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ときめきの日々を過ごしたい

木島平村「稲泉寺」の大賀ハス

2013-07-23 07:13:33 | Weblog

 蓮の花未知なる仏手をひろげ                                                                                   

長野県北信州木島平村の観光情報を発信するサイトに ... 大賀蓮の見 頃は7月中旬~8月中旬頃に村内の稲泉寺に咲く大賀蓮は二千年以上前の種であり、現在では他の品種とあわせ五千平方の蓮園が寺を囲んでいる。 この数年、口コミで広がったのか週末になると県内外から、この大賀蓮を見に来るお客様が増加していると聞く。木島平観光協会でも、年々期待を深めているとのこと、先日少し早目かなと思い思い、写真を撮りに出掛けましたが、平日のせいかお客様が少なかった。何がキッカケだったか忘れましたが、横浜市からおいでになったと言う、団塊を過ぎて六十代半ばと推察した御夫婦と親しく話す機会に恵まれる。その御夫婦は、家内の生まれ在所「馬曲地区」の下の「平沢地区」に若い時代に職場が一緒だった方を訪ねがてら以前に情報誌で知った、この大賀蓮を見に来たのだと言う。「平沢地区」へは初めての訪問らしく、平沢の「山浦浩」さんを訪ねられたけれど、私には分かりませんでしたので、のある場所を、持っていた俳句集の一枚を使って平沢の地図を書いて渡しながら、に行ってその方の名前を訪ねるようにと、なるべく親切丁寧に知らせてあげた。御夫婦に大変感謝され少し暖かな気分なった。話しの中ではカーナビを供えて有るようだったが、良くわからないようだった

               

蓮の花咲きて父の忌近かりき       

 七月十二日は父の命日である。そんなこともあり、毎年この蓮に会いに来るようにしている。父は割と賑やかなことが好きな人でしたので、この場所は毎年一番賑やかに、しかも凛々しく咲く蓮園であるが今年はもう少し賑やかさが欲しかったような気がした。でも、蓮たちは父を待っていたかのように頬笑みを浮かべて咲いているように見ることが出来た。こんな機会にでしか父を思い出せない親不孝者ですが、商人らしく何時も笑顔を絶やさない温厚な人であった。私には商売を始めた明治の苦労人の祖父の思い出が詰まっていますが、二代目のどちらかと言えば静かな父の思い出の方が薄い。でも父は戦争に行き大変な思いをしたことを想像するが、私達には一切戦争の話をしなかった父でした。死か生かの話したくない辛い経験をしたのだろうと何時も推察していた。その父も今から一六年前八十五歳の生涯を閉じた。           

 

 

 

          蓮の花仏の姿身に入れば

        

  

 

今年は雨が少なかったせいなのか、大輪の大賀蓮が少ないようなきがした。この蓮の写真を撮るのに、撮影モードダイヤルをAに合わせるのだが。絞りの値が上手く合わないのかな色々工夫したが、あいかわらずの出来となった。「使用説明書」を見直して勉強のし直しが必要な気がしましたが、このごろ細かい説明書を見るのが面倒ですので、カスタマートセンターへ電話して詳しく伝授をいただくことにしている。目的の花の周りの「ぼやしが」どうも上手くいかないでいる。