旭川に建つ歌碑といえば、まず、神居古潭の九条武子、春光台の若山牧水の二つが頭に想い浮かぶ。
たぎつ波ましろう白う岩にちる神居古潭のくもれる真昼 九条武子
九条武子は大正期を代表する女流歌人、旭川には大正11年と昭和2年に訪れ、
神居古潭でこの歌を詠んだという。
先年亡くなった村岡の母が、「九条武子さんはきれいな人だった」
と繰り返し言っていたことをよく覚えている。
野ぶどうのもみぢの色の深けれやからまつはまだ染むとせなくに 若山牧水
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牧水の歌碑
平成24年4月13日、石川啄木没後百年の命日を記念して旭川駅舎内に啄木の歌碑像が建てられた。
啄木が旭川の駅前旅館に宿泊したときの歌四首が刻まれているそうだ。
四年ほど前、井上靖記念館に斎藤史の歌の短冊が展示されていた。
つゆしぐれ信濃は秋の姥捨てのわれを置きさり過ぎしものたち 史
この短冊の横に「西勝洋一氏所蔵」とのことわり書きがあって、
思わぬところで友人の名前をみつけたから驚いた。
「道北を巡った歌人たち」
装丁の写真はカムイコタンのトンネルであろうか。
執筆者のひとり西勝洋一君は旭川東高の友人である。
同期の方たちに是非この本を読んでいただければ嬉しい。
~斎藤瀏、史のいた時代~を読むにつれ、
斎藤瀏の歌が年々洗練されてゆくのを感じるが、
そのなかで、次の歌は文語体の読解力がなくてもせつなく胸に響いてきたのであった。
薪をきる同じ調子の音さびし薪きり男歌を謡へよ(家々の薪を切りて口を糊する男あり) 斎藤瀏
大正時代、旭川では他所様の薪を切って生計を立てた人がいたのである。