屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

大晦日

2004年12月31日 | 
洞爺湖のアヒルボートがシーズンオフで休んでいました。
長閑な大晦日です。

スマトラ沖地震の死者、行方不明者が12万人を超えました。
その数は旭川市の人口の三分の一です。いったいこの地球はどうなってしまうのでしょうか。
読売新聞の取材で米地質調査所のケン・ハドナット博士は「インドネシア・スマトラ島沖地震(マグニチュード9・0)の影響により、地球の1日の長さが100万分の3秒変化し、地軸の位置が約2センチずれた可能性がある」と明らかにしたそうです。
地軸の位置がずれるということは地球の自転に影響あるのではと思いますが、ケン・ハドナット博士は「それはあまり強調すべきでない」と呼びかけているともありました。
でも、いずれわたしたちの生活になんらかの影響を及ぼしてくると危惧せざるを得ません。

今日は大晦日です。
来年こそは良き年を願ってやみませんが、こんなときにお賽銭をあげて自分の幸運を祈るだけではなんにもなりませんね。



翌日の湖畔亭

2004年12月30日 | 
師走の洞爺湖です。羊蹄山が写っているはずですが。

中の島の左手に羊蹄山が見えてます。
遊覧船やアヒルボートが休止中なので湖が本当に静かです。
湖畔亭の庭にゴメとカラスとスズメがお互いの縄張りを守って飛び交っていました。
ゴメ(海猫)とカモメの違いってはっきりわからないけどカモメはもっと大きく羽が白くクチバシは黄色いと思いました。師走もあと一日。
奈良の女子誘拐殺人事件の犯人が逮捕されましたね。
本当に良かったです。





湖畔亭から

2004年12月29日 | 
北湯沢の道の駅。
売店にはふくろうの置物が一杯。

洞爺湖の温泉に浸かりながら湖を眺めていると夕暮が対岸の町の灯をポツリポツリと浮き上がらせて見える。
そのうち中の島が闇のなかに溶けてしまった。
インド洋沿岸の津波は最初の報道をはるかに超える空前の大惨事となった。
年末恒例のバラエティ番組がいかにも白々しい。
今年はせめて明るいニュースで締めくくってほしかった。

津波

2004年12月28日 | その他
インド洋沿岸を襲った津波の甚大な被害は余りに残酷で言葉もありません。
被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

タイ、マレーシア、ミャンマー、インドネシアには、わたしの息子の嫁さんが出張で何度も訪問していることもあって、以前から治安のことなどを心配しておりました。
まさか津波でこれほどたくさんの人が亡くなるなんて、悪夢としかいいようがありません。
また、マレーシアのペナン島は東洋の真珠といわれ、ロングスティを希望する者にとって安全で快適な「南の島」というイメージがあります。
わたしも、いつか訪ねてみたいと思ってました。
日本でリタイヤしてからペナン島に移住した方も相当いらっしゃると思いますが、いまどのようなお気持ちでしょうか。
今回の災害で生死をわけたもの、ただその人に運があったかどうか、
「運がどちらに傾くか、気紛れな天秤の行方を自分で決めることはできない」のですね。

わが町旭川

2004年12月27日 | 旭川の風景
旭川市4条14丁目付近 右手に岡島金物店が見えます

わたしのホームページ やちぶきの春 のトップページの壁紙を変更しました。
また、「わが町旭川」に買物公園、東高、ちろるのページを設けましたので興味のある方は是非御覧下さい。

担癌者の反省

2004年12月26日 | 日常
今春、痔の手術のため旭川の肛門科に入院した。
しかし手術前の尿検査で潜血がみとめられエコー検査を受けたところ、膀胱に約2センチのポリープがみつかった。
後日、北海道がんセンターで膀胱癌と宣告された。
自分だけは癌にならないと勝手に思い込んでいたので大変なショックを受けたが、幸いなことに発見が早く表在性の癌だったので内視鏡による切除だけで済んだ。
しかし、表在性の膀胱癌は再発率が高い。案の定、11月の膀胱鏡検査で再発がみとめられ再入院した。幸い前回と同じ内視鏡の手術で済んだが、いま再再発防止のため抗がん剤の治療を受けている。考えてみれば、痔の手術はさほど緊急を要するものでなかったが、もしこの手術を受けていなかったら癌の発見が遅れ、膀胱癌がより悪性の高い浸潤性に進化していたと思う。

