田を打つや今年も生きていた証
昨日、田園地区へ車を走らせた。車の運転は家内に頼り切りでしたが、このところ体調がすこぶる良いので、安全運転で車をゆっくりと走らせた。何となく田園地区に差し掛かると、確か私より三つ四つ年上の知り合いが若々しく田植え機の上で御機嫌そうだった。傍へ行って「元気だね」と声をかかると、百姓は田圃に来ると十年は若返った気がするよと、笑っていた、なるほどこれが彼の若さの秘訣だなあと改めて思った。
世の中の先を見つめる雨蛙
信濃では信濃訛りの雨蛙
車を置いて、田園の辺りを散策すると、足元で雨蛙に遭遇、雨蛙君は私を真剣に見つめているように見えたので、私は腰をおろして蛙君をじっと眺めると、逃げないで、大きな目を開けて、私でなはなく方向が違う何かを見詰めているようだった。もしかした雨蛙君は未来を見ているのではと勝手に想像した。ふと思う、私は年が重なったせいなのか、この頃、先の未来を見たり考えたことがない生活にあらためて気が付く、代り映えしない日常に、こんな小さなことに関心を寄せることで何か新鮮さを覚えた。上句の「信濃では」は「信濃では月と 仏とおらが蕎麦」の小林一茶の名句を模した句だ。だが、驚くことにこの一茶の名句と言われている句は。(長野郷土史研究会)誌によると、一茶の名句は、中村六郎が詠った句だと言われている。中村家の本職は作り酒屋(玉の井)であったが、氷蕎麦という蕎麦の製造販売もしていた。この氷蕎麦の宣伝の意味もあってこの句を作ったのだと伝えられている。