屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

将棋竜王戦 第四局 ▲7五金の圧力

2006年11月30日 | 将棋
将棋竜王戦第四局、
一日目の封じ手は▲3八飛であったが、
▲3六の銀をどう捌くか、もしかして先手が苦しいかと。。
しかし、すんなりと銀交換できたから、渡辺竜王が優勢になったと思った。
▲7五金で勝負あり・・
以下、▽5六角打ち、▲8四銀打ち、と王頭に殺到する。
いよいよこれでイーブンとなった。



百合が原公園の温室で・・
外はモノクロの世界、温室の花も同じ感覚で表現してみた。


コメント (2)

そのとき歴史が動いた ひらがなと漢字

2006年11月30日 | 日常
   東風吹かばにほひをこせよ梅花
   主なしとて春を忘るな


きょうの ”そのとき歴史が動いた” から・・

菅原道真と藤原時平の確執は結果として、
基盤としていた中国の律令制度からの文化的独立となった。
いわゆる国風文化の誕生である。
道真失脚のあと、時平は醍醐天皇の命によって古今和歌集を編纂した。
それまでは漢詩文だけであったが、
和歌として初めてのひらがなによる勅選集となった。
それが、漢字だけの公用語を和漢混淆文に改める契機になったという。


道真は漢文の教養が豊かであり、辞世の句も漢詩文であった。
”東風吹かば・・”
それならば、この歌も和漢混淆でなく漢字で詠まれていたのではないかなあ。
もし、すべて漢字ならどう表記するのだろうか。



お母さんとおばさん?かなあ・・
ふわふわする落葉のうえで遊ぶ子供を夢中になって撮っている。
ちょっと寒いけど微笑ましい風景だね。
手稲山の夕暮れときである。

コメント (6)

せめて歌棄磯谷まで

2006年11月29日 | 日常
百合が原公園へ出かけるつもりが、
なんとなく出そびれてしまった。
来週の検査を控えているせいで、少し落ち着かない。

造反議員の復党問題について、
相変わらず、マスコミは批判的な報道を展開しているが、
ブッシュ大統領の敵か味方か、小泉総理大臣の賛成か反対か・・
反対するものはすべて敵というのは単純すぎる思考であった筈。
しかし、いまだにマスコミも国民も小泉劇場の自縛から逃れられないということか。



黒松内から国道229号線へ入り、真っすぐ日本海へ向かう。
駒ケ岳をおおった爽やかな青空はここにはない。
波の花が一面に飛び散っている”歌棄の海岸・・”

”忍路高島 およびもないが せめて歌棄磯谷まで”(追分記念碑)

対岸は風の町”寿都”である。
風車が見えるだろうか。



追分記念碑の向かいは”鰊御殿”
明治12年に仕込屋である橋本与作が建てたといわれている。
釘を一本も使っていない建築ということである。

共和町で磯ラーメンを食べてから札幌へ・・



コメント (4)

造反議員の復党について 

2006年11月28日 | 日常
郵政民営化に反対したからといって、
造反議員を自民党から追い出したのは無茶苦茶な論理であった。
刺客候補を擁立して反対派を落選させようとした陰湿なやりかたも性に合わない。
したがって、造反議員の処遇がどうなろうとも、
あの小泉チルドレンたちの行動は生理的に受け付けられない。

結果的に11人の復党が決まったが、
前回の選挙は白か黒のわかりやすいフレーズに踊らされた結果であった。
世論は復党に批判的であるが、
マスコミの大義ぶった報道に煽られないよう願いたいものである。



森の道の駅から駒ケ岳を望む。
ドウダンツツジの紅葉が一際きれいであった。

噴火湾・・

晴れているので黒松内から岩内へ向かうことにした。




コメント (7)

駒ケ岳の姿に感激

2006年11月27日 | 日常
「ハル・・」
わたしを呼んでいる。
だれかと思って振り返ると若い男じゃないか・・
彼の視線の先には、まだ5~6歳の男の子。
いまどき、わたしと同じ名前とは珍しいが、
利発そうな子である。
60年前のわたしがそこにいるようだ。(笑)

