屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

落日の海で真珠湾を想う

2005年12月09日 | 


昭和16年12月8日は真珠湾攻撃の日。
浜益海岸で落日を眺めているとき、その日のことを考えてしまった。
わたしが生まれたのは真珠湾から三日後の12月11日。
母の胎内でゼロ戦の爆音を聞いていたかもしれない。
------------
父は何年もシベリヤに抑留されていた。
父を迎えるため函館までいったのは、わたしが小学校二年のときである。
蘭島あたりだろうか、列車の窓から生まれて始めて海をみて驚いたこと、
旅館で食べたニシンが美味しかったこと、
先年亡くなった妹が父の髭面を恐がったことなど忘れられない記憶である。
夕暮れの海辺、
太平洋戦争による日本人の死者は330万人(内民間人110万人)といわれるが、
日本人だけでなく犠牲になったすべての人たちのために祈りたい。


コメント (14)