最近は、なるべく時間を作って「ゲゲゲの鬼太郎」第1作を観ている。
以前にも書いたが、特に放映順にはこだわらず、観たくなった話から観ているのだが、いざDVDのケースを開くと、いくつものサブタイトルが目に入って、どれを観ようか迷ってしまう。
ともかく、せっかくDVDで初めて第1作を観ているのだから、感想を書き残しておく。新たな話を観るたびに感想を書いておいて、数話分たまった時点で、不定期にこのブログで公開して行きたい。今日は、その第1回となる。
・第2話「夜叉」
(脚本/高久 進、演出/黒田昌郎、作画監督/細田暉雄)
製作話数では第1話となる。そのためか、ねずみ男初登場は、この話。初期話数のため、まだ演技が固まっていないのか、鬼太郎と目玉親父の話し方には少し違和感があったのだが、ねずみ男はついては特に気にならなかった。
本作では、自称「夜叉にとりつかれる」野呂と、夜叉本体との関係に、謎を残したまま話を展開させた事で、白黒の画面と相まってミステリアスな雰囲気がよく出ていた。夜叉の本体が離れると、野呂がハゲだというのは原作通りだが、その後、野呂の体が消えてしまったのは驚いた。野呂の姿自体が、夜叉の作り出した幻影だったという解釈だろうか。
しかし、せっかく夜叉の正体に意外性を持たせていたのに、子供が乗ったバスを襲う場面で、夜叉の本体をはっきりと描いてしまったのは失敗だったのではないか。やはり、夜叉の正体は最後の最後に披露した方が、驚きは大きかったと思う。
どうでもいいが、最近は某GUN道の影響で、「夜叉」と聞くと漢字ではなくカタカナの方を思い浮かべてしまう。困ったものだ。
・第13話「地獄流し」
(脚本/鈴樹三千夫、演出/久岡敬史、作画監督/我妻 宏)
Aパートは、政吉と豆蔵の二人が警察から追われて鬼太郎の家に逃げ込むまで、ほぼアニメオリジナル展開。原作には登場していない(正確には、地獄でちらっと出て来るが)ねずみ男を絡ませる事で、話がスムースに進んでいた。
後半は、ほぼ原作通りだが、ラストで「生きた人間が地獄にいたら妖怪達が迷惑なので、明日にでも警察に引き渡す」と、鬼太郎が言っている。一応子供向け番組のヒーロー鬼太郎が、悪人とは言え人間を地獄に流したままであるのはまずいという配慮からのフォローなのだろうが、妖怪にとっては人間の方が迷惑というオチは、皮肉が効いていて面白い。
・第20話「猫娘とねずみ男」
(脚本/雪室俊一、演出/高見義雄、作画監督/古沢日出夫)
第1作ではレギュラー扱いではない猫娘の登場回。しかし、サブタイトルに名前が出ている割には、猫娘の印象は薄い。役割はねずみ男をおどかすだけであり、原作通りの展開とは言え、少々物足りない。ただ、冒頭で閻魔大王から人間殺害指令を受けて大喜びしている様は、非常に衝撃的だった。
その代わりなのか、三虫の存在がクローズアップされていた点が、印象に残る。ねずみ男が被害者に金を返しただけでは閻魔大王の指令が宙に浮いてしまうので、アニメではきちんとオチをつける事にしたのだろう。断食によって三虫を殺す解決方法は、閻魔大王に「逆らう」のではなく「だます」事で収拾を図っているわけで、友情はあるが、一方でドライなところもある野沢鬼太郎とねずみ男の関係が、よくわかる。
なお、このエピソードは第3作で、第55話「マル秘指令!! ねずみ男は死刑だ」としてリメイクされているが、こちらでは鬼太郎がねずみ男殺害の指令に対して大いに悩んでいるし、結局閻魔大王の目はごまかせず、温情によって事なきを得るという展開だ。
第1作と第3作、どちらもシリーズの味が出ており、非常に対照的な作品となっていて実に興味深い。なお、第3作でもやはり猫娘の出番はそれほど多くない。この原作を膨らませると、どうしても猫娘関係以外の場面を付け足す事になってしまうのだろうか。
ちなみに、第1作猫娘の声は山口奈々だが、この話には第2作猫娘役の小串容子(第1作の砂かけ婆役)も出演している。偶然だろうが、これも面白い。第4作第48話「えんま大王とねこ娘」の新旧ねこ娘共演は、完全に狙ってやったのだろうけど。