二日酔いのときは温泉がいちばんであるね。



明日の天気は大荒れという・・
とくに日本海側は吹雪の予報なので、
江差へまわることはあきらめる。
大沼から長万部~倶知安をとおって帰ることにした。

それなのに、大沼のこの晴れ模様はどうなったのだろうか。
昨日の暗い沼の風景はすっかり拭われて、駒ケ岳がその秀麗な姿をみせてくれた。
そこで、大沼へ寄り道・・



駒ケ岳をおおう雪はほんのわずかである。
もう少し、白い山を想像していたが・・



コメント (4)

函館山と冬の海

2006年11月26日 | 日常
きのうはいささか飲みすぎた。
霜月会は34名の参加であったが、ひょっとして卒業以来はじめて会う方もいるのかなあ・・
みなさんとても元気そうでいきいきしていた。
身体は年相応であっても気持ちは充実しているということである。



湯の川グランドホテルの前浜から函館山を眺める。
あの半島の左端が立待岬へつながる。
洞爺丸遭難の七重浜はあの函館山の向こうとなる。

こちらは黒岩岬へ続く浜・・
冬の海、そういう感じがするではないか。



そうそう、海の向こうに見えるのは下北半島と思う。



コメント (8)

霜月の友と会う日

2006年11月25日 | 旭川東高校
   霜月の友に会う日はいそいそと
      お洒落えらびの君をみている


今日の午後6時から京王プラザホテルで 旭川東高の第10期同期会(霜月会) が開かれる。
卒業50周年の区切りまで、あと4年となったが、
これからも10年位は元気で集まりたいと願っている。

大沼の冬景色 三景





コメント (4)

大沼 これからの冬景色

2006年11月25日 | 日常
   雪に埋れし過ぎゆきにすがりつく
      山水荘の朽ちた看板




新婚旅行は四十年前の秋の大沼であった。
あの日は雨・・
湖畔の藤棚はそのまま残っていたが、
そのときの旅館はすでに廃業していた。



少しづつ雪が強くなってきた。
晴れていれば駒ゲ岳がみえるのだが、いまは低い雲にかくれてなにもわからない。



小沼・・
なにかに驚いたのか、いっせいに飛び立つ鴨の群れ。


コメント (8)

岬めぐり

2006年11月24日 | 日常
   あなたがいつか 話してくれた
   岬を僕は たずねて来た
   二人でゆくと約束したが 
   いまではそれも叶わないこと




高校時代、美術部のメンバーと写生旅行できたことがある。
それから、室蘭工大の明徳寮を訪ね友人と麻雀をしたことぐらいか、
室蘭の思い出はそれだけである。

地球岬は朝日新聞社主催の北海道の自然100選で得票第1位になった。
太平洋に面する海岸線は素晴らしい。
神威岬 の荘厳な眺めとは違った風景がそこにある。



岬という言葉にはとても優しい響きがある。
そこには懐かしい記憶がたくさん埋まっているかのようだ。
岬が近くなると、ウィークエンドの 岬めぐり を聴くことがあった。
BGMで気分を盛り上げようとの魂胆である。
 
    ・・・
    岬めぐりの バスは走る
    窓に広がる 青い海よ
    悲しみ深く 胸に沈めたら
    この旅終えて 街に帰ろう




もうすっかり日暮れてきたが、これから大沼まで走ることになる。
あの白鳥大橋を渡っていくことになる。

コメント (7)

ホッキカレーと塩ラーメン

2006年11月23日 | 日常
11月22日は”いい夫婦の日”とか・・
大沼プリンスホテルや湯の川グランドホテルの”いい夫婦の日”の旅プランは
とても魅力的であった。
そういうわけで、21日は大沼、22日は函館・・
あとの行程はゆきあたりばったりというものである。

季節はあまりよくない。
温泉はもちろんだが、苫小牧のホッキカレーと函館の塩ラーメンが食べられればいい、
そういう軽い気持ちであった。



苫小牧の漁港にある知る人ぞ知る”マルトマ食堂”である。
駒大苫小牧の田中君の色紙もあった。
ホッキは苫小牧の名産であるが、ここのホッキカレーは格別旨い。
カレーの具はホッキだけなのかなあ・・
柔らかく甘いホッキを堪能したいかたは是非!



塩ラーメンといえば函館・・
”一文字”の塩ラーメンも旨かったね。
窓越しに大荒れの海をみながらの暖かいラーメンは骨身に沁みる。
写真を撮るのわすれて、おもわず箸を付けてしまった。(笑)

コメント (2)