JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

梅に詣でて桜待つ

2008年02月22日 | s-u

今日は一昨日にも増して暖かな一日でした。やはり春らして天候になってくると、心がウキウキしてくるのは、人間にもしっかり動物としての本能が残っているということなのでしょうね。昼食を食べ終えてあまりに暖かいので公園の中を散策してしまいました。

何処かに春は落ちていないかと探してみましたが、よく考えてみれば暖かかったのはここ三日ほど、易々と見つかるわけもなく、心地よい風に春を感じるのみ・・・・・・・
いやいや、ありましたありました。たった一本、小さな梅の木が可愛いピンクの花をつけていました。

「Kさん、たしか息子さん受験だったよねぇ、どうした?」
「おかげさまで、○○大には何とかひっかかりました。」
「よかったね、おめでとう。」
「いやいや、国立の発表がまだですから」
気付けば早二月も下旬、弥生三月も目の前です。勉強を頑張ってきた受験生たちは、梅に詣でて桜が咲くのを待つ、そんな季節でもあるのですね。
来年は我が娘も高校卒業の年、進路は未だ決めかねているようですが「来年の今頃は桜のつぼみが何とかほころびかけていれば良いなぁ」なんて思いながら梅の花を観ておりました。

「梅には霊力が宿っている」てな話をお聞きになったことはありますか?
『梅』の異字体は『楳』、もとの字は『某』で、これは曰(えつ)と木とを組み合わせた形なのだそうで、曰(えつ)とは神のお告げごと、「木の枝に曰(えつ)をつけて神意を問い謀る」といった意味にもなるわけです。これも昔、渡来花であった梅を唐風文化の尊崇とともに天神さまと結びつけたという歴史に事を発するとか。
ゆえに、現代でも天神様に合格祈願した後、お札などを梅の木に結びつける習慣が残っているのだそうでありますよ。

東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花
あるじなしとて春な忘れそ

時の右大臣、菅原道真が、藤原氏の陰謀により突如大宰権帥に左遷てれたとき、幼少より親しんだ京の梅にこの歌を残し旅だったわけですな、するとあるじ(道真)を慕った梅は、道真が太宰府に着くと、一夜のうちに大宰府の道真の元へ飛んで来たという、いわゆる『飛梅伝説』でありますが、学問の神、菅原道真と天神木の梅、これに詣ればいかにも御利益がありそうですよね・・・・・そういえば、私も高校3年生の時、部活の全国大会のついでに「太宰府天満宮」を参拝しましたっけ・・・あっ、だから勉強もしなかったのに、いかに三流大学とはいえ引っかかったのか?

まぁ、娘のために九州まで出かける余裕も気もありませんから、今日撮ってきた梅の写真にでもお願いしておきましょう。
「どうぞ来年は、娘にも桜が咲きますよ~~に」
えっ?梅に桜のお願いしてもダメだろうって・・・・やっぱりそうですかね(笑)

さて、今日の一枚は、マッコイ・タイナーです。
「後期コルトレーンの呪縛から解き放たれたマッコイがここにいる」てなことおっしゃる方がとても多いアルバムです。
ところが、私はこの評にはちょっとした不満を持っておりまして、
まずは表現が悪い。まるで「コルトレーンといっしょにやっていた時には、コルトレーンに振り回されていた」みたいにもとれるじゃないですか。
仮に、そうとらなくても、コルトレーン時代とは全く違ったマッコイが現れたみたいな・・
私には、このアルバムに新生マッコイと新生エルビン・ジョーンズが見えるとは感じません。そういった意味では、まだ充分にコルトレーンの呪縛に捕らわれ続けている彼らがいるように思えるのです。

勘違いしないで下さい。それが嫌いだといっているわけではありませんよ。むしろそれがあるからこのアルバムが好きなのだと思います。
私的にジョー・ヘンダーソンには不満があるものの、マッコイ、エルビンの演奏には満足いく一枚であると思っています。
とか言いながら、今日久しぶりに聴いたんですけどね。(笑)

もし、コルトレーンの呪縛というものがあったとしたら、二人が本当の意味でそれから逃れられるのは・・・・・・
いやいや、コルトレーンの呪縛など最初から存在していたのではなく、マッコイ、エルビンが、それまで築き上げてきたスタイルをコルトレーンのもとを離れて、どう発展させていったのか、そこを追うべきでなのでしょう。

THE REAL MCCOY / MCCOY TYNER
1967年4月21日
MCCOY TYNER(p) JOE HENDERSON(ts) RON CARTER(b) ELVIN JONES(ds)

1.PASSION DANCE
2.CONTEMPLATION
3.FOUR BY FIVE
4.SEARCH FOR PEACE
5.BLUES ON THE CORNER



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2 コメント

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monakaさん (バブ)
2008-02-23 22:30:46
マッコイは、まわりが「コルトレーンの呪縛、呪縛」って騒ぎすぎたので、一時そこから無理矢理逃避しようとした時期があったように思えます。
それが軽くというか、薄っぺらというか、そんな方向へ向かった一つの理由ではないでしょうか。

コルトレーンと共に築いて来た音楽スタイルを、マッコイなりに消化していく、そこに外野のいらぬ言葉が迷いを生じさせた、そんなふうに私は思っています。
(どちらかといえば、その事に先に気づいたのはエルビンの方だったようにも思いますし・・・・)

もっと早く、コルトレーンの影響ととらずに、マッコイのスタイルだと割り切れば、このアルバムのような伸びやかなピアノが、さらに発展したようにも思えるのですが
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マッコイが好きな時期は (monaka)
2008-02-22 23:08:24
バブさん、こんにちはmonakaです。
M・タイナーのピアノが大好きでした。というのは今を聞いていません。新しいアルバムも出ていますからそれは別としなくてはいけません。そしてそれを別にしてこのアルバム大好きです。
コルトレーンとグループでの奏法に、自分の自由さが加わってとても伸びやかなマッコイを感じます。
この先(かなり先ですが)どんどんマッコイの音が軽くなって行くように感じるのはなぜでしょう。
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