屯田物語

 フォレスターとα6000が旅の仲間
 オンネトーの秋、青い空と紅葉が湖面に映えて美しい!

鮮やかな大湯沼川探勝の道を歩く 

2005年10月31日 | 


大湯沼から大湯沼川探勝歩道へ、
ここから石水亭までのんびり歩いても30~40分くらいの道のりである。
大湯沼からそそぐ温かい水、
その流れの小さい滝の溜まりがちょうど良い足湯の場所となっている。
背広姿の三人連れも足湯に入ってきたので少し驚いた。
お湯は少しぬるめ、丸太のうえに座り、色とりどりの葉に埋れて、
静かな葉のゆらぎとせせらぎに耳を傾ける。
のんびりと時が流れていく。

紅も黄も緑も、すべての葉はしっとりと鮮やかで艶っぽい。
あの、旭岳裾合平の紅葉を思い出していた。







もうすぐ、石水亭、
あすは風もなくお天気だというので、もう一度ここを歩いてみたいと思った。


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日和山と大湯沼 いまも熱き噴煙

2005年10月30日 | 
地獄谷から大湯沼歩道をとおり、
およそ10分位で日和山の展望台に着いた。
日和山は標高377mの活火山、ガンコウランやイソツツジの群落があり、
7月~8月には日和山原生野草園で花が楽しめる。
大湯沼は周囲約一キロ、沼底では132度の硫黄泉を噴出している。
流れ込む水を40度以上に温め、大湯沼川となって探勝歩道の脇を流れる。
ここの途中の流れは、足湯にはちょうどいい湯加減であった。






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地獄谷から大湯沼へ歩く

2005年10月29日 | 
10月25日、登別二日目。
遅い昼食をすませてから、地獄谷から日和山大湯沼へ向うことにした。
地獄谷の遊歩道には柵がたてられていた。
昔はなかったような気がする。
冷たく強い風、これでは紅葉は一気にすすむはずである。



約一万年前、笠山という活火山が噴火したときの爆裂火口跡、
谷に沿って数多くの湧出口は噴気孔がある。





ナナカマドの広場から大湯沼に向う、
途中ツリバナを見つけた。


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登別石水亭 39年前の想い出

2005年10月28日 | 
ポロト湖から国道36号線へ、あと少しで登別温泉。
思い出すのは小学校時代の修学旅行と新婚旅行のときである。
修学旅行は第一滝本館に宿泊。
その時代のお風呂は混浴で、湯気の向こうの白い肌をみて小さい胸がドキドキしたこと、
館内が広すぎて迷子になったことなどを憶えている。
昭和41年10月26日、新婚旅行の最終日は登別プリンスホテルに宿泊。
いまの登別石水亭である。
桐生の親戚を案内して登別に来ていた叔父の車に乗せてもらって、
旭川まで帰ることにしたが、なんと札幌市内の交差点でエンスト。
ついに新婚さんは車の後押し、前途多難な結婚生活の幕開けとなった。(笑)



国道36号線を右折、
登別温泉街が近くなってくると、鮮やかな紅葉が目に沁みる。
どうやら、ここ2~3日が見頃か。



登別石水亭の紅葉、
あれからちょうど39年もたってしまった。




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ポロト湖 母と子の涙

2005年10月27日 | 
シラオイコタンに若い夫婦と子供が住んでいました。
初冬のある日、夫は狩にでかけたまま帰らず、コタンの人たちは必死になって
探しましたが、ついに見つけることができなかったのです。
あきらめきれない母の涙がポロトに、子の涙がポントになりました。


ありきたりのアイヌ伝説ですが、最近はこういう他愛ない話にも、
こころ動かされるようになりました。
やはり年齢のせいかもしれませんね。

秋風がつめたい ポロト湖、 シーズンオフの静かな雰囲気はとても心地良いですね。
向こうに見える、おかしな頂きの山は樽前山です。
来年の6月か7月に登ることにしました。





エゾノコンギクだと思います。
野花の少ない晩秋の季節、ひときわ白く輝いています。
エゾゴマナもありましたが、ひょっとしたら違う野菊かもしれません。



カエデかなあ、
秋はだいぶ進んできてますが、
キャンプ場に向う遊歩道はまだまだ紅葉がきれいです。
夕暮れがせまってきました。


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紅葉の登別へ まずヒグマのお迎え?