・第34話「さら小僧」
(脚本/辻 真先、演出/久岡敬史、作画監督/細田暉雄)
アニメの初代「ぺったらぺたらこ」の歌を、初めて聴く事が出来た。曲はBGMの流用だが、わらべ歌風の歌詞は、なかなか味がある。この後、第3作の「闇夜に気を付けろ」、第4作の憂歌団版「ぺったらぺたらこ」と、さら小僧の話がアニメ化される度に、新たな歌が作られているが、それぞれシリーズの味が出ている。
本編では、人質を取られており、かつ敵に回すと厄介な相手だと言う事で、徹底的に下手に出ている鬼太郎と、それにつけこんで、話をはぐらかして思いっきり焦らしまくるさら小僧の態度とやりとりが、実に面白かった。
また、戦闘での、鬼太郎「奴の弱点さえつかめれば…」→さら小僧、直後に歌で思いっきり弱点をばらす、この展開には笑った。内海賢二の好演も相まって、さら小僧は非常にいい味を出していた。ただ、凶悪モードの顔は原作のイメージからかなり離れていて、ちょっと気になったが。
・第60話「笠地蔵」
(脚本/雪室俊一、演出/明比正行、作画監督/林 正史)
何と言っても、ざしきわらしによる冒頭の歌が強烈だ。「ゲゲゲの鬼太郎、きちがいだー」なんて歌っていては、仮に本編が白黒でなくても、再放送は難しいだろう。
何で、いきなりこんな無茶な歌が出てきたのかと思ったら、鬼太郎を岩手に向かわせるためのネタふりだったのだから、大変な力業だ。鬼太郎を自発的に話に絡ませるために、スタッフが苦労していた事が伺える。鬼太郎がおかしくなって、かつて倒した妖怪の幻にうなされる展開は、第4作・第106話「悪夢!妖怪地獄」を連想した。この「笠地蔵」からヒントを得て作られたのだろうか。
なお、原作と違ってざしきわらしも集団生活を営んでおり、みんなで里に下りる展開になっている。どうも、アニメ版では、基本の展開は原作通りでも、より話が大がかりになっているケースが多いようだ。
以前にも書いたが、特に放映順にはこだわらず、観たくなった話から観ているのだが、いざDVDのケースを開くと、いくつものサブタイトルが目に入って、どれを観ようか迷ってしまう。
ともかく、せっかくDVDで初めて第1作を観ているのだから、感想を書き残しておく。新たな話を観るたびに感想を書いておいて、数話分たまった時点で、不定期にこのブログで公開して行きたい。今日は、その第1回となる。
・第2話「夜叉」
(脚本/高久 進、演出/黒田昌郎、作画監督/細田暉雄)
製作話数では第1話となる。そのためか、ねずみ男初登場は、この話。初期話数のため、まだ演技が固まっていないのか、鬼太郎と目玉親父の話し方には少し違和感があったのだが、ねずみ男はついては特に気にならなかった。
本作では、自称「夜叉にとりつかれる」野呂と、夜叉本体との関係に、謎を残したまま話を展開させた事で、白黒の画面と相まってミステリアスな雰囲気がよく出ていた。夜叉の本体が離れると、野呂がハゲだというのは原作通りだが、その後、野呂の体が消えてしまったのは驚いた。野呂の姿自体が、夜叉の作り出した幻影だったという解釈だろうか。
しかし、せっかく夜叉の正体に意外性を持たせていたのに、子供が乗ったバスを襲う場面で、夜叉の本体をはっきりと描いてしまったのは失敗だったのではないか。やはり、夜叉の正体は最後の最後に披露した方が、驚きは大きかったと思う。
どうでもいいが、最近は某GUN道の影響で、「夜叉」と聞くと漢字ではなくカタカナの方を思い浮かべてしまう。困ったものだ。
・第13話「地獄流し」
(脚本/鈴樹三千夫、演出/久岡敬史、作画監督/我妻 宏)
Aパートは、政吉と豆蔵の二人が警察から追われて鬼太郎の家に逃げ込むまで、ほぼアニメオリジナル展開。原作には登場していない(正確には、地獄でちらっと出て来るが)ねずみ男を絡ませる事で、話がスムースに進んでいた。
