屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

長崎平和祈念公園 そして旅のおわり

2010年04月10日 | 九州の旅


第五日目
稲佐山~平和祈念公園~めがね橋~長崎県防空本部跡~サント・ドミンゴ教会跡~
長崎歴史博物館(坂本竜馬特別展)~長崎空港=羽田=新千歳空港

「八月の狂詩曲」黒沢明監督

原爆で溶けたジャングルジムの前・・

「今の長崎、原爆落とされたところとは思えないわね」
「人間ってなんでもすぐに忘れてしまうのね」
「俺は絶対忘れないぞ」


わたしもこのジャングルジムに触れてみたかったが、
長崎市立南大浦小学校は廃校になって、
ジャングルジムは撤去されたそうだ。



なぜ広島につづいて長崎にも原爆を投下したのだろうか。
「戦争を早く終結して犠牲者を少なくするため」
・・といいはるアメリカという国に真底親しみは感じない。



めがね橋・・
なんか想像していたのとちょっとイメージが違ったかなあ。



やはり長崎は坂の町であった。
サント・ドミンゴ教会跡を出て、ななめ右に長崎歴史文化博物館、
この道の突き当たりを右にゆけば防空本部跡がある。





長崎歴史文化博物館・・
坂本竜馬と岩崎弥太郎の銅像はまっこと威厳があった。

福山雅治フアンなら「坂本竜馬の特別展」は必見かも。



五日間の「九州全県周遊よくばりツアー」もおわって、
長崎空港からまだ雪の残る札幌へ・・
早朝の出立は大儀なときもあったが、
いま考えてみれば、結構楽しい旅であった。

「読売観光」の添乗員さん、「熊本バス」の運転手さん、ガイドさん、
みなさんとても一生懸命につとめていただいて、ありがとう!

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湯布院~柳川 情感溢れる町

2010年04月09日 | 九州の旅


第四日目
阿蘇ホテル~九重夢の大吊橋~湯布院~柳川~長崎稲佐山ホテル

ガイドさんからかなりプレッシャーを受けて、
「高所恐怖症のかたは吊橋の途中で歩けなくなるかも・・」

何年か前、「谷瀬の吊橋」を渡ったとき、踏み板の隙間から谷底がみえて、
しかもゆらゆら揺れて、一瞬足がすくんだことを思い出した。
でも、九重の大吊橋は高さも長さも日本一だが、作りが頑丈なせいか、
あまり恐怖感はなかった。





あこがれの湯布院・・
平日なのにたくさんの観光客がいて、芸術溢れる街並みというだけあって、
女性に人気というのもうなずける。
水辺の菜の花がきれい、小道を歩いていると由布岳がどこからでも見えて、
こういう町の雰囲気っていいね。





第一日目からずっと晴天続きであったが、
柳川の町にはいってから雨がぼつぼつと降り出してきた。

 雨はふるふる
 城ケ島の磯に
 利休鼠の雨がふる


城ケ島ではないが、さすが北原白秋ゆかりの城下町であった。



舟の上では傘はだめ、
ビニール合羽をすっぽり被って舟に乗りこむ、川べりの桜が雨にしっとり濡れて美しい。
ただ、思うようにカメラを操作できなくてもどかしい。
このまま柳川で二三日過ごしてみたいと思った。

船着場で添乗員さんがわれわれを待っている。
忙しいときはひと月のうち20日間も旅をしているそうだ。

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阿蘇五岳は野焼きがおわって

2010年04月08日 | 九州の旅


あれはスサノオノミコト?
いえいえ、怪力自慢のタジカラノミコトだよ。

アマテラスオオミカミは予期していたので、
岩戸を持ち上げようと必死のタジカラの形相に笑いながら外へでた。
やがて高天原が元の通り陽気で明るい世界に戻ったのである。




「天の岩戸」は撮影禁止!
若い宮司さんのお話はなかなか巧みで面白かった。



さあ、いよいよ阿蘇外輪山・・
周囲は百キロ以上もあるそうで、その規模の壮大さに驚いた。



阿蘇・草千里を歩く・・

ガイドさんから注意事項?
「もし、牛の糞をふんづけてきたら靴を洗ってきてください」

鳥帽子岳の裾野をぐるり見回しても、どこもかしこも野焼きがおわったばかり、
ただ荒涼とした黄色い風土となって果てしなく広がっていた。



第三日目の宿泊は”阿蘇ホテル”
(われわれツアーの熊本バスは派手派手朱色!)