癌センターに通算で約一月入院したが、他の癌患者さんと接しているうちに自分のいやらしい感情の動きに愕然とした。入院患者のほとんどの方は自分より重症に見えた。もちろん日常の会話や態度には神経を使っていたが、心の中では早期発見できた運の良い自分にホットして、自分はそんなに重症でないという安心感から、薄っぺらな同情心をもって接していたように思う。
そんな自分が厭なのだが、なかなかそういう感情は抑えられなかった。

自分の癌がどうなるのかわからないが、この病気はこれからの一日一日をどう過ごしていくか真剣に考える機会を与えてくれた。
後悔しないようにやりたいことをやる、ということでなく人との交わりを大切にして、やさしい気持ちを忘れずにこれからの人生を過ごしていかなければならない。
癌キャリアーになったからといって、他人の不幸と自分の不幸をはかりにかけて、それに一喜一憂するような人生は送りたくない。


雨竜の道の駅、やわらかな雪が積もるクリスマスでした。

月形のむつみ屋

2004年12月25日 | 
国道275号線の月形町、ここは悪名たかい樺戸刑務所があったところ。
「見張り橋」という小さな橋もあったりして、いかにもという感じである。
樺戸刑務所は月形樺戸博物館となって道内最古の樺戸集治監の資料・模型等を展示している。

月形に「むつみや」というラーメン屋がある。
開店したのはちょうど八年前の12月、その日のお客さんは二人だけしかこなかったそうだ。
あれから、「むつみ屋」も道新大賞を受けたりしてすっかり有名になった。
ここの店は丸木を組み合わせたログハウスである。札幌の建築業者「ログハウス21」が建造したものである。
「ログハウス21」の社長F氏は北都中学校の同級生であり、むつみ屋が開店する前このログハウスで中学のクラス会をやったことがある。
むつみ屋のラーメンは旭川ラーメンの流れを汲んでいると思う。
何度か通っているが、わたしの口に馴染みやすい味で美味しい。
ただ、カレーセットを注文したら、カレーのほうがいつもぬるい、カレーは熱くないと美味くないからね。
この日は年末サービスディ、餃子一人前100円であった。

蜂屋のラーメン

2004年12月24日 | 旭川の風景
「ちろる」を出てから久々に蜂屋でラーメンを食べた。
チャーシュウの味付けはもう少し気を遣ってほしいけど、加藤製麺のストレート麺と魚を焦がしたような独特な風味のスープが程よくからんで美味しい。
これが旭川ラーメンである。
最近のラーメンはトンコツ味が多く少しクドイ。
蜂屋のラーメンは旭川生まれにとって郷愁を感じさせる味がする。


5条7丁目の店です。

ちろる

2004年12月23日 | 旭川の風景
「ちろる」は旭川にある喫茶店のなかでも相当の老舗である。
店内の飾りはシンプルで民芸調の落ち着いた雰囲気が好きだ。
わたしが高校一年のとき休みで帰旭した兄から彼女へデートの連絡を頼まれていた。
彼女は同じ高校の三年、休み時間に恐る恐るそのクラスにいって彼女を呼び出してもらい兄のことづてを伝えるのである。
上級生がじろじろ見ているので、ちょっと恥ずかしく顔が赤くなる。
兄と彼女の待ち合わせ場所はいつも「ちろる」であった。

あれから46年も経った。
くりくりと可愛い目をした彼女のことはよくおぼえている。
いま「ちろる」でコーヒを飲んていると昔の出来事がさっと蘇ってくる。
そういう懐かしい時間に甘えて、つい長居をしてしまうのである。

小湊美和の「木曾節」

2004年12月22日 | 日常
地方概況 (22日9時発表)
(北空知・中空知では、22日朝の内まで総降雪量が50センチの大雪となる見込み、重大な交通障害やなだれに警戒して下さい。)

これから旭川に向かいます。
月形から浦臼、雨竜、と通っていくので、ちょっと雪が心配ですが、吹雪になったら高速はすぐ通行止めになるので、275号線をゆっくりゆっくり走っていきます。

きのうBSの番組で小湊美和のコンサートを聴きました。
彼女は民謡小湊流の家元の娘さんということですね。現代風にアレンジした「木曾節」がよかった!あまり民謡に興味のないものでも、彼女の民謡は新しい感覚の音楽として胸にひびきます。
ギターと尺八の演奏も微妙なバランスで、意外と合いますね。
元ちとせを思い起こさせる歌の上手さでした。


東大雪の林道、人はわたしです。