ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「日本語」は無くならないか?

2012年01月07日 | とんでもない!
 先日から、日本語としての「やばい」がヤバイとか、「日本」は、ニホンかニッポンかと自問自答する様なブログを続けて記しているのだが、今回はなんと「日本語」が無くなりはしないかということについて記したいと思うのである。

 唐突に何故「日本語」が無くならないかというテーマについて記すきっかけになったのは、直接関係はないのだが、今夕の夕刊に毎日新聞の場合は大きく掲載されている、大相撲における国技館での優勝力士額からなんと、日本人力士の額がなくなってしまうというニュースがあったためでもある。

 ここ数年に始まったわけではないが、日本相撲協会とやらを中心に、NHKや文部科学省関係者などは、相撲はニッポンの国技だと言っているわけなのだが、ここ十年近くは朝青龍や白鵬を中心とするモンゴル出身のお相撲さんが横綱として君臨するだけでなく、大関、関脇、小結をはじめとする三役、そして前頭でも日本人力士を確認していると半数近くが外国人力士に日本相撲協会は占拠されていることがわかるのである。

 そこで、相撲協会も必至で琴奨菊と稀勢の里を大関に昇進させて、何とか土俵での日本人力士の活躍を演出し、願わくば「幕内優勝」という栄誉を、久しぶりにでも日本人力士に勝ち取ってもらいたいという強い願いを持っているようなのだが、如何せん勝負の世界は実力次第であり、なかなか日本人力士の優勝という期待だけでは到達しにくい現状となっているのである。

 明日、今年最初の「初場所」を迎えるれ両国・国技館で、初日を前に「新旧の優勝額の入れ替え」が行われ、今から6年前に日本人力士として優勝した当時の大関・栃東(現玉ノ井親方)の優勝額ともう一枚がはずされて、日馬富士、白鵬、両モンゴル出身の前場所、前々場所の優勝力士の優勝額に付け替えられてしまい、掲示されている32枚の優勝額全てが外国人力士という有様となってしまった。

 内訳としては、横綱・白鵬が20枚、元横綱の朝青龍が9枚、そして日馬富士2枚、ブルガリア出身の琴欧州1枚と、見ごとに日本の国技と言われる「大相撲」の本拠地、両国・国技館の優勝額から、日本人力士の姿が消えてしまったのである。

 最近の大相撲は、八百長問題や野球賭博問題、また部屋での暴力行為の事件などが続く中、日本人力士の実力が低下したのか、はたまたモンゴル出身力士をはじめとする外国人力士たちのハングリー精神と体力的優位さも加わってか、日本人力士の本場所での幕内最高優勝の可能性は、正直なところ当分難しいと言った憶測が妥当なところと思われるので、何時までこういった状態が続くのか、大相撲人気に顕著な陰りが見えていることは否めないので、たぶん関係者は大変危惧されていることだと思われる。

 大相撲とは全く関わりはないと言えるのだが、私が掲げたテーマとしての「日本語は無くならないか?」についてなのだが、最近読み返している本の中に、「日本人は地球人になれるか」という中森蒔人著の本があり、宇宙がビック・バンと称される大爆発によって150億年前に無数の星の集合体として誕生し、地球は約46億年前に誕生し、35億年ほどまえに生命体が発生、20億年前に酸素が大気中に出きはじめたとされるが、人類が地球上に誕生したのは多く見ても500万年ほどしか経っていないらしいのです。

 つまり、地球誕生をゼロとして、一億年を1センチメートルとして46センチの地球の今までのメジャーを作って見たとすると、なんと人類の誕生は最後の0.5ミリに過ぎない極端に短い歴史と言うことが言えるわけで、その人類の歴史の中で、果たして現在の日本人民主主義かどうかは定かではありませんが、一応議論や研究やお喋りが出来るコミュニケーションツールとしての日本語を獲得したのでしょうか。

 日本語の歴史を遡るには、多くの言語や民族としての「日本人」を研究する方々に、今回はお任せするとして、歴史と言えば、今後の日本語がどうなるかを推測することは素人でも少しは出来るのではないかと思うので、ちょっと想像してたいと思います。

 世界中に「言語」と言われる数は、方言や多様な生活形態によって無数の言葉が存在しているので、正確には断定できませんが、およそ3000種から7000種あると言われている様ですが、その内の母国語としてその言語を活用している人口での比較によると、現在の世界では、一位が中国語の約10億人、そして二位が英語の約3億1千万人だそうで、スペイン語2億5千万人、ヒンディー語2億人、後はアラビア語、ベンガル語、ロシア語、ポルトガル語と続き、日本語は9位で日本人1億2千万人となり、10位がドイツ語で1億人だそうです。

 しかしです。ご存知の様に日本の人口は、既に2005年をピークに徐々に減少傾向に入りだしているとされていて、世界に今ある言語の大半が母国語としてその言葉を話す者の数が6000人未満と言う「少数民族言語」となっているのですが、いずれ「日本語」も絶滅の危機に瀕する「少数民族言語」となる可能性があるのではないでしようか。

 つまり、日本が現状のままに人口減少を続けていくとすると、現在の女性の合計特殊出生率が1.37にまで落ち込んでいますので、日本人の高齢化率は進んでいますが、平均寿命が男子79.6歳、女子86.5歳としても、西暦3000年までの人口推移が予測されていて、西暦2800年、すなわち今からたった788年後には、なんと人口は4000人となってしまい、立派な少数民族言語となってしまい、西暦3000年には日本の人口がゼロとなって、計算上では「日本語」を話すネイティブな日本人はいなくなるというのです。

 これは、最近図書館で借りて読んだ、「日本語について」の単行本の中に記されていた「日本語母国語者の人口」についての記述にあったままなのですが、「日本語が絶滅する」、そんなのってアリ?と著者は自問自答しているのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。

 「日本語を大切に」することは当然大事なのですが、それよりも「日本」という国が歴史的に維持できるためには、人口の減少状態を、今世紀中に何とか止めないといけないのではないでしょうか。

 そのためには、平和であることと若い人たちが結婚し家庭を築き、幸せを感じつつ子どもを数人は産むという、当たり前の価値観や生活に不安を感じず、長生きしても年金や社会保障のしっかりとした国とならなければいけないのです。

 現代の政治だけではなく、私たちの将来への大きな課題が、ここに明らかに見えて来ていると言っても過言ではないと思います。 
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