もなかったこととのび太達がガルタイトの連中がいる所に逃げていることなどがありました。
ここに挙げた矛盾点以外はおおはたさんと同じなので省略します。ドラ映画至上屈指の名作をこれ程の駄作に為るぐらい脚本も演出も酷かったです。
 
 
 
矛盾点 (おおはた)
2009-08-21 01:24:32
 毒水のあたりは、結構捻ってアレンジしたなと、どちらかと言えば肯定的に捕らえていたのですが、その点は確かにおかしいですね。
 レンタル開始されましたが、もう一度観直す気にはなれません。懐古と言われようと、このリメイクだけはどうしようもなかったと、今でも思っています。
 
 
 
 
初投稿させていただきます。 ()
2010-09-10 19:54:18
その文章から壮絶な落胆ぶりが良くわかりました。
私自身も開拓史は一番好きなドラえもん作品なのですが、おおはたさんと違いがあるとすれば私は旧映画も
今まで許せなかったという点です。
子供のときに原作から入ったためかどうしてもあの小者化したギラーミンは許せなかったのです。
そのため新開拓史で完全な原作再現がなされるのなら
わさドラを全肯定しても良いとすら思ってましたので。

新開拓史を見た結果、私は旧映画版が普通に好きになりました。
 
 
 
原作と映画 (おおはた)
2010-09-12 10:29:10
 はじめまして。
 私の場合、コロコロ連載でなく映画の公開とほぼ同時に出たカラーコミックスで初めて原作に触れたため、原作と旧映画をほぼ同時に体験しました。そのせいか、「原作もアニメもそれぞれいい作品だ」とずっと思っていました。
 しかし、旧映画のギラーミン、どうも存在感に欠ける点は残念です。だからこそ、新映画で決闘を始めたときは、「ついにこの場面が映像化されるのか」とワクワクしたのですが、それだけに中途半端に描かれた決闘と、ギラーミンの完全な小者化には心底がっかりさせられました。
 原作にない展開を付け加えること自体には反対ではないのですが、そのために原作にある名場面を台無しにしていいと言うことは決してないと、今でも思っております。
 その点、オリジナル作品だった今年の『人魚大海戦』の方が、原作がない分、ある意味安心して観られる作品だったと言えます。
 来年の『鉄人兵団』は、原作も旧映画も甲乙付けがたい名作ですから、いまからどんな出来になるか、非常に心配です。心配しつつ、結局観に行くことになるのですが。
 
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