8/5 ドラえもん「白ゆりのような女の子」ほか

「ドラえもんの大予言」(脚本/高橋ナツコ、絵コンテ・演出/塚田庄英、作画監督/中村英一)

 原作は、「小学四年生」版の連載第2話。基本的に「ドラえもん」は1話完結型の作品なので、どの話から観ても楽しめるのだが、「小学三年生」「小学四年生」の2誌の連載第1回・第2回に限っては、内容的に最初に持ってこないと、ちょっと問題があると思う。
 はっきり言ってしまえば、今更「ドラえもんの大予言」をやると、絶対に「なんで「タケコプター」を出しておきながら「どこでもドア」を使わないんだ」と突っ込まれると言う事だ。原作初出時は、連載第2回で「どこでもドア」の影も形もなかったし、単行本でも初出と同じ順で第1巻第2話として収録されているので、全く問題はない。更に言えば、大山版帯番組時代でも「ドラえもんの大予言」は、早々と第7話として放映されたので、ほぼ問題はなかった。

 今回、基本的には原作通りで楽しめたのだが、「原作通り」だったため、「どこでもドア」に全く触れておらず、この点だけは非常に気になってしまった。原作中期以降でたまに使われていた「ドアは故障中」と言う設定を出しておくべきだったと思う。
 この点を気にしなければ、「長い間お世話になりました」や小池さん一家の登場、むりやり屋根の上を進むドラ&のび太などのネタがテンポよく描かれており、十分楽しめた。アニメオリジナルだが、「ドロ船に乗った気分で」も、初期のドラえもんらしくてよかった。

 なお、今回初登場したセワシの声は松本さち。大山版ではミイちゃんを演じていた人だ。他のアニメでは、「それいけ!ズッコケ三人組」のハカセ、「ファンタジックチルドレン」のハスモダイなど。まさか、ミイちゃんからセワシに出世するとは思わなかったが、声の印象は悪くなかった。



「白ゆりのような女の子」(脚本/高橋ナツコ、絵コンテ・演出/塚田庄英、作画監督/原勝徳)

 非常に原作に忠実な作り。Aパートの「ドラえもんの大予言」とは違って、素直に楽しめた。原作ファンにとっては、パパの学童疎開時の思い出という設定に変更が無く、原作のままにアニメ化されていたのは、素直にうれしい。クライマックスの夕方の河原や、つらい農作業のシーンなど、丁寧に描かれていて、見応えがあった。終戦記念日も間近の時期に放映する作品としては、ふさわしい出来だったと思う。

 とは言え、普通に見ていただけの、特に原作を知らない人にとっては、いきなり「パパの子供の頃の学童疎開」と言われても、ピンと来なかったのではないか。プレステっぽいゲーム機が出てきたりしていて、普段は現代を舞台にしている作品に見えるだけに、とまどいは大きいだろう。本話を原作通りにやる予定があったのなら、時代を感じさせる可能性のある日常描写については、普段の放送からも省いておくべきだったと思う。その上で「現代ではなく、かといって連載開始時の35年前でもない、いつかの時代」を舞台としておけば、問題なかったのではないだろうか。

 しかし、これで「ゾウとおじさん」リメイクの可能性も出てきた訳だ。「ゾウとおじさん」が、大山版の出来がよかっただけに、もしリメイクされたらどうなるかが気になるが、ぜひ観てみたい作品だ。来年の8月4日か11日の放送に期待したい。



「踊れ・どれ・ドラ ドラえもん音頭」(作詞/マイクスギヤマ、作・編曲/沢田完)

 振り付けを「マツケンサンバII」の人が担当するというので、一体どんな珍妙な音頭が出てくるかと思っていたが、想像していたよりも、遙かにオーソドックスな音頭だった。「はねるたんそく ほがらかに」の歌詞は、明らかに旧「ドラえもん音頭」を意識しているし、「ドリラン パリラン ドンニャ コンニャ パッパ」の部分も、藤本先生の「ホンワカパッパ」などを意識したのではないだろうか。
 私の印象としては、旧音頭を超えたとは言えないが、結構よかったと思う。テレビ版ドラでは、久々のコロムビアからの新曲というのも、何だか嬉しい。それにしても、番組の最後に流すのなら、普通にEDとして使えばいいと思うのだが、それをしないのはなにか意図があるのだろうか。実に不思議だ。
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