源泉かけ流しの湯から阿蘇五岳が一望できる。

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鬼の洗濯板~高千穂峡 古事記を巡る

2010年04月07日 | 九州の旅


第三日目
青島~宮崎神宮~高千穂峡~天の岩戸神社~阿蘇・草千里~阿蘇ホテル

日南海岸の日向灘に浮かぶ周囲約1.5キロの小島、
お天気はいいのだが、風は少し冷たい・・
鬼の洗濯板が珍しくて、まさに想像していた以上の奇観であった。



熊本バスのガイドさん(とても感じがよかった!)・・

「宮崎神宮はジャイアンツ必勝祈願で有名な神社です」

そういえば、読売観光のツアーだから、ここの参拝をはずすことはできないわけだ。



高千穂峡のV字渓谷を真名井滝に向け歩け歩け・・
きつい下りがつづいて、シルバー世代のツアーゆえガイドさんは心配していたようだが、
それはまったくの杞憂におわった。



もっとも、高千穂峡を下りきってから、
マイクロバスがわれわれをバスの駐車場まで送ってくれることになっていた。
これがバスツアーの便利なところである。

イザナミから逃れたイザナギが黄泉のけがれを落としたという日向の地から、
アマテラスオオミカミがお隠れになった「天の岩戸」へ・・
いよいよ「古事記」のヒロイン登場!




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特攻平和会館 知覧の母を訪ねて 

2010年04月06日 | 九州の旅


「どんな事があっても撃沈させて帰ってくるからね」
「じゃっどん、どげんして帰っとな?」
「ホタルになって帰ってくる」
「だからホタルが来たら僕だと思って、追っ払わないで、よく帰ったと迎えて下さい」

 
 華のときは悲しみのとき    著者:相星雅子
・・・
出撃前夜、
宮川軍曹と知覧の母(島浜トメさん)の最後の会話であった。



特別攻撃隊で散った若者たち・・
「崇高な死」か「無意味な死」か、
ただ云えることは軽々しく二者択一で彼らの死を決めつけることはできない。
もちろん、「崇高な死」と断じることにためらいはあるが、「無意味な死」とする論調はあまりに冷酷で心がない。
わたしは、時代の悲劇に翻弄された痛ましい死としか捉えられなかった。

戦争は許しがたい行為だが、
平和を無傷で手に入れることはできない、それは残酷な現実なのである。



出撃前夜は知覧の宿で最期のご馳走を頂いたそうだが、
それまでは、この三角兵舎で過ごしていた。
そのときのことを思いながら、兵舎のなかを見渡すとこみあげるものがある。
バスツアーでご一緒のご婦人が、眼をうるませて白い枕をやさしく撫でていた。

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西郷隆盛と西南戦争・・

2010年04月05日 | 九州の旅


第二日目
霧島温泉~黒酢の里~知覧観光(武家屋敷・特攻記念館)~城山展望台~青島グランドホテル

福山町は黒酢の里で有名ということだが、わたしは兵馬俑の如き甕の大軍に圧倒されていた。

知覧は島津家の分家である佐多氏が地頭として治めていた。
現在も武家屋敷にお住まいになっているかたがいて、表札はすべて「佐多」姓であった。
さすが、知覧の里である。



昼食は豚骨ラーメン・・
これは旨い!



鹿児島市内に入って、城山展望台へ・・
西郷隆盛さんは見慣れた着物姿ではなく軍服姿である。

明治新政府をつくった薩長土肥の下級武士たちは自ら華族になって生活が豊かになり堕落していった。
こういう状況を嘆いたのが西郷隆盛である。
征韓論に敗れたことが西南戦争の要因といわれるが、
もともとは「武士の貴族化」にたいする強い憤りが根底にあった。



桜島がくっきりと素晴らしい。
西郷さんは城山から桜島を眺めながら、日本の未来に思いを馳せていたに違いない。



さあ、鹿児島から宮崎へ・・

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花は霧島、焼酎は薩摩・・

2010年04月04日 | 九州の旅


第一日目
新千歳空港=羽田=鹿児島空港~焼酎工場GEN~霧島温泉(霧島観光ホテル)

まだ雪が残る札幌から南国の薩摩へ・・
鹿児島に来てみれば、どこもかしこも桜が満開、
モノクロからカラーの世界に突然ほうり込まれた途惑いがあって奇妙な気分である。
さあ、薩摩焼酎の試飲だよ、はやく夢から覚めてしっかりといただくことにしよう。
すべておまかせツアーなのでこういうときは有り難い。



ホテルの内庭を散策・・
満開の桜の樹の下に足湯が三か所もあって、遠くに霞みがかった桜島が見える。
源泉かけ流しの温泉を満喫!
そして、40名のツアーといえど他人さまばかりの至って静かな夕食風景であった。

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よくばり九州全県周遊ツアー

2010年04月03日 | 九州の旅


3月28日~4月1日まで4泊5日の旅・・
九州全県を周遊(福岡、大分、佐賀は通過しただけ)、それでもタフな日程であるが、
温泉と桜を満喫して、宿も良かったしお得なツアーだったと思う。

さて、そんな旅のことをあれこれ紹介してゆくつもり、
まず、プロローグは青島の朝日と霧島の桜で幕明け・・

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