後半は、ほぼ原作通りだが、ラストで「生きた人間が地獄にいたら妖怪達が迷惑なので、明日にでも警察に引き渡す」と、鬼太郎が言っている。一応子供向け番組のヒーロー鬼太郎が、悪人とは言え人間を地獄に流したままであるのはまずいという配慮からのフォローなのだろうが、妖怪にとっては人間の方が迷惑というオチは、皮肉が効いていて面白い。
・第20話「猫娘とねずみ男」
(脚本/雪室俊一、演出/高見義雄、作画監督/古沢日出夫)
第1作ではレギュラー扱いではない猫娘の登場回。しかし、サブタイトルに名前が出ている割には、猫娘の印象は薄い。役割はねずみ男をおどかすだけであり、原作通りの展開とは言え、少々物足りない。ただ、冒頭で閻魔大王から人間殺害指令を受けて大喜びしている様は、非常に衝撃的だった。
その代わりなのか、三虫の存在がクローズアップされていた点が、印象に残る。ねずみ男が被害者に金を返しただけでは閻魔大王の指令が宙に浮いてしまうので、アニメではきちんとオチをつける事にしたのだろう。断食によって三虫を殺す解決方法は、閻魔大王に「逆らう」のではなく「だます」事で収拾を図っているわけで、友情はあるが、一方でドライなところもある野沢鬼太郎とねずみ男の関係が、よくわかる。
なお、このエピソードは第3作で、第55話「マル秘指令!! ねずみ男は死刑だ」としてリメイクされているが、こちらでは鬼太郎がねずみ男殺害の指令に対して大いに悩んでいるし、結局閻魔大王の目はごまかせず、温情によって事なきを得るという展開だ。
第1作と第3作、どちらもシリーズの味が出ており、非常に対照的な作品となっていて実に興味深い。なお、第3作でもやはり猫娘の出番はそれほど多くない。この原作を膨らませると、どうしても猫娘関係以外の場面を付け足す事になってしまうのだろうか。
ちなみに、第1作猫娘の声は山口奈々だが、この話には第2作猫娘役の小串容子(第1作の砂かけ婆役)も出演している。偶然だろうが、これも面白い。第4作第48話「えんま大王とねこ娘」の新旧ねこ娘共演は、完全に狙ってやったのだろうけど。
・第34話「さら小僧」
(脚本/辻 真先、演出/久岡敬史、作画監督/細田暉雄)
アニメの初代「ぺったらぺたらこ」の歌を、初めて聴く事が出来た。曲はBGMの流用だが、わらべ歌風の歌詞は、なかなか味がある。この後、第3作の「闇夜に気を付けろ」、第4作の憂歌団版「ぺったらぺたらこ」と、さら小僧の話がアニメ化される度に、新たな歌が作られているが、それぞれシリーズの味が出ている。
本編では、人質を取られており、かつ敵に回すと厄介な相手だと言う事で、徹底的に下手に出ている鬼太郎と、それにつけこんで、話をはぐらかして思いっきり焦らしまくるさら小僧の態度とやりとりが、実に面白かった。
また、戦闘での、鬼太郎「奴の弱点さえつかめれば…」→さら小僧、直後に歌で思いっきり弱点をばらす、この展開には笑った。内海賢二の好演も相まって、さら小僧は非常にいい味を出していた。ただ、凶悪モードの顔は原作のイメージからかなり離れていて、ちょっと気になったが。
・第60話「笠地蔵」
(脚本/雪室俊一、演出/明比正行、作画監督/林 正史)
何と言っても、ざしきわらしによる冒頭の歌が強烈だ。「ゲゲゲの鬼太郎、きちがいだー」なんて歌っていては、仮に本編が白黒でなくても、再放送は難しいだろう。
何で、いきなりこんな無茶な歌が出てきたのかと思ったら、鬼太郎を岩手に向かわせるためのネタふりだったのだから、大変な力業だ。鬼太郎を自発的に話に絡ませるために、スタッフが苦労していた事が伺える。鬼太郎がおかしくなって、かつて倒した妖怪の幻にうなされる展開は、第4作・第106話「悪夢!妖怪地獄」を連想した。この「笠地蔵」からヒントを得て作られたのだろうか。
なお、原作と違ってざしきわらしも集団生活を営んでおり、みんなで里に下りる展開になっている。どうも、アニメ版では、基本の展開は原作通りでも、より話が大がかりになっているケースが多いようだ。