2005年10月26日 | 
ほんとうは沖縄へいく予定でしたが、諸々の事情があって、
道南の登別にいくことにしました。(泣)

千歳の近くで給油。
えっ、114円/ℓなんて安い安い、いま札幌市内では125円/ℓ位、
なんといっても安いのは嬉しいね。



まず最初の目的地、白老のポロト湖につきました。
なんと熊出没注意の看板がお出迎えです。


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手稲山 すっかり秋晴れ

2005年10月24日 | 日常
今朝の手稲です。
素晴らしい秋晴れ、手前の防風林もだいぶ黄色づきましたね。
道南は20日前後が紅葉の見頃とか、
これから、登別方面へ行ってきます。
2~3日、「屯田物語」を休みます。

先日、神仙沼へいったときのアルバムを
晩秋の神仙沼  ←(クリック) に掲載しております。
お時間があれば寄ってみてください。

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晩秋の桂沢湖 黄昏を迎えて

2005年10月24日 | 
    いつしらに
   夫は父の如くなり
   子の如くなり
   逝きてしまいぬ  

   食卓の
   亡き子の椅子はそのままに
   わずかな風の
   通り道なり


葬儀が二つ続いたせいなのか。
日曜日のNHK短歌をみたとき、とくに印象に残った二首である。
自分が亡くなったあとのことはわからない、
しかし、自分ひとりが残されたとしたら、
   ・・・の椅子はそのままに
このような気持ちになってしまうかもしれない。

女は悲しいことがあると、思い切って泣く、必ず泣く。
何年かあと、泣いたことは憶えていても、
なぜ泣いたのかは憶えていない。
男は、泣かない、多分泣かないと思う。
ただ、うじうじと、その悲しみを引き摺るだけ。

夕暮れ近い桂沢湖である。



桂沢湖は桂沢ダムの人造湖である。
あのエゾミカサリュウの馬鹿げた工作物をのぞけば、
いたって穏やかな風景であった。




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桂沢湖にゴジラあらわる! 

2005年10月23日 | 
三段の滝から桂沢湖へ、
なんと湖畔に恐竜が出現、ティラノサウルスかアロサウルスか、
でも、どうみても出来の悪いゴジラのようでもある。
ここからアンモナイトや恐竜の化石が発掘されているらしい。
いわば、恐竜の故郷ということだが、
どう贔屓目にみても、あまりにお粗末なゴジラである。
父親に抱かれていた幼子がこの異様な怪獣をみて泣いていた。
なんとかしてほしい、もちろんゴジラのことだよ。



ゴジラがいなければ静かな桂沢湖、
紅葉はもうそろそろ散りぎわである。




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三段の滝 天女が羽衣で岩を撫でる

2005年10月22日 | 
通夜のとき、ご住職が一劫についてお話しをされました。
「劫(コウ)とは、きわめて長い時間、もしくは永遠を意味する仏教用語であり、
一劫とは一辺40里の岩を三年に一度、天女が舞い降りて羽衣で撫で、
岩がすり切れてなくなってしまうまでの時間を指します。・・」
未来永劫という意味は知っていても、劫という言葉の深みをあらためて知りました。

そう考えてみれば、
囲碁でいえばコウ争い、三劫あれば勝負は無限に続きます。
将棋でいえば千日手(約三年)、これも永遠に同じ手順を繰り返します。
もっとも、囲碁・将棋ともルールがあって、いずれも指し直しとなりますが。
やはり、三という数字にも仏教的な意味があるのでしょうか。

三を意識したわけではありませんが、
旭川の葬儀のあと、芦別の「三段の滝」へ行くことにしました。

「三段の滝」近くの公園で休憩、
誰もいない公園、見応えのある紅葉の山々に驚きです。





水かさの少ない滝、
天女が羽衣で岩を撫でているような流れの「三段の滝」です。


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