旭川東高生逍遥歌
作詞:大村正次 作曲:後藤功
急遽作ったフォトムービーですが、神楽岡公園、上川神社、神居古潭の風景、そして「氷点」の舞台となった富貴堂と「珈琲亭ちろる」の画像を挿入したので、旭川のことをご存知の方はどこか懐かしさを感じていただけたのではと思います。
神居古潭に九条武子の歌碑が建っていました。
たぎつ波 ましろう白う 岩にちる
神居古潭の くもれる真昼
ユーチューブの「埋め込み許可」をオフにしたため、再生出来ない不具合がありました。いまは通常どおり再生出来ます。
(注1):嵯峨寿安(1840-98) 日本人として初めてシベリアを横断した人物、新川郡東岩瀬(富山市)の大村屋の出身。家は代々伝馬問屋を営み、父健寿は医者となり金沢で開業、安静四年江戸の村田蔵六(大村益次郎)の蘭学塾に入り、二代目塾頭となる。その後金沢壮猶館教授となり、明治二年加賀藩よりロシア留学を許され、翌三年横浜から函館を経て、ウラジオストックからシベリアを横断して、ぺテルブルクに赴いた。明治七年帰国。北海道開拓使を命じられる。後に失意のうちに岩瀬に帰り医者を開業するが、明治三十一年(1898年)広島で客死(富山県姓氏家系大辞典より)。大村正次二才時に亡くなったことになる。(後日改めて触れる予定だが、「正次」の北海道行きの理由の一因を成したとも考えられるので、記憶願い度し。)
(注2):嵯峨正作(1853-90)史学者であり東岩瀬村(富山市)の医師嵯峨健寿の四男。兄に寿安が
いる。明治25年上京、東京経済雑誌で「大日本人名辞書」の編纂にあたる。同二十一年独学の成果「日本史綱」を著す。菩提寺は東岩瀬の養源寺。(富山県姓氏家系大辞